あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

一石橋

2020-05-08 | 出来事・行事

 (参考資料「江戸散歩・東京散歩」)

 

前回 「こどもの日」で
 “一石橋”について触れたが
その一石橋の名の由来について

説明文には

「 皇居外堀と日本橋川が
分岐する地点に架橋された
一石橋の歴史は古く、

江戸初期の「武州豊島郡江戸庄図」に
すでに木橋として見えています。


当時は西河岸町と北鞘町とを
結ぶ橋で、橋名の由来としては、

北橋詰近くの本両替町に
幕府金座御用の後藤庄三郎、

南橋詰近くの呉服町には、
幕府御用呉服所の
後藤縫殿助の屋敷があり、

後藤をもじって五斗、
五斗+五斗で一石と
名付けたと「江戸砂子」に見え、

日本橋地区と神田地区を
結ぶ橋として重要でした。

(以下略)  」

とある。
 

上に掲げる地図には
一石橋の北(上)に見える
金座(現 日本銀行)の
後藤庄三郎(五斗)と

南(下)側 呉服町に 後藤縫殿助
(ぬいのすけ・五斗)の
屋敷があり 
その間にある橋を
両家合わせて

“一石” とシャレ的に
名付けられたという。


一方 当時 一石橋は
道筋だけでなく

川や濠の十字路的合流地点で

その橋上から この橋を含めて
八つの橋が 見渡せたことから

別名「八つ見橋」や
「八橋」とも呼ばれた。

その橋は 

〇北西から東側へ流れる日本橋川

・一石橋・常盤橋・日本橋・江戸橋

〇西側の道三堀

 ・銭瓶(ぜにかめ)橋・道三橋

〇南側の外濠

・呉服橋・鍛冶橋

このことから 
歌川広重が名所江戸百景において
「八ツ見はし」として描いている。

また 永楽銭の使用が
禁じられた際に

永楽銭1貫文と玄米1石を
交換する交換場所が

この橋脇に設けられた
ことからともいわれる。