今月は一つ勝ったあと連敗をして1勝2敗と負け越しています。
よく、勝負事と言うか剣道・柔道・棋道など「道」がつくものでは「不動」の心が大事だと言われています。
ちょっとしたことで心が動かされ、そのために肝心なことを見落としたり、見失ったりしないためなんでしょう・・・たぶん。
そういう意味では勝負を争うものではないけれど茶道・華道・書道のような分野でも道がつくだけあって「心」が肝心のようです。
ここのところ「心」に少しこだわりがあるのです。
と言うのも先日来対局の前に「勝てそうもないな」と言う感じが頭をよぎる。
「勝てそうだから打つ」とか「負けそうだから打たない」と言うようなことはないのですから、打つ時は打つのですがその瞬間自分に不愉快になるのです。
アマだし、ザルだから自分の碁に自信がないのは当然として、何か迷いのようなものを感じてしまうのです。
還暦を過ぎてなお迷っているのですから
未だ未熟と言うことはまだ若いと言うことかも知れないけれど、日本語では[若い」と言うことは必ずしも良い言葉では無い・・・「お主、若いのゥ」と言う台詞がありますから。
それに生涯「実らず」[熟さず]と言う感じももしています・・・
そういう意味で・・・前に話したことがありますが「同窓会」「同期会」が苦手なんですね・・・やっと自分で自分が分かりかけてきました。
つまり昔の自分を知る人に今の自分を見せたくない心情。
変わっていない=進歩も成熟もしていない姿を見せることになる。
60年かかって、何物にも成れなかった・・・マアそいう事でちょっと暗い気分になっています。
それで碁は好きだから打つ・・・「負けそう」[勝てそうもない]と思いつつ「囲碁を打つのが楽しみ」だから打つ・・・実際は半分楽しくて半分哀しい気分。
何となく気持ちが吹っ切れないのですね。
でも、何日もしないうちに「そんなことありましたっけ?」なんてケロリとしている事もなのせいとしてはある・・・要するにいい加減な性格。
よく、勝負事と言うか剣道・柔道・棋道など「道」がつくものでは「不動」の心が大事だと言われています。
ちょっとしたことで心が動かされ、そのために肝心なことを見落としたり、見失ったりしないためなんでしょう・・・たぶん。
そういう意味では勝負を争うものではないけれど茶道・華道・書道のような分野でも道がつくだけあって「心」が肝心のようです。
ここのところ「心」に少しこだわりがあるのです。
と言うのも先日来対局の前に「勝てそうもないな」と言う感じが頭をよぎる。
「勝てそうだから打つ」とか「負けそうだから打たない」と言うようなことはないのですから、打つ時は打つのですがその瞬間自分に不愉快になるのです。
アマだし、ザルだから自分の碁に自信がないのは当然として、何か迷いのようなものを感じてしまうのです。
還暦を過ぎてなお迷っているのですから
未だ未熟と言うことはまだ若いと言うことかも知れないけれど、日本語では[若い」と言うことは必ずしも良い言葉では無い・・・「お主、若いのゥ」と言う台詞がありますから。
それに生涯「実らず」[熟さず]と言う感じももしています・・・
そういう意味で・・・前に話したことがありますが「同窓会」「同期会」が苦手なんですね・・・やっと自分で自分が分かりかけてきました。
つまり昔の自分を知る人に今の自分を見せたくない心情。
変わっていない=進歩も成熟もしていない姿を見せることになる。
60年かかって、何物にも成れなかった・・・マアそいう事でちょっと暗い気分になっています。
それで碁は好きだから打つ・・・「負けそう」[勝てそうもない]と思いつつ「囲碁を打つのが楽しみ」だから打つ・・・実際は半分楽しくて半分哀しい気分。
何となく気持ちが吹っ切れないのですね。
でも、何日もしないうちに「そんなことありましたっけ?」なんてケロリとしている事もなのせいとしてはある・・・要するにいい加減な性格。