8月最終日の日曜日、2014年の夏の終わり、午後の茅ヶ崎海水浴場を散歩する。
日差しもあり、上半身裸でも汗ばむくらいだけど、風は北東から吹き、トンボも飛んでいる。
日曜ということで人出はあったけど、それでもおそらく真夏のピークの1割にも満たないくらい。
そんなビーチを歩くと、確実に夏が終わったんだなと実感し、そしてまた一つ歳をとった気がしたよ。
毎年、この時期が来ると必ず思う。
歳をとるのは誕生日ではなく、夏の終わりの日だ、ということを。
夏はなんとなく終わるのではなく、ある日に確実に終わる。
それは毎年非公開で行うパーク下での打ち上げ花火の音が家まで聞こえたとき、
松任谷由実が山手のドルフィンでソーダ水に貨物船が通ったと歌う音が海に近いカフェから聴こえてきたとき。
風がオフショアになり、エボシ岩がやたらハッキリ見えて、江の島が大きく見えたとき。
そうやって、指でパチンッと音を鳴らすように歳をとっていくのだ。
オレは嫌だな、と思った。
夏が終わるのも、歳をとるのも、切ないくらい嫌いだな。
でも思ったよ。
夏を終わらせているのは季節ではなく、自分自身なんだなと。
夏を終わらせるのも、歳をとっていくのも自然の摂理ではない。
きっときっと自分の気持ちのせいに違いない。
とてもとても前に20年前だったか、30年前だったか、もう記憶のないくらい前に、
エンドレスサマーを観た。
邦題は、終わりなき夏。 1964年作品。
夏と波を追いかけて世界中をサーフトリップする映画だ。
中で、感動的なナレーションがある。
“夏は単なる季節ではない。 夏は心の状態なのだ。”
夏の終わりの日には、いつもこの名言を思い出すよ。