Now+here Man's Blog

Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

Desperado

2006-04-30 21:10:31 | windsurfin'


海面を疾走するたび、波のフェイスにレイルを噛ませるたび、
僕はいつも心が開放されていると実感する。
今日は空気は暑く、4.7~5.3の風と、オンながら腰胸の波で終日ウエーブを楽しめた。
楽しかったね。個人的には実に楽しかった。
自虐的にいろいろやってみた。波をボディードラッグで滑ってみた。
ダックジャイブからクリューファーストで波に乗ってみた。
フォワードにトライしてノーズから海面に突き刺さった。楽しい。身体はよく動いた。

できればそのまま陸に上がることなく、エンドレスに乗り続けることができるならいいけどね。
僕や君やあなたは夕方道具を片付け帰路に着く。
海での生活や海でない生活もどちらも現実世界で、
毎週末確実にウエーブできていれば海は特別な存在ではない。

僕の海と海でないところの生活には境界線ができてしまった。
これから失うもの、すでに失ったものの自責の念に襲われるところが海でないところだからだ。
境界線は陰と陽、暗闇と日の光、悲と楽を分ける。

暗闇の世界は、つまり僕の(もしくは我々の)心の闇のことだ。
19世紀にフロイトやユングが出てきて、僕らの深層心理に分析の光をあてる以前は
実の暗闇と心の闇の相関性は自明の事実であり、メタファーですらなかったんだ。
エジソンが電球を発明するまでは、世界の大部分は漆黒の闇に包まれていて、
その物理的な闇と、内なる魂の闇は境界線なく一つに混じり合い、まさに直結していたんだ。

現代社会は僕に電球ではなくウエーブ道具を与え、R134を境界線にし、陰と陽を明確にした。
僕はそれを呪い、自らその呪縛から解かれるために、孤独と闇に立ち向かう。

ひとつ言えることは闇に立ち向かうためのパワーは風からもらう。
僕がすがることのできるものはブームしかない。
ブームしか掴むものがないのだ。他に何を掴めというんだ?
世界中どこを探しても頼るものは自分でしかなく、掴むものはブームしかないのだ。
僕はブームを決して離すことなく、生きていくわけだよ。
それは価値があるような気もするし価値がないような気もする。
少しくらいは価値はあるだろう。でなければ生きていく必要もない。
価値あるものは自分を裏切らない。風と波はこれからも裏切らないだろう。

自分なりの理由があるのはわかるけど
君が楽しいと思っていることが本当は自分自身を傷つけているんだよ

ダイヤのクイーンを引くだなんて場合によっては君は負けちゃうんだよ
ハートのクイーンが一番いい手なのを知っているくせに