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Now+here Man's Blog

Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

Running in tequila sunrise

2015-05-27 17:45:44 | 日記


走っているときは、もちろん辛辣なことは考えないし、
(まあ辛辣な事態のときは走らないだろうけど)
何かは考えているけど記憶に留めることはなかった。

でもちょっと思ってみた。
一人きりになり、健全な有酸素運動の状態で思考するという事はランニング以外にはない。
ランニングでは(いまのところ)マイナス思考にならないので、物事を考えるにはいい機会。
問題は、その記憶は、走り終えてシャワーとともに流れてしまう事。
考えたことは反復して整理して、シャワー後に書き留めればいい。

さて、具体的に直近に何を考えたか。

人生で深く思い込むことなどそんなに多くは存在しないんだということだ。
それは、現実逃避なのか自己防御なのか単なる怠慢なのかはわからないけど、
少なくとも走っている間は、確実にそう思う。走っている間は真実なのだ。
そう確信した。
その方が楽だし、精神衛生上いいに決まってる。

生活の9割はどうでもいいことで、毎日毎日どうでもいいことの積み重ねだな、
そういうこと確信が持てると身体と心に羽が生えてくる。
本質を突くのは簡単だけど、本質から敢えてそらすのは返って労力がいる。
でも自分はそれができる。いい加減な人間だから。
走りがそれを機に軽くなる。
いい加減な人間の走りは軽くなる。
たぶんそういうものだ。

実際、走り始めのまだ循環機能が覚醒していない苦しい時間帯(デッドゾーン)を過ぎ、
身体が軽くなり苦しさが解消しスピードが上がるとき(セカンドウインド)に羽が生える。

羽の生えた脳はこう考える。走りながら脳が発言する。
心臓を動かし、手足を交互に動かし、肺を収取させ、道路情報を筋肉に伝え、
ついでに物事を考える。たいしたもんだ。

「週末のサーフィンや、飲み会や、仕事の打ち合わせや、夜の献立も、溜まった洗濯物も,
そういった日々の生業や習慣に対して価値観を見い出す必要などないんだよ。
価値観を見出すことは回顧的な作業であまり意味はない。
そんなの評論家がやればいい。
問題は、生業や習慣が自分に対しどのくらいの価値を与えるかだ。
だからちゃんと走り続ければ大きな大きな価値を得るよ。
心の宝物だね。」


自分の価値は、何かに真剣に取り組まない限り生まれない。
どうだろう。僕はそう思うね。

それは頭では分かっていたけど、身体が理解していなかった。
走ることでそう確信した。
走らなければわからなかったかもしれない。

以上、そんなことを考えて文にまとめてみた。
で、次は文章の補間作業だ。


走り始めたころ、自分が大した人間ではなく器も未完成で小さいという事実を突きつけられる。
きっと誰にでも。
これはとてもショックだ。
ビギナーズランナーショック。 3キロ走ってぜいぜいする。


人間って結局はフィジカルに痛みや苦しみ忍耐を経験しないと強くならないんだろうなって思う。

強い人間ね。
自分的には、降りかかる災難や苦労を無視したり、
攻撃をかわす術を経験的に身に着けていることが強い人間だとも思っている。
正面切って戦うと死ぬ場合があるし、クリアするだけでポイントを稼げない場合がほとんどだ。
歳を取るとこういう風に考えてくる。年の功という。大人だ。
死ぬ覚悟で臨むのは友人や愛する人を守るときだけだね。

だいぶ逸れた。

ビギナーズランナーショックから。
筋肉の痛めつけ心拍数を上げない限り距離は伸びないし、継続できない。
これは辛い。
でも次回また走る。コツコツ、コツコツ。
確実に走れるようになる。
走るとこう思う。
走るって、まるで人生だよね、と。
壁の連続だ。


メンタルだけでは成就しない。
メンタルは破壊されてリカバリーできる確率が少ないからだね。
健全なメンタルは健全なフィジカルが土台ということだ。
たぶんすべての動物はそういう風に作られている。人間は例外ではない。

この思いは、ウインドサーフィンやサーフィンやスキーでは生まれてこなかった。
これらの基本は遊びだから。
ランニングは遊びじゃない。
遊びという人は、まずいないだろうね。


ランニングは遊びじゃないけど、とても楽しい。
走る続けると心肺、循環機能が稼働し、楽になる。
楽だから楽しいし、楽しいから楽。
景色の一部に自分が溶け込む。
空気に溶け込む。

継続していると漠然とした課題が出る。
きっとシンプルな課題。
走って得るものは何だ?


