愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

「昭和天皇実録」発表にあたって全国紙は昭和天皇の戦争責任と向き合った社説を書いていない!

2014-09-15 | 歴史

吉田慰安婦証言・吉田福島原発調書と昭和天皇の実録に共通するのは「責任」論だ!

朝日新聞の慰安婦問題に関わる吉田証言と、福島第一原発の被災事故をもとめた吉田調書に対する朝日新聞の記事の訂正について、社長が記者会見を行い謝罪しました。そのことについて各紙が論評したことを踏まえて、今度は、本質的には、同じ側面を色濃くもった昭和天皇の戦争責任に係る天皇の「実録」が公表されたことについて、各紙が論評を発表しましたので、それについて、検証することにしました。

あの15年戦争が開始された柳条湖事件=満州事変とそれ以後の「戦争」について、昭和天皇がどのように関わったのか、そして「聖断」を下して戦争を終結させましたが、その経緯については、すでに公表されている資料などをみると、天皇が「主権者」「現人神」「大元帥」として、戦争を随所にあたって戦争指導していたことは明らかです。その戦争によって「惨禍」がつくられたのも、また事実です。アジア2000万人、日本臣民310万人の尊い命が奪われたこと、また数えきれないほどの財産が失われたことに対する天皇の戦争責任について、天皇自身がどのように言及しているか、「実録」というからには、当然、そのことについて、触れてあるのはずです。またそのことについて、マスコミは追及すべきです。

しかし、そのことについては、日本国民の歴史認識という点において曖昧なまま、今日に至っているというのも、また事実であると言わなければなりません。これは、昭和天皇の戦争責任を曖昧にしてきた大東亜戦争正当化論者たちの不道徳にあることは明らかです。だからこそ、愛国者の邪論は、このことについては、何回となく記事を書いてきました。

そこで、今回、「実録」の公表にあたって、各紙が、天皇の戦争責任問題とどのように向き合っているか、検証してみることにしました。このことは、朝日が慰安婦問題の、いわゆる「吉田証言」の、「真実」について、その態度を曖昧にしたまま今日に至ったことことの意味についてリンクして考えることを強調しておきたいと思います。同時に、朝日をバッシングしている側の視点を使って、この侵略戦争の戦争責任問題に対する評価と連動して検証してみることにしました。

また原発事故対策に追われていた東電と政府のやりとりの事態が明らかになっている「吉田調書」について、朝日のねつ造記事の問題はもとより、政府と東電の「安全神話」政策の誤りに対する評価と大日本帝国の膨張主義に基づく侵略戦争の誤りと正当化に対する評価をリンクさせて検証してみようということです。

この二つの日本国家の存亡にかかわる歴史的事件にあたって、マスコミはどのような立場にたって事件を解明しようとしているのか、そのことが鋭く問われていると思うからです。以下社説を掲載しておきます。そのまえに、以下をご覧ください。

昭和天皇実録(朝日、時事、毎日など各新聞報道から)(作業中) 2014年09月13日 http://blog.livedoor.jp/kouichi31717/archives/cat_23

伊勢神宮と靖国神社-天皇·天皇制のための神社- : 社会科学者の随想  2014年4月15日5680.htmlhttp://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1001743452.html

昭和天皇と軍部の外交センス  http://togetter.com/li/717163

肝心なことは曖昧に!これでは慰安婦・原発安全神話に切り込めないだろう!

「可能な限り」などという姿勢で歴史と向き合う記事を書いていると言えるか!

