あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポーランド・アウシュヴィッツ収容所 113 各地から連行

2018-08-11 | ポーランド紀行





ヨーロッパ各地と鉄道で結ばれて
交通の便が良いという理由と
たまたま広大な土地があったという理由から
ここに収容所が建てられた。


 

1940年から1945年の間に
少なくとも130万人の人々が
ハンガリー(43万人) ポーランド(30万人)
 フランス(6,9万人) オランダ(6万人)
ギリシア(5.5万人)・・・などの各地から
貨車でここまで運ばれてきた。

                     ナチスがどれほど強大だったかがよく分かる。



 


正面ゲートをくぐった人々は
 「収容理由」「思想」「人種」「宗教」「性別」「健康状態」などに
区分された後
「労働者」「人体実験の検体」「価値なし」に分けたという。


そして「価値なし」となった場合はガス室送りなり
そのほとんどが女性や子供、老人たちだった。


110万人 すなわち85%が犠牲者となっており
犠牲者の90%がユダヤ人であるとされている。