きっとレースに出て完走した時、なにかしらの答えが出る。
それは教訓だと、崇高なランナーは言う。
よくわからないね。
でもきっとドラスティックな答えだと期待しよう。

今日、初めて朝に走ってみた。


走りながらしっかりと考えたことは、走ることを止める理由は全くないし、
これからも走り続けるんだろうな、ということだ。
すくなくとも、もう歩くことはない。

今朝思ったよ。

走るということ

2015-05-09 17:01:38 | 日記


走っているときは少なくとも負の考えは出てこない。かといって良い考えもしない。深く考えることもしない。
何かは考えているが表層でグルグル回っている感じ。たぶん心の奥底は無になっている。
無になっていることを意識できる。快感、悦楽は無の状態からしか生まれない。
無を意識する。自分が絶対存在しているという最強の意志。

走る理由など何もない。走らない理由がないだけだ。

だいたいの女性の場合、走り続けているとスタイルだけではなく、顔が良くなる。
目つきがよくなり、自身に対し自信が生まれるからだ。フィジカルでセクシー。

膝に古い故障を抱えていたが、走り続けることでフォームが改善され、やがて膝周りの筋肉が補強され痛みがなくなった。

アスファルトを蹴るたび、足の裏の赤血球が破壊されるそうだ。
もちろん食事で補う。
走りはじめてから、食べたものはほとんど血や肉になる。まったく贅肉にはならない。

休日、海沿いを走る。空は青く、海は青く。
家にゴールしてシャワーを浴び、バルコニーに出て夕陽を眺めながらビールを飲む。
ビールは神の水と知る。

無性に走りたくなる瞬間がある。絶対に走りたくないときも同じくらいある。

ランニングにより活性酸素が発生し、動脈硬化やガン発生の危険が高まるという話が一部にある。
これは本当なのだろうか? であればランナーの医師はいないはず。
走ることで活性酸素が発生しても、同時に活性酸素を防御する機能も向上する。
抗酸化物質を外部から摂りいれトレーニングせず、、、どちらが良いかは明白な気がする。
とにかくこういう話題が取り上げられると、センセーショナルになりがちだ。

ランニングとは、自己の空白に、積極的に新たな空白を埋める作業に過ぎない。
真剣にそう思う。

走っている自分の少し前に、少し後ろに、あるいは上に本当の自分がいる。
そしていつも声援を贈っている。
それに応えてスピードをアップする。
心と身体の二人三脚。 
心身のバランスがとれているとはこの事なのだと最近初めてわかった。

結局のところ、健康が一番だと走りながら思う。
で、それは何に対してかというと、貧しさや悲しみや辛さがあっても、
とりあえず立ち向かっていこうという姿勢ができることだ。
それが健康である証だ。
立ち向かっても潰されるかもしれないけど、少しは我慢できるだろう。

Nike+ SPORTSWATCH GPS

2015-03-30 12:13:19 | 日記


iPhoneをポッケに入れてランニングしてる。
これからTシャツの時期になるとアームケースバンドだね。

GPSで地図情報を記録して、走行距離やラップタイム、ペースが走りながらわかるというのは今更だけど凄いって思う。
晴れた日の海沿いを走るのに良い音楽をイヤホン通して聴けるのは最高に気分が良い。
何かトラブルがあった時、電話でヘルプを呼べるのでエマージェンシーにも対応できる。

しかしだ。人によりけりだろうけど、腕にモノを付けて走るのはとても邪魔くさい。
それと走りながら聴く音楽は、ナイトランの場合とても危険だ。
後ろから自分を抜き去る自転車。
車のエンジン音。
音楽によって聴覚は消され、残された情報源は視覚のみ。
市街地のランでは夜だけでなく日中でも危ない。
音が聞こえないとバランス感覚も鈍る。