朝日新聞  昭和天皇実録/歴史と向き合う素材に  2014/9/9 6:00 http://www.asahi.com/paper/editorial2.html
昭和天皇の生涯のできごとを記録した昭和天皇実録を、宮内庁が公表した。昭和天皇にかんする公的資料はもともと限られており、研究や検証は、公刊された側近や政治家の日記やメモ、米公文書などをもとに進められてきた。公表された実録は、天皇の動静を包括的に編集した宮内庁の公式記録といえ、これからの議論の足がかりになる。ただし天皇の発言の直接引用はほとんどなく、できごとを年代順に淡々と記したものだ。各地への行幸や視察については細かい記述があるが、戦争をめぐる自らの責任や退位をめぐる言動などについては、宮内庁の慎重な姿勢がうかがえる
たとえば、東京裁判に向けて退位について考えていたことは木戸幸一内大臣の日記などで知られているが、実録では、退位で戦争責任者の引き渡しを止められるかどうかを木戸氏に尋ねた、との記載があるだけだ。その胸中の揺れは見えにくい。靖国神社がA級戦犯を合祀(ごうし)したことについて不快感を示したとされることも引用はせず、報道した日経新聞の記事にふれるにとどめている。こうした点について、宮内庁は原則的に複数の資料で確認できたことを記載するとの編集方針を説明している。大正天皇実録の公開にあたっては、一部が黒塗りにされ、話題になった。今回、黒塗りの部分はないが、記述の適否を慎重にみきわめた結果ともいえ、あくまでも宮内庁がみた昭和天皇の記録ととらえるべきだ実録は、公表に先立って先月、天皇に献上された。重い歴史の引き継ぎでもある
昭和の時代が教えるのは、選挙で選ばれていない世襲の元首を神格化し、統治に組み込んだ戦前のしくみの誤りだその反省から形成された現代の社会を生きる私たちは、絶えずその歴史に向き合い、議論を深めていく必要がある。実録をまとめるために使われた膨大な資料は、そうした議論の素材となりうるものだろう。終戦直前の侍従長の日記など、これまで知られていなかった新資料も約40点あるという。そうした資料は宮内庁だからこそアクセスできるもので、その収集、記録や管理を担う責任は重い。実録の中では、原典が明示されない記述や、公開されない資料の引用もある。提供者や遺族の意向の制約はあるだろうが、国民の幅広い研究と検証のために、可能な限り、一次資料を公開する姿勢をみせてほしい。(引用ここまで

宮内庁の対応に対して曖昧な論評に終始!歴史の真実に迫ろうとしていない!

歴史の真実に迫らない新聞が慰安婦と原発の真実に迫ることができるか!

毎日新聞 昭和天皇実録/国民に開く近現代史に 2014/9/9 6:00
http://mainichi.jp/opinion/news/20140909k0000m070138000c.html
87年の生涯にわたり、日々の動静や言行を記録した「昭和天皇実録」を宮内庁が公開した。昭和史研究は重要な「時間軸」を得たが、個々の事象の意義づけや実態解明にはまだ余地を残している。これを大きなステップとして、国民に開かれた実り豊かな研究へとつなげたい。
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昭和史など近現代史は深い森に分け入る迷路のように複雑だ。昭和天皇がその中のさまざまな局面でどう判断し、何を語り、事態を動かしたか、あるいは動かし得なかったか。こうしたことに新たに光を当てる期待も担った実録だった。だが、60巻に上る記録には、これまで定説とされてきた史実や構図を大きく変えるものはなかった。
◇平和求める像変わらず
立憲君主制の自制的ルールに立ちつつ、軍部の専横を警戒し、平和を求めて確執もあったという、これまでの昭和天皇像を改めて示したといえるだろう。しかし、その苦悩や迷い、錯誤も含め、もっと具体的に細部にわたる内情や事態の推移がここに明らかになることを求めていたなら、「期待はずれ」の感を持った人も少なくないだろう。この実録は、昭和天皇の肉声や見解表明の記述について抑制的姿勢を通している
大正天皇実録で公開時に一部を伏せて批判された「黒塗り」はしない、としていたが、むしろそれで当たり障りのない記述に傾いたきらいはないか、と指摘する研究者もいる。この点について宮内庁は「発言内容にしても、いったん書いてしまうと、実録に書かれているということでひとり歩きする。個別に慎重に検討し、原則、(昭和天皇の)ご発言についてはその趣旨を記述して、直接引用しない傾向となった」と説明している。しかし、注釈などで工夫の余地はあるはずだ。これまで定説とされてきたような発言でも実録に用いられなかったものもある。また、史料の選択、採否の線引き、基準があいまいで、「恣意(しい)的なようで、とてもわかりにくい」という批判が出ている。典拠の示し方についても問題がある。列記してある文献の日付やページ、章、節などがないため、それがどの部分によっているのか判然としない。これでは後に検証や発展的な研究をしようとしても、大きなネックになる。今回の実録の大きな収穫の一つは新史料の発見である。これは今後の研究発展に寄与するに違いない。宮内庁によると、四半世紀近い年月を費やした実録の作成過程で、使った史料は3152件に上った。そのうち、約40件がこれまで公になっていなかったとみられる。(引用ここまで

読売でさえも、曖昧な公表については批判的!当然!アッパレ!

