愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

6.23慰霊の日のもう一つの視点、日米軍事同盟第10条を考え独立を考える日!大西照雄氏を受け継ぐ!

2013-06-23 | 憲法を暮らしに活かす

先日「赤旗」に沖縄の非暴力平和を掲げ、辺野古でたたかっていた大西照雄氏が亡くなったとの記事にありました。この大西氏のブログと平和新聞の通信には、いつも励まされていました。大西氏が6.23を前に永眠されました。大変残念なことです。年齢を考えると、まだまだ、活躍していただきたいと思っておりました。

沖縄のたたかいに連帯する意味を込めて、氏の文章を掲載し、氏の掲げていた展望を受け継ぐ決意を固めようと思い、この記事を書くことにしました。

今日の安倍首相の慰霊の日の「言葉」の無味乾燥なこと、この上もない偽善でした。そもそも、よくも沖縄に行けるよな、ということです。「屈辱の日」を「主権回復の日」として「お祝い」したこと、オスプレイ配備を強行したこと、日米合意はウソであったこと、参議院選挙に二枚舌公約を発表したこと、このことだけでも、沖縄に足を運ぶことはできないはずです。鳩山元首相の公約違反を追及していた自民党と安倍氏の政治家としての資質と人格が問われなければなりません。 

沖縄の負担軽減に努力=「目に見える形で」-安倍首相 (2013/06/23-14:34)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013062300090

 安倍晋三首相は23日、沖縄県の米軍基地負担軽減について「(米海兵隊新型輸送機)オスプレイの飛行訓練を県外で行うこと、また空中給油機を山口県の(米軍)岩国基地に移すことも含めて、目に見える形で実施をしていきたい」と述べ、早期実現に向け米側への働き掛けを強める考えを強調した。 2006年に日米両政府が合意した在日米軍再編計画には、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)から空中給油機を岩国基地に移転させることが明記されている。 また首相は、自民党の参院選公約に反して同党沖縄県連が普天間の県外移設を求めていることに関し、「普天間基地の固定化があってはならないとの思いは、県連とわれわれも同じだ」と指摘。その上で「一日も早い普天間移設に向けて努力を重ねていきたい」と語った。沖縄県主催の沖縄全戦没者追悼式に出席後、糸満市内で記者団の質問に答えた。 

沖縄振興めぐり意見交換=首相と仲井真知事が会談 (2013/06/23-16:35)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013062300124

 安倍晋三首相は23日、沖縄県の仲井真弘多知事と那覇市内のホテルで昼食を交えながら約1時間会談した。知事は会談後、那覇空港で記者団に、今年度中に着工する同空港第2滑走路をはじめとする沖縄振興策をめぐって意見交換したことを明らかにした。 また知事は、米軍基地問題に関して「きょうは慰霊の日だから」と述べ、首相との会談では話題に上らなかったことを示唆した。会談には山本一太沖縄・北方担当相、高良倉吉副知事らが同席した。 首相は沖縄全戦没者追悼式出席に合わせて、知事と会談した。追悼式には外相と防衛相が初めて参加。首相としては、内閣を挙げて基地問題に真摯(しんし)に取り組み、地元振興を図る姿勢を示すことで、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に理解を得たい考えとみられる。 

沖縄の負担軽減の真の途は日米安保条約第10条を使うこと、そうして日米平和友好条約を締結すること以外に途はありません。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/jyoyaku.html

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約

日本国及びアメリカ合衆国は、
 両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、
 また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、
 国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、
 両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、
 両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、
 相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、
 よつて、次のとおり協定する。

第一条

 締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。
 締約国は、他の平和愛好国と協同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に遂行されるように国際連合を強化することに努力する。 

第十条

 この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。
 もつとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する。(引用ここまで) 

 

それでは一応大西照雄氏のブログと文書を掲載しておきます。

http://www.geocities.jp/teruo024/

http://teruo024.blog47.fc2.com/ 

辺野古苦節13年の闘いから日米平和友好条約を展望する

名護平和委員会(ヘリ基地反対協議会代表委員)大西照雄

  第二の人生に向かって

名護市民投票(一九九七年一二月)から苦節一三年、普天間閉鎖・返還運動にかかわって二〇年が経った一月二四日、名護市長選挙の勝利に流れる涙を絞っていた。

 高校教師定年退職(○四年三月)、生徒と教師への挨拶は「三八年間、国民の税金で生活し、多くの学びの蓄積を得た。第二の人生は自由人として社会と言う学校で国民へ還元する道を歩む。名護市に基地移設を進める稲嶺知事、岸本名護市長に勝つ人生に向かいます。みなさんは、街角で、新聞やテレビで私に会う機会があるでしょう」と述べた。

軍民共用空港建設 沖縄非暴力の実践

○四年四月一九日、辺野古現場での闘いが始まった。すでに、教室では二一世紀の人類の進む道を「平和の文化」と「生物多様性保全」が地球的課題で地球の片隅での総合が二一世紀の人類の進むべき道と説いていた。テント村を建て座り込みは二一三〇日(「一月一六日現在)、沖縄非暴力の象徴、故阿波根昌鴻翁の遺影を掲げて「愚直」と「不屈」を連帯の日々の心とした。

 九月からカヌーを武器に完全非暴力の海の闘いに入り、ブログ毎日日記「宝の海」を開設、夜昼の闘いに入る。翌年九月二日、軍民共用空港は頓挫する。(『歴史地理教育』○五年五月号「教室の授業からテント村の授業へ」参考)