山を走るトレイルランナーはきっと音楽は聴かないだろうね。
鳥のさえずりとか聞こえないし、熊が襲ってきてもわからなと危ない。


ウインドやサーフィンで使用できる完全防水の音楽プレーヤーが開発されたとしても誰も買わないね。
波や風の音が聞こえなくなるのは恐怖が増長されるからだ。

ランニングで10キロ超えて20キロ超えて、、、すると段々音楽が脳の中心に到達しなくなってくる。
耳元でガチャガチャいってるだけ。
脳も疲労感との闘いになってくるので音楽はむしろ邪魔になってくるせいか?

まあ、晴れた土日の海沿いを夏らしい曲聴いて走るのも楽しいから、
たまにはヨシとしよう。

でも平日は夜走るわけだし、危険回避と走りに集中って理由から、
新しいデバイスはこれに決まりだ!!

今日から使ってみるっさあああ!!!!!

4月第1週は、湘南月例大会。これはファンなイベントでレースではないみたい。登録できたんで参加!
翌第2週は、横浜でリレーマラソン。まずはリレーから慣れようかなと。でもリレーといっても4時間切らなくちゃいけない。
相当真剣になるんだろうなあ。チョイチョイでかるーい感じで走りたいんだけどね。失格にはなりたくないなあ。

ヘルメットによる軟骨剥離~耳介血腫

2015-03-25 09:30:29 | 日記


数週間前から、右の耳介(耳たぶの上の方ね、セイルでいえばリーチの部分)の腫れていることに気付いた。
左右を触ると明らかに違いがわかった。
虫刺され? でも痒くないな~。 外傷もない。痛くもない。

しばらく放っておいたが、先週末に鏡で見て一目瞭然のように腫れが進行していた。
何かが入ってるようだった。
プヨプヨしてたんで、水か血だな。
膿じゃない。熱持ってないんで。

耳鼻科に行った結果、耳介血腫ということがわかった。
柔道で耳を畳に強く当てたり擦ったり、それが習慣づいて耳の軟骨が剥がれ、
その隙間に血液が溜まっていくというもの。

原因はすぐわかった。
ウインドサーフィンで常着するヘルメットのせいだ。
長時間被り、ジャンプや転んだり、巻かれたり、ボードが当たったのかもしれない、
とにかく何かの衝撃がきっかけで軟骨が剥がれた。
それはいつのことかわからない。

ヘルメットのサイズはジャストフィット。
大きくもなく小さくもない。被っている最中の装着感は良好。
内部のウレタンは損傷していない。

自覚症状がないため、ヘルメットの脱着を繰り返し、さらに衝撃を与え続けた結果剥離が拡大し、
徐々に徐々に血が溜まっていったようである。

過去からの積み重ねなのか、突如起こったのか、それもわからない。

いずれ、耳に外圧を加えるのは、自分の場合はウインドのヘルメット以外ないんだよね。

病院では注射器で血を抜くだけの施術だったが、これ、炎症が止まらない限り再発するらしい。
大きな確率で再発するんだとさ。
耳をサンドイッチにして剥離部を固定するようだ。
とても面倒臭い。


オートバイのヘルメットは内張りがスポンジかウレタンにジャージ素材かなんかでソフトに出来ている。
耳が擦れるなんてことはない。

でもマリン系は水を吸わず軽量が条件。
頭部を保護するための道具で内部損傷してしまった。

ヘルメットを装着する習慣がついているので、
ハードコンディションをノーヘルで迎えるのは恐怖心がある。

春の嵐の時期になってきたので、
ワセリンを塗りまくってヘルメット被るですかね~

皆様も、こういうことがあるんだよっていう事を頭の片隅に置いてくだされ。

【必読】あのメロスは走っていなかった

2015-03-09 15:40:35 | 日記

太宰治の書いた名作「走れメロス」 

「身命を懸けた友情の美しさを描いて名高い」作品として有名である。

オレが小学校のとき、国語の教科書に載ってたぞ。
よーく覚えてる。それなりに感動した覚えがあるよ。
今の教科書には載ってるのかな?