だが、読売自身の侵略戦争観・天皇の戦争責任については曖昧!

読売新聞  昭和天皇実録/史実解明へ一層の情報公開を  2014/9/9 6:00http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140909-OYT1T50028.html
昭和天皇の事績を編年体で記した「昭和天皇実録」が公表された。実録は、国の歴史を後世に伝える上で、極めて重要な資料である。昭和から平成となって、既に四半世紀が過ぎた。軍国主義の時代から終戦、戦後の復興、高度経済成長へ――。実録は、激動の昭和を振り返る縁よすがともなろう。実録の編纂へんさんは、「明治天皇紀」「大正天皇実録」などに続くものだ。1989年に87歳で崩御した昭和天皇の生涯を60巻、1万2000ページにわたり詳述した。未公開だった侍従日誌をはじめ、約3000点の史料が活用された。昭和史の定説を大きく覆すような記載はないとされるが、昭和天皇の日々の動静が、確たる史料に基づいて記されている。2・26事件や、終戦に至る過程など、近現代史の重大な局面が、正確な時系列で明らかにされたのは初めてだ。新たに発掘された元侍従長の私的日記などにより、昭和初期の天皇の心情や思想も、改めて浮き彫りになった。宮内庁は当初、昭和天皇実録の公開に慎重だった。明治天皇紀は完成から35年後の1968年、明治100年記念事業としてようやく刊行された。大正天皇実録は、未いまだに刊行されていない。2002年以降、情報公開法に基づく請求を受け、開示されたが、天皇個人に関わる記述が黒塗りにされた。この措置が批判を浴びたため、宮内庁は昭和天皇実録の全面公開に踏み切った。天皇実録が、国民にとって大切な資産であることを考えれば、妥当な措置だろう
しかし、戦後に関しては、「A級戦犯」の靖国神社合祀ごうしに対する感想など、昭和天皇の言葉が具体的に紹介されていない部分が目立つ。宮内庁は「個々の場面で総合的に判断した」と説明するが、肩すかしの感は否めない。今後、史実の解明をより進めていくためには、実録の編纂に使用した侍従日誌、女官日誌などの開示が欠かせない。「お手元文書」と呼ばれるこれらの史料は、天皇や皇族に代わって宮内庁職員が作成した私的文書と位置づけられ、情報公開請求の対象外となっている。ただ、実録編修に使用したお手元文書の写しは、公文書として情報公開請求の対象となる。宮内庁は、開示について「個々に慎重に判断する」方針という。重要な公的記録は、積極的に開示すべきだ。宮内庁には一層の情報公開が求められる。2014年09月09日05時03分 Copyright©TheYomiuriShimbun 引用ここまで

「平和を希求し国民と苦楽を共にした昭和天皇の姿」という論評自身が今回の朝日と同じ立場だ!

「戦禍で傷つ」けたのは誰か!産経は事実を逆さまに描いてゴマカシている!大ウソ!

その責任を国民に語らず「国民を励ます」ということは許されるのか!

朝日を批判する資格まるでなし!ここに産経の本質が浮き彫りになる!

