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Now+here Man's Blog

Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

サーフィンがしたくなる10の誘惑~続編

2009-07-14 19:30:41 | surfin'


アーバン・アスリートというWEBマガジンが発行されている。

その中にはサーフミュージック、サーフムービー、食事、などなど
いろいろなカテゴリーがあって、
ライフスタイルをサーフィンライフに変えていくような
素敵な内容が書かれている。

もちろん、サーフィンライフもウインドサーフィンライフも同じである。

10の項目の一つに、ジョージ藤沢氏のインタビューが載っている。

茅ヶ崎ならず、全国にロングボードを復活させた立役者、The Legendその人である。

氏は映画『ビッグ・ウエンズデイ』に登場した架空ブランド『BEAR』を、
ランディー・ラディックとともに実ブランドにした。

BEAR SURFBOARDはオイラには憧れで、
しかもその板の生誕地である茅ヶ崎の海で、
波に乗れるというのは、自分的にはサーフィンがしたくなる10の誘惑の一つである。


なーんていう記事を08年の5月にアップした。
(WEBマカジンはまだ公開されているので見てください)

オイラはロングが好きなのだが
ドドドーと乗るのではなく、まわすのが好きだ。
なら、ショートがいいのでは?となるけど、
まだまだロングの世界も深く、まだまだ乗っていたい。

先日、ボーヤングのシグネーチャーモデルの説明をジョージ藤沢氏にしてもらった。
『とりあえず試乗してみなさい。それから決めよう』と言ってくれ、
携帯の番号を教えてもらった。
『会社行く前、波があれば乗ってみたらいいよ、5時でも6時でもいいさ』

レジェンドの親切さに感動した。
やっぱ、茅ヶ崎にBEARありきである。

ビキニのロシア人のフラフープを見ながら波に乗る

2009-07-13 17:11:23 | surfin'
4.0ウエーブライドの翌日、
朝からのオフショアは、前日の波を整えた!

湘南全域、腹~胸のファンウエーブ。
波に少々パワーがなかったが、微オフの波乗りは最高である。
サーファーの数も多かったが何とかピークから乗れるタイミングが多かったので、十分に楽しむことができた。

オイラはロンスプだったが、トランクスオンリーの人も多く、夏の到来を感じさせる。

女性に多いタイプは長袖前ジップのゴム引き黒タッパーに、下はビキニパンツのみ。
これは七里あたりから茅ヶ崎までのスタイルなのだろうか。
あまりサーフィンの盛んではないポイント(逗子や材木)では見られないそうだ。

このスタイルには条件がある。
痩せていること。足が長いこと。顔が小さいこと。
そしてサーフィンが上手なことである。


さて、更に翌日の日曜日。
海遊び3日目である。
地元のスタンドアッパー仲間3人とスタンドアップでエボシ岩まで出かけた。
上陸して磯遊びをした。
小さなウニをこっそり捕ってその場で食べた。ビールを飲んだ。
エボシ岩をマークにしてヨットレースをしてて、ちょこっと観戦した。

ビーチに向かってモドル。
潮が引いて少し割れてきた。
またまたサーファーゼロのなかパドルサーフィンをした。
ロシア人ぽいビキニ女性たちが数名サーフィンをしたり、
何故かフラフープをしていた。まわす腰の動きがたまらんかったなあ。

連れのサッパーがあまりの空腹のため、知らない人たちのBBQに入り込み、
焼きオニギリをゲットしている。

そんな風景は、なんかとても安っぽいリゾートのように感じた。

3日フルで遊び、ヘロヘロである。
週末の休みは鋭気を養い休息しろと言うが、
オイラの場合は、週末で精気を使い果たし、会社は休息の場である。


(おっと、シャラポワですた~!)


