愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

産経の主張:明治150年/「独立自尊」を想起したい/国難乗り越えた先人に学ぼうという妄想と珍論を日本の知力で糺す時!憲法平和主義履行の政府をつくる時!

2018-01-03 | 産経と民主主義

産経の歴史偽造と無知による妄想を糺す!

そもそも連合国軍総司令部のスタッフはどこの国だったか?

薩英戦争の結果、攘夷から討幕に路線を転換した!

中国・北朝鮮を攘夷とするなら、安倍政権打倒・憲法を活かす政権構築に路線転換だな!

日本が植民地名ならずに済んだのはインド・中国の民衆の植民地反対闘争のお蔭!

鹿鳴館外交は一体全体何だったか!

鹿鳴館外交と日米核兵器軍事同盟路線は一体だな!

福沢諭吉の『学問のすすめ』の冒頭は、どこの国の言葉を引用したか!

福沢諭吉の「脱亜」論がアジアに何をもたらしか!

日本人のアイデンティティーとは2千年の歴史の中に脈々と流れている

701年大宝律令以後の民衆のたたかいの歴史を学ばなければならん!

日本の歴史の大道に自由人権民主主義があり、憲法平和主義の歴史を学ばなければならん!

抑止力の一環である敵基地攻撃として歩んだ道が1945年8月15日だった!

抑止力論によって残虐な兵器が使われヒロシマ・ナガサキの虐殺が行われた!

沖縄の県民は戦後一貫して国家の権利の制限としての植民地常態ではないのか!

抑止力のためにガマンしろ!というのか!

産経の核兵器軍事抑止力論のデタラメと無知と腐敗・不道徳は断罪されなければならない!

戦後自民党政権によって形成された国内の疲弊=「国難」を克服するためには

憲法を活かす政権を構築する以外にはない!

国民を欺く安倍・産経派の妄想と珍論を日本の知力で克服する時だ!

 産經新聞     明治150年/「独立自尊」を想起したい/国難乗り越えた先人に学ぼう  2018/1/3

明治の改元から今年は150年となる。日本が進むべき道を、先人の足跡に見いだしたい。
異国の船が日本に押し寄せた幕末と現代は、よく似ている。
開国を求めて横浜沖に船を泊めた米国のペリー艦隊は、母国の記念日に100発以上の祝砲を放った。砲艦外交にほかならない。攘夷(じょうい)の機運が高まり、薩摩藩と英国艦隊の薩英戦争などが起こって外国の砲弾が国土を撃った。
現代、中国の公船が尖閣諸島周辺に押し寄せている。北朝鮮のミサイルがわが国の上空を飛び、あるいは日本海に落下している。
≪外圧にどう向き合った≫
今年も北朝鮮と中国の脅威は増すことになろう。日本にかかる、あからさまな外圧には、幕末と現代に共通するところがある。国難に向き合い、明治人は何を目指したかを改めて学ぶべきだ。
「今の日本国人を文明に進(すすむ)るは、この国の独立を保たんがためのみ」
この時代の教育や言論の分野で指導的役割を果たした福沢諭吉が、明治8年の「文明論之概略」で記した。西洋文明も完全ではないが、遅れている日本は西洋に制されてしまう、という危機感をあらわにしている。
追いつこう。がんばろう。小さい体で、額に汗を浮かべながら、明治人は刻苦勉励したのだろう。あらゆる分野で「西洋」をひたむきに学んだ。
富国強兵策は、このような文脈で理解されるべきである。国の独立を保つために、ひた走った先人の姿を思い浮かべたい。
国力は増し、日本は植民地にならずにすんだ。日清、日露という2つの戦争を明治人は戦った。2つとも、日本の国防にとって要衝の地となる朝鮮半島の安定化を目指すものだった。戦ってでも、日本の独立を守ろうとした。
明治150年にちなむさまざまな展示会やイベントが、各地で持たれている。それらに足を運んでみるのもいい。明治人の書き残した言葉を読むのもよかろう。
単なる回顧ではなく、先人の精神のなにがしかを学びたい。
近代日本を独り立ちさせるために尽くす心根が、さまざまな事跡や文章から読み取れるだろう。
明治がひとくくりに栄光の時代だったわけではない。急激な近代化により、伝統や環境の破壊が激しくなった時代でもある。
急速な、ときには皮相な西洋化が進むなかで、明治の半ばには日本人のアイデンティティーを探そうとする人たちが現れた。
≪血潮は継承されている≫
陸羯南(くが・かつなん)は、明治22年に新聞「日本」の発行を始めた。創刊の辞では、自らの根拠をなくし、西洋に帰化しようとしているかのような日本人を厳しく戒めている。
「一個人と一国民とに論なくいやしくも自立の資を備うる者は、必ず毅然(きぜん)侵すべからざるの本領を保つを要す」
 陸のいう個人の自立と福沢のいう国家の独立は、同じものといってよい。福沢は「学問のすゝめ」で、「国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶること能(あた)わず」といっている。
明治人は個人と国家の独立自尊を求めた。先人が残した誇るべき財産である。ひるがえって現代はどうか。
最高法規である憲法について考えてみたい。
占領下、連合国軍総司令部のスタッフが大急ぎで草案を作った憲法は、国権の発動である戦争を放棄し、交戦権を認めていない。国家の権利の制限である。
日本人は平和を誠実に希求しており、およそ戦争を求める日本人はいまい。だが、権利を制限される形で制定された憲法をいつまでも頂くことが、独立国といえるだろうか。
国の守りについて、手足をしばっているのは専守防衛という考え方だ。抑止力の一環である敵基地攻撃能力の保有について、正面から継続的に語り合う姿を見ることはない。拉致被害者を自力で救出する手段はないのに、ならばどうするという議論は起きない。
とうに改正されてしかるべき憲法だが、現政権の下でようやく議論は緒に就いた。これを加速させたい。
国難に毅然として立ち向かった明治人の血潮は、現在の日本人にも流れている。現代の国難を乗り越えるため、明治人が見せた気概こそ必要ではないか。(引用ここまで



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