産經新聞  昭和天皇実録/「激動の時代」に学びたい  2014/9/9 6:00
http://sankei.jp.msn.com/column/topicslist/../../life/news/140909/imp14090905000005-n1.htm
宮内庁が編纂(へんさん)した「昭和天皇実録」の内容が公表された。昭和天皇の誕生から崩御まで87年余、1世紀近い事跡を記した初の公式記録である。特に即位後、64年にわたる昭和は、先の大戦を経験し敗戦から復興を遂げた苦難の時代だった。とりわけ終戦の決断は、昭和天皇でなければ望めなかったといわれる。昭和天皇を中心にまとめられた史料を虚心坦懐(たんかい)に読み、国のあり方を考える契機としたい
昭和天皇実録は61巻、1万2千ページ余りにのぼり、来春から順次公刊される。3千点以上の資料を基に、その日の昭和天皇の動静などを客観的に記述している。実録の全体を通して改めて浮き彫りになったのは、平和を希求し国民と苦楽を共にした昭和天皇の姿である。注目された終戦の「ご聖断」までの経緯では、ソ連軍が満州侵攻を開始したとの報告を受けた直後に木戸幸一内大臣を呼び、鈴木貫太郎首相と話すよう指示を出したことも書かれている。終戦直後の退位問題にも触れている。木戸内大臣に、自らの退位により戦争責任者を連合国に引き渡さずにすむか聞いたことや、極東軍事裁判の判決を前に退位が取り沙汰された際には、退位せず責任を果たす意向を示したことも記述された
昭和21年から29年にかけ、戦禍で傷ついた国民を励ます全国巡幸は約3万3千キロに及んだ。天皇は一人一人に生活状況を聞くなど実情に気を配った様子も分かる。国民が一体感を持ち、奇跡ともいわれる復興を遂げた当時のことを多くの人に知ってもらいたい
幼少期の手紙や作文なども初公開された。これまであまり知られていなかった逸話もある。昭和天皇をめぐる歴史的資料はこれまでも多く見つかり、研究が行われている。今回、新たな側近の日記なども発見され、さらに研究が進むものと期待されている。24年かけて編纂に当たった関係者の労を多としたい。平成になって四半世紀余りが過ぎ、激動の時代を身をもって体験した世代も少なくなりつつある。来年は終戦70年の節目を迎えるが、国をいかに守り繁栄させていくかなど、昭和から引き継いだ宿題もなお多い。貴重な記録が映し出した時代から学び考えていきたい。(引用ここまで

天皇主権下では天皇の裁可なくして戦争を開始することはできなかったことを曖昧にしている!

天皇個人の問題ではない!国体護持のために戦争を指導した天皇の直視しない社説!

黒を白とする社説だ!桐生悠々は泣いているぞ!いや嗤っている!

中日/東京新聞  昭和天皇実録/未来を考える歴史書に  2014/9/9 8:00
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014090902000142.html
昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容が公開された。日中戦争や太平洋戦争に苦悶(くもん)した実像が記された文献といえる。百年、二百年先の未来を考えるための国民の資料と考えたい。
実録の中には、いわゆる「黒塗り」部分がなく、口語体で書かれている。国民に公開することを前提としていたのだろう。象徴天皇制を定めた日本国憲法第一条には「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と書かれている。条文に則(のっと)った考え方だと評価できる大正天皇の実録には「黒塗り」があることを踏まえても、従来の実録は後の天皇に対する門外不出の報告書で、公表は想定されていないものだった。今回は出来上がるとほぼ同時に公表された。やはり国民を強く意識したからだろう。未公開資料が多いのは、極めて重要な文献資料となる。意義は大きい。
ただ、日本の近現代史を根本から覆すような新事実はないとみられる。今回の公表でも明らかになっていない事実が潜んでいる可能性がある。実録の基となった資料でまだ公開されていないものもある。これらを公開し、検証可能にすることが今後の課題だろう
大きな戦争の時代を生きた昭和天皇であったために、さまざまな場面での発言が重みを持って伝わる。一九三七年の日中戦争直前、宇垣一成陸軍大将に「厳に憲法を遵守(じゅんしゅ)し、侵略的行動との誤解を生じないようにして東洋平和に努力するように」と語った−。四一年に対米戦争に踏み切ったときは今回の開戦は全く忍び得ず」と詔書に盛り込むように希望した−。四五年八月の御前会議では「戦争を継続すれば(中略)国家の将来もなくなる」と終戦の聖断を下した−。戦争に苦悶する昭和天皇の姿が浮かび上がる。
現在の日本国憲法についても「戦争放棄の大理想を掲げる憲法に、日本はどこまでも忠実でありたい」とも述べている。一方、戦後に昭和天皇が米軍による沖縄占領の継続を希望したと記した米国の報告書も引用されている。「占領は米国の利益になり、日本の保護にもなる」と考えたとされる。果たせなかったが、沖縄訪問を強く望んだのも、天皇が沖縄に抱いた贖罪(しょくざい)の意識の反映ではなかろうか。来年は戦後七十年を迎える。再び戦争の悲劇を招かぬよう、昭和という時代の歩みを振り返って、未来につなげたい。(引用ここまで


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