モ~ホ~ビーチで捕まえて

2009-06-21 15:52:52 | surfin'



20日、土曜日。梅雨の晴れ間の晴天。
オイラはスタンドアップを車に積み、鎌倉を目指した。
目的は大崎での波乗りだ。

材木座から出発して、まずはウインドサーフィンの群れを突っ切った。
無風なれど初心者スクールや学連が練習してる。
それから大きく左に巻いて、逗子マリーナを通過した。

斜めの地層が剥き出しの断層が視界に入った。
大崎である。
大崎のまわりは水深が浅くリーフブレークでちょい波があった。

そこは完全に世間から隔離されたようなシークレットポイントだった。
オイラは大崎は初めてだったのだ。

そしてそのリーフのビーチには、やはり世間から隔離された風景があり、
SUPするオイラの目に突然入ってきた!

ここが、かの有名なモ~ホ~ビ~チなのである。
モ~ホ~ビ~チと教えられなくても、褐色で短髪で髭を生やした彼らの楽園であった。
すぐさま、そのが男同士たちの楽園とわかった。
もちろん女性はいない、と思う。
ニューハーフがいるかどうかはわからない。

オイラはレーシック手術のおかげで、沖にいても全裸のモ~ホ~が確認できた。
何人かは全裸で、残りはブーメランパンツである。

昔、サブマリンドックという黄色いバスがあったころ、そこからビーチに降りられると聞いた。
しかし、降りる勇気などない。
ぜひ、降りてみたい!とは思っていたが、何かしらの事故に遭ったら人には言えない。

そして念願かない、沖からビーチを観察できたわけである。

皆さんも是非、天気がよく、穏やかな日、大きなセイルをつけて出かけてみては?

Try a new sun-glass and a new coil leashe

2009-06-14 23:41:10 | surfin'


13日の土曜日、世界の終焉が始まった。
スカイネットが新しいマシーン、T-800型の製造を始めた。

オイラは自宅のスカイネットからワーナーマイカル茅ヶ崎で公開が始まった
T4のチケットをリザーブした。

とにかくオモシレー!
もちろん、1,2,3は観たさ。
どう考えてもオイラが観た映画で一番オモシレー!
話は難解ではないし、それに本当に未来はあーなりそうだし、
CGとかVFXなんかは既に未来だなあと思いマスタ。

で、翌日の日曜、オイラは新しいマシーンを海で試すことにした。
人類のサーフ未来は茅ヶ崎のジョン粉男に託されたのだ。

使用したのはSWANSのサーフ用サングラス『偏光で波の割れ目パックンチョ』。
それとDAKINEのSUP用の10’のリーシュコード『これって電話コードじゃね?』。

リーシュに関してはメーカーHPにもまだ載ってない。
電話コードの様にコイル状になっている。
つまり、絡まない、踏まない、引きずらない、足元で縮んでるわけだ。
これを9’のロングに試した。
まわりのサーファー達は気になるらしくてちょろちょろ見る。
『それって性能どうなんですか~?』と聞いてこない。

オイラは『すげー性能いいでげすよ!』と宣伝したいくらい。
だって、絡まない、踏まない、引きずらないのだ。

なぜにオイラに誰も聞かない?

そうなのだ。オイラはサングラスをかけているのだ。
それはモロ出し・チン、もとい、モロボシ・ダンがウルトラセブンになるときの、
あのウルトラアイをもっと恐くして目が見えないタイプだからなのだ。
だから皆さん、声をかけてくれない。
いいことがもう一つ。恐そうな感じなので、どんどん波を取れるのだ。

いや。サングラスの効果はそういうことではない。

偏光レンズの凄さだ。
一言、波の陰影がはっきりしてる。これは感動もの。
空は曇りの鉛色。海は銀色。夕方は目の前のブレークすらわからなかった。
雪山のホワイトアウトに似てる。
どこが海面でどこが空でどこが波かわからなくなる状態。
今日はそこで『偏光で波の割れ目パックンチョ』が性能を発揮したわけだ。
見える分、波のあるとこに即パドルできるし、テイクオフのタイミングも間違わない。
はっきり。クッキリ。スッキリ。

今日は波乗りで使ったけど、これはウエーブでもスゲーに違いない。
特に夏の夕方、眩しくてプレーニングが恐いときがあるけど、もうそれもないだろう。

ワイプアウトしても顔から1ミリもズレないんだよ。
仮に顔から離れたとしてもサングラス用のリーシュがあるから無くさない。

こういう小物で安心して楽しくサーフができた。
チャンチャン!

