なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

不動心とは程遠い

2008-12-11 18:07:43 | Weblog
 今月は一つ勝ったあと連敗をして1勝2敗と負け越しています。
  よく、勝負事と言うか剣道・柔道・棋道など「道」がつくものでは「不動」の心が大事だと言われています。
 ちょっとしたことで心が動かされ、そのために肝心なことを見落としたり、見失ったりしないためなんでしょう・・・たぶん。
  そういう意味では勝負を争うものではないけれど茶道・華道・書道のような分野でも道がつくだけあって「心」が肝心のようです。
 
 ここのところ「心」に少しこだわりがあるのです。
  と言うのも先日来対局の前に「勝てそうもないな」と言う感じが頭をよぎる。
 「勝てそうだから打つ」とか「負けそうだから打たない」と言うようなことはないのですから、打つ時は打つのですがその瞬間自分に不愉快になるのです。
 アマだし、ザルだから自分の碁に自信がないのは当然として、何か迷いのようなものを感じてしまうのです。
 還暦を過ぎてなお迷っているのですから
  未だ未熟と言うことはまだ若いと言うことかも知れないけれど、日本語では[若い」と言うことは必ずしも良い言葉では無い・・・「お主、若いのゥ」と言う台詞がありますから。

 それに生涯「実らず」[熟さず]と言う感じももしています・・・
  そういう意味で・・・前に話したことがありますが「同窓会」「同期会」が苦手なんですね・・・やっと自分で自分が分かりかけてきました。
 つまり昔の自分を知る人に今の自分を見せたくない心情。 
  変わっていない=進歩も成熟もしていない姿を見せることになる。
 60年かかって、何物にも成れなかった・・・マアそいう事でちょっと暗い気分になっています。

 それで碁は好きだから打つ・・・「負けそう」[勝てそうもない]と思いつつ「囲碁を打つのが楽しみ」だから打つ・・・実際は半分楽しくて半分哀しい気分。
 何となく気持ちが吹っ切れないのですね。
  でも、何日もしないうちに「そんなことありましたっけ?」なんてケロリとしている事もなのせいとしてはある・・・要するにいい加減な性格。