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墨攻

2007-02-06 15:43:41 | 中国映画 (19)

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監督: ジェイコブ・C・L・チャン
原作: 酒見賢一
出演: アンディ・ラウ(革離) アン・ソンギ(巷淹中)
     ワン・チーウェン(粱王) ファン・ビンビン(逸悦)
     ウー・チーロン(子団) 
2006年、中国=日本=香港=韓国

>>秦の始皇帝が中国全土を束ねる前の戦国時代。
趙と燕の国境にある粱城は、趙によって攻撃されようとしていた。10万の趙軍に対し、梁城の全住民はわずか4000人。頼みの綱は墨家の救援部隊だったが、間に合いそうもなく、粱王は降伏を決断する。墨家の革離(かくり)がたった1人で駆けつけたのは、その直後だった。

戦乱の世で「非攻」(侵略しない)を掲げ、しかし弱者を守るためには戦闘のプロとなった思想集団・墨家。
彼らはまた「兼愛」(自分のように他人を愛する。博愛に近い?)という思想を持っていた。

思ったよりも、精神世界に重きをおいた真面目な反戦映画だった。
戦後、日本は「非攻」を決めた。

中国でもあまりよく知られていない墨家について、日本人が小説にしたというのも面白いなと思う。

映画の見どころはふたつ。
戦いの圧倒的な迫力ある場面と革離の苦悩。

10万の趙軍に対し、梁城の全住民はわずか4000人。
梁王は怠惰で、戦意も失いがち。

そんなところへ、要請があればどこへでも無償で助っ人として出向く弱い者を守る思想集団、墨家の革離が単身、やってくる。
革離は守りに対しては知略に長けた軍師だ。

篭城という言葉、10万の兵の人海戦術に、見るものはワクワクする。
革離は兵士を強化し、城の守りを固め、作を練る。
一ヶ月、持ちこたえれば敵はあきらめるだろう。

本格的な戦闘場面は真の迫力があり、油の大壷、飛行船、水圧爆弾、奇想天外な陽動作戦に目をみはる。

革離はヒーローではない。
粗末な身なりで、見返りを期待せず、禅僧みたいである。

ただ、墨子の教えどおりに。
他の墨家たちは賛同しなかった粱城を、ひとりで守りにきただけなのだ。

彼は敵味方の死の苦悶を目の当たりにして苦悩する。

ちょっと疑問に思ったこと。革離はこれが初陣ではありませんよね?

自分のやっていることは間違っているのか?
多く殺したほうが勝ち。
だが、人が苦しみ、血を流し、死ぬことに変わりはないではないか。

逸悦の言葉:
あなたはいつも正解を求める。
この世に正解などない。
私は例え、間違いでもあなたのそばにいたい。。

原作にない逸悦の存在で、革離の人間らしさが垣間見える。

アンディ・ラウがヒーロー色を払拭して、禁欲僧のような革離を真摯に演じている。

墨家の思想にももちろん矛盾、弱点はある。

いつの時代も戦争とは不条理である。
不条理のなかで、非攻は貫けても、兼愛を示せるか。

それでも革離は愛をしめさんとする。
しかし、彼には思いもよらぬことが存在した。
人間の嫉妬と、虚栄心、権勢欲。

これが、命がけで守り抜いた粱国を疑心暗鬼の地獄と変えてしまう。

ここから結末に触れています。

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梁国は勝ち残ったが、これを勝ちというのかどうか、私にはわからない。
空しさが残る。

意地の塊となった趙軍を率いる巷淹中は革離の「これ以上、戦っても死人が増えるだけ。撤退を」の願いを聞き入れる。

満足の笑みを浮かべて、嫉妬と権勢欲の鬼、粱王の矢を受ける。
韓国の大俳優、アン・ソンギの懐の深さが素晴らしい。

アジアの頭脳と資金だけで、この映画ができたということは一映画ファンとして嬉しい。
黒澤監督の意見も聞きたいものである。

厳しい声が聞こえそうだが。。

*

*

◆題字は書道家でもあるアンディ・ラウの書。

◆「墨守」という言葉は現代も辞書に残っていて、墨家の存在が歴史上の事実であることを証明している。

《中国で、思想家の墨子が、宋の城を楚(そ)の攻撃から九度にわたって守ったという「墨子」公輸の故事から》自己の習慣や主張などを、かたく守って変えないこと