 ○五年年明け、小泉首相は「辺野古見直し」を言い始め、私は小泉流の弱者への痛みの押し付けが「辺野古内見直し」と規定し、世界的米軍再編成分渦の中で「学際的」共同へ発展させるべく、国際会議などにも許す範囲了で動き、○七年三月国際反基地ネットワーク結成(エクアドル)にも参加する。

なぜ、沖縄なのか 米従属国家の呪縛

 中学・高校の社会科の教科書は、サンフランシスコ条約(以下サ条約)の発効(一九五二年)を「日本の独立」「主権の回復」などと記述し、教師は教える。この誤った教育の負の遺産蓄積が政治・メディアの日米同盟固定論、沖縄への基地押し付け政策の根底にある。

 日米合意見直しと言うのは「日米同盟の変革と末末」(○五年一〇月)「ロードマップ」(工程表○六年五月)の日米外交・防衛閣僚(ニプラスニ)の合意文書のことを言い、国家間の協定・条約ではない。

 簡単にいえば二〇一四年、V字形二本滑走路計画とグアム移転を完了する閣僚間合意である。 

どういう闘いを組むか 環境アセスメントに学際的共同 多面的な組織を立ち上げて

 だとしたら、環境アセスメントの手続き過程で「ロードマップ」を狂わすことだ。すでに、○三年九月「沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団」(個人加盟)を立ち上げ学際的な共同で実績を重ねていた。○七年八月アセス方法書が出される。約五〇〇通の意見書が出され沖縄県環境アセス審査会は知事にアセスやり直しを求めたが、事前調査同様、防衛局はアセス調査を強行した。○九年四月フランスにいて準備書五〇〇〇Pが広告縦覧された報告を受ける。帰国すると監視団の学習、「宝の海」で分析、意見書の書き方・県内外の学習に没頭した結果、約六〇〇〇通の意見書が出され、アセス審査委員会でも準備書批判が噴出した。

 ○九年七月、沖縄生物多様性ネットワークも立ち上げ、さまざまな分野の共同が広がった。二〇一〇年一〇月生物多様性条約締結国会議IN名古屋(COP10)が名古屋で開催される。東洋のガラパゴスと言われる沖縄のやんばるの森(高江)、辺野古のジュゴン・「サンゴの博物館」について、環境の面からも日本が問われる年である。

民主党政権の迷走と名護市長選挙

 普天間・辺野古問題のアセスの過程は、国民がさまざまな分野で政治を動かす動き(年金問題など)のなかで、民主党は自公政権への国民の不満を吸収、普天間の「国外・県外移転」を打ち出し、国民の人気を得て衆議院選挙の勝利が見て来ると、マニフェストで「日米合意見直し」をいい、政権を取ると「辺野古ありき」に変質、ゲーツ・オバマの惘喝に怯えている。

 民主連立政権成立の名護市長選挙では、すでに、新基地反対派の市会議員などは「日米合意見直し」(曖昧で基地容認の危険な政策であることが経過で明確になって来る)を掲げる予定候補に吸い込まれ、候補擁立を断念していた。過去一三年、市民投票、世論調査などで「辺野古建設反対」の民意は確立、持続しているが、知事・市長選挙は三度も負け、それでも、希望を失わず、二二年杭一本も打たしておらず、市長選にも辺野古基地断念の明確な候補が求められた。

 一一・八県民大会への県民の熱い思いも後押し、比嘉靖(元高校教師)が勇気を持って立候補表明、市民的勇気の共有が進み、過酷な選択ながらも「辺野古に基地はいらない」の統一が実現した。

 私は予定に入ってなかった日本平和大会に参加、あらゆる力を各護市長選に結集することを全国にお願いした。民主党連立政権が「五月決定」を決めた翌日(一六日)は、諏訪湖のホテルで在京大手新聞の全ての社説分分析を行い、日米同盟「大本営」報道と規定したが、毎日新聞社説に、それは集約されている。やんばる統一連へのカンパが組織的に、最初に届けられたのは共産党長野県議団であった。ブログ「宝の海」は、連日写真入りで名護市長選挙を発信した。

 県内・県外からの人々で、連日、統一連の事務所はあふれ、苦節一三年、劇的勝利を掴んだ。

名護市長選挙の意義と今後の課題

名護市民は「大切なことはみんなで決めよう」と市民条例を制定、一九九七年一二月二一日市民投票を実施、海上基地を拒否した。政府は憲法に基づく選挙が民意だと主張して来た。

 名護市民は自治的民主主義に加え、今度の市長選挙勝利で憲法の定める選挙による民主主義をも獲得したのである。

しかし、平野官房長官は、沖縄は「地政学的に重要」と発言し、また、名護市長選挙を[斟酌しない]と民主主義否定の醜い姿をさらけ出している。

 民主党連立政権と大手マスメディアは「日米合意絶対論」を正当化するために海兵隊抑止力論を強調しだし、日米同盟基軸・成熟・深化論で日米安保の固定・絶対化の呪縛にしがみついている。

 サ条約は多国間条約で、サ条約三条には、閣僚含意、首脳合意よりはるかに重い。しかしニクソン・佐藤会談で、沖縄県民と日本国民の運動は沖縄返還を実現させたのではないか。

 国際的にも比国、エクアドルも米軍