40年以上たって読んでみた。
短編なので無料書籍としてネットにあがっている。

長い長い月日を経て再読し、
このメロスという男、実はダメよダメダメ男だというのがわかった。

これは読み手を笑わせようと太宰が意識したのか、
もしくは太宰自身がダメ男で、単にメロスに自己投影したのかはわからない。

(※太宰治は執筆のため金を借りて熱海に行ったが、
執筆は全くせず、酒と温泉遊びしまくり、金はあっという間に底をつき、
東京から呼んだ編集社の人を宿に人質として置いて、
太宰は金を工面するため東京に戻った。
しかし太宰はなかなか熱海に戻らず、不審に思った知り合いが太宰の家を覗きに行くと
毎日酒を飲んで将棋をうっていたという。
⇒メロスは全くをもってこんな感じである)

では物語のあらすじと笑えるポイントを書こう。

妹の結婚式の服など嫁入り道具を買うためにメロスはシラクスという街にやってきた。
そこの王が暴君でとんでもねー野郎だ、という噂をメロスは立ち聞きした。
メロスは事実もろくに把握せず、単なる勢いで王をぶっ殺してやる!とばかり城に強行突入する。
無実の人々が拷問に合うとか、火あぶりとか水責めを見たとかではなく、
ほとんど路上でたまたま聞いた他人の話で激怒したわけである。

思い過ごし、思い上がり、沸騰ヤカン、勘違い、超短絡、おっちょこちょい。
他人情報だけで殺意が生じ、しかも堂々と城に向かって王を殺しに行く??
対決という意味ではケンシローvsラオウで比較するとメロスのあほさ加減がよくわかる。

ケンシローは身体と心にとてつもなく深い傷を負いと悲しみを背負い、ラオウと宿命の対決をする。
しかし、メロスは妹の結婚式の道具を買いに来たついでである。
思いつきで殺人をしようとするとても危険な男である。

当然短絡男なので企てなど一切ない。
城のエントランス、ん?なんて言うんだ?正面玄関? あ、正門ね。
正門からまともに入ろうとするもんだから、門番にあっけなく捕まっちゃったよ。
しかもちゃっちい短剣しか持っていなかった。

だいたい民間人が王には会えないし、正門から入ったら城の兵隊1000人と戦うくらい予想してないのか?
王が外出の時を襲うとか、城の見取り図を手に入れて夜の寝込みを襲うとか、、
まあ気持ちだけは必殺仕事人か、ミッションインポソブルだったかもしれないけど。
で、メロスは日中堂々と正門で捕まります。

で、王の前に連れて行かれた。

そこで王をめちゃくちゃ怒らせたんだよ。
まずタメ口。 なぜか王に対して上から目線。
いろいろと王とやりあって、結局は自分は処刑されるんだろうな、って思った時、
なんでこのシクラスという街に来たか思い出して、ハッとした。
王をやっつけに来たんではなく、妹の結婚式道具買いに来たんだと!


「おめーは最低な野郎だ。天に代わって成敗してやる。
でもどうやらオレに勝ち目は無さそうだ。。。
そうだ! 友人を紹介してあげるからそっちをオレの代わりに処刑してくれ!
でもオレは妹の結婚式が終わったらここへ三日以内に戻る。
そしたら友人を開放してオレを処刑してくれ。」


いやいや、なんて勝手なんだ!
いきなり友人を売ってしまいました。
身代わりとして人質になってしまった友人はビックリ仰天だったろうな。
「え??なになになになんなのよ!!!」
青天の霹靂です。
恨むでまったく。メロスの鬼! by セリヌンティウス


城を出たメロスは10里(40キロ)離れた妹のもとへ向かう。
ちょうど鎌倉の材木座から茅ヶ崎のオレンチの往復である。
メロスは夜に発ち、翌日の昼前に着いている。
ということは、おおよそ12時間以上かかったということである。

まあ超大昔だから崖あり谷ありかもしれないけど時間かかり過ぎ。
馬車だってある時代だろうさ。意外と道はちゃんとしてたかもよ。
そうだよ。馬車に乗ればいいんだ。
だって友人の命がかかってるのに、そこでなんでケチするのかね。
やっぱり仲はさほど良くないんだね。知り合いレベルだ。

オレはメロスっていうと古代ローマの阿部寛を想像するね。
テルマエ・ロマエの。
だから走ると40キロなら4時間切るはずだよ。
それが12時間。

走ってない。ほとんど歩いてる。たぶん途中で寝てるね。
メロスは阿部寛ではなく、運動不足でメタボなのが容易に想像できる。

家について早速、妹の結婚式で大盛り上がりする。
飲むや歌え、食え食えのどんちゃん騒ぎ。
自分のせいで友人のセリヌンティウスが処刑されるというのにだよ。
しかも、大宴会の後、しこたま寝る。
フルマラソンの翌日とはいえ、疲れが溜まってるとはいえ、寝る。
しかも、友人が独房で不安にさらされ、処刑が刻々と近付いているというのに、寝る。


そして、朝目覚めて一言、
あっちゃー、寝坊しちゃったよ!!!
まるで緊迫感のない男である。

原文では、「メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫」
余裕ぶっこいてるね~。
信用ならねえ奴だよね。
オレここで古代ローマ人がどっから南無三って言葉を持ってきたのか不思議でならない。
南無三って仏教語なんだよね。
ゼウスとかポセイドンとかアポロの時代の土地におかしくね?

オレが朝寝坊しても「あっちゃー、アラーの神よ、寝過ごしちゃったよ!」とは言わないもんね。



メロスはシラクスに向かう。
オレの原作の記憶ではここからが本番で走りまくるんだったよ。
でもちゃんと読んだら、走ったのは最初の4キロだけっちゅうのがわかる。
半分以上歩いてる。
ぶらぶら、呑気に、しかも歌いながら。
お気楽極楽ウオーカーである。

ちょうど中程で、雨のせいで川が氾濫し道が無くなっている場面に出くわした。
で、途方に暮れる。
とりあえず泳いでみる。なんとか渡り切る。
死ぬほどゼイゼイする。助かった感で泣く。
そしたら山賊に襲われる。
あたふたする。
逃げるためにそこから走り出す。
友人が処刑されるというのに、そこまで追い詰められてやっと走り出す。
後悔は一切していない。
途中でぶらぶら道草食って歌いながら歩いたことを悔いてはいない。
今真剣に走ってるからいいじゃん!と開き直る。

原作は真剣にマジにすべての力で走ってることになってるけど、
ぜんぜん大した距離じゃねっす。
メロス研究では数キロとの見解もある。


そして城へ滑り込みセーフ。
しかしだ。
オレは今到着したぞー!!!と声が出ない。
呼吸ができず、ぜいぜいしてるんで。
そりゃそうだろ。
メタボで飲み過ぎ二日酔いなんだから。
でも普通の人だって40キロ走っても大声出せるよね。
メロス弱っ!

メロスはここで大役者を演じる。
すげー疲れた感を出して、友人のためにフルマラソンを2時間切る速度で走ってきたばかりにアプローチする。
しかもその場を和んだ感じにすれば王が許してくれて誰の処刑もなくなると思い、「素っ裸作戦」を決行する。

メロスはチ○コ丸出しでスタジアムに走ってきたわけである。
マラソン大会で1位の選手が素っ裸でゴールのスタジアムに帰ってきたら、、、、って想像すればいい。
実況アナウンサーは笑うね。
それを向かいいれる大会委員長も笑うかも。
メロスはそのウケを狙ったに違いない。
飲み会でパンツ脱ぐ奴と同じ精神構造である。

メロスは素っ裸の状態で、磔(はりつけ)から解放された友人と抱き合う。
そこへ王もやってきて3人で抱き合う。
異様な光景ですね~。

最後はどっかの小さな女の子が布を渡して、これで隠して、とメロスに言う。
メロスは自分が素っ裸だったのに気づき「いや~ん!」と言って幕を閉じる。

この最後の素っ裸シーンは国語の教科書には載ってない。
文部省が気を遣ったんだね。

これが誰もが知る、フェイマス日本文学なのだ~!!!!

人を売るな!
計画性を持て!
思いつきで発言、行動するな!
日々鍛えておけ!

これがこの作品の言わんとするところすかね。