5月5日は こどもの日
子供にまつわる話
江戸時代の迷子の扱いを
知る史蹟が 東京
中央区八重洲1丁目にある。
「一石橋迷子しらせ石標」
江戸の人口が100万人を超える大都市
現在ような情報網や機器がない時代のこと
迷子になったら大変で
当時の知恵があったようだ。
説明文には
「東京都指定有形文化財(歴史資料)
一石橋迷子しらせ石標
指定:昭和 17 年 9 月 旧跡
昭和 58 年 5 月 6 日種別変更
江戸時代も後半に入る頃、
この辺から日本橋にかけては
盛り場で迷子も多かったらしい。
迷子がでた場合、
町内が責任をもって保護する
ことになっていたので、
付近の有力者が世話人となり、
安政4年 (1857)に
これを建立したものである。
柱の正面には
「満(ま)よい子の志(し)るべ」、
右側には
「志(し)らする方」、
左側には「たづぬる方」と彫り、
上部に窪みがある。
使用法は 左側の窪みに
迷子や尋ね人の特徴を
書いた紙を貼り、
それを見る通行人 の中で
知っている場合は、
その人の特徴を書いた紙を
窪みに貼って迷子や
尋ね人を知らせたという。
いわば 庶民の告知板として珍しい。
このほか 浅草寺境内と、
湯島天神境内にもあったが、
浅草寺のものは 戦災で破壊された。
平成 8 年 3 月 8 日 建設
東京都教育委員会 」