あかない日記

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ポーランド・アウシュヴィッツ収容所 123 コペル神父

2018-08-21 | ポーランド紀行

 

                          第11号棟 “死のブロック”

 
前回 地下牢で触れたが
餓死刑に選ばれた男性の
身代わりとなって死んだ神父がいた。


ポーランドのカトリック司祭 
マクシミリアン・マリア・コベル神父
(1894 -1941年)は
コンベンツァル聖フランシスコ修道会に
属して布教活動に従事していた。


ナチスに不利益をもたらすとされた
ポーランド「政治犯」も多数収容されていた中

1936年 ナチスドイツに捕らえられる。

収容中の1941年7月末 収容所から脱走者が出たことで
無作為に選ばれた10人が 餓死刑を命じられた。

コペル神父は その一人 ポーランド人男性の
身代わりとなって 9人の仲間とともに
「16670」の認識番号を
刺青され 18号牢に入れられた。

2週間後の 8月14日まだ息があった神父は
フェノール注射によって殺害された。

その遺体は翌日 他の何万という遺体と同様
火葬場に運ばれ焼却された。


コルベ神父が救ったのは、
身代りの命だけではなかった。

神父の指導により牢内は祈りと聖歌に満ち、
聖堂のような清らかさであったという証言が残っており
 今は「アウシュヴィッツの聖者」と呼ばれている。


コルベ神父は収容される前
 日本・長崎に居たという。

そのまま長崎に居れば被ばくしたかもしれなかったが
 1933年日本から帰国後 収容されてしまったのだ。

こんな運命的な出来事は 
遠藤周作著「女の一生(第二部)」

神父がアウシュヴィッツに送られて身代わりとなって
亡くなるまでの様子を小説にしている。

    

    コペル神父
           (ウィキペディアから)