田中真理子の家捜索探検隊

2009-05-25 17:07:45 | surfin'


5月23日の土曜日。パーク~リストラは腰。
朝から気温が高く、紫外線強烈。
海面ざわついていて良くないコンディション。

しかしながら波乗りは4月の宮崎トリップ以来。
そこそこ楽しんだ。

それにしても人、人、人。。。
平日のスーパー銭湯よりも人が多い。危険極まりない。
考えるに、携帯の波乗りサイトができてから人が多くなった気がする。

『湘南は全体的にモモ~腰。午後は潮が上げて波が一気に割れづらくなる可能性あり。
午前中に1ラウンド済ませよう。』

このために人が集中するのだ。
それにシーガルやスプリングで入水できるという海水の温かさもあり、
そうなると女性も多い。女性ボディーボーダーの多いこと!

まるでサーファー銀座である。
これで頭サイズあると一気に人が減るんだけどな。



午後、家でホイチョイ映画『波の数ほど抱きしめて』を観た。
挿入曲の著作権の関係でDVD化されていないが、
こないだWOWOWで放映したのを録画しといたんだ。

ミーハーな映画ではあるけれど、脚本が優れている。
イモっぽい演技もない。
今ではそれに出演した人たちは日本映画界のベテラン俳優である。

中山美穂演ずる田中真理子は、
太古の昔に日本がヤマトノミコトノソレナニガシに創世されたときに恐らく湘南地方も出来て、
そして新型インフルの感染が世界を包む今日まで、
たぶんピカイチの湘南ギャールである。
それについて反論する男はいないだろう。

映画を観終わった後、七里が浜の高台にある田中真理子の家を探しに行った。
渋滞の134から江ノ電の鎌倉高校前を入り、セブンマイルズクラブの前を通り、
ちょっと左に曲がりながら坂道を前進する。
振り返ると七里の海が一望できて先に江ノ島が見える。
坂道の途中の高級住宅街に田中家があった。
家は20前と変わっておらず、表札は違う名前が書かれていたが、
間違いなく両親が渡米中で一人暮らしをしている田中真理子の家だった。


その映画とオイラの共通点と言えば、公開のころ、オイラは江ノ島でウインドしていたことだ。
舞台は1982年。公開は1991年。
1989年の5月、ちょうど今頃、オイラはカツオノエボシのエジキになり救急車に乗った。
痛くて意識が遠のくブルーな思い出である。

はっきり言って、この映画の出来の良し悪しはオイラには全く関係ない。
要はこの映画に出てくるものが、まさにオイラの青春で、
その時代のものがビッシリ詰まってることである。
ホイチョイはまさに時代を読む天才集団で20年経った今でこそ、
彼らの才能の高さに驚かされる。

さてこの時代、湘南はサーファーでごった返していないし、いい時代である。
みんな、ああだったんだ。さーふぁーだったのだ。
だから、振り返れば、オイラの1982年がその映画に詰まってる。

一番自分が輝いてる時代だったからな、だからその思いも蘇る。
オイラ世代の人間にはたまらない映画のはずなんだ。


そしてセイルやボードは年々進化しているが、本人は82年のままのような気がする。
だから、田中真理子も実はそのまま七里にいるかも、なのだ。
で、田中真理子の家を見つけたとき、20年の流れが一気に脳裏を走り抜け、
かつ、何も変わっちゃいないことに気がついた、のである。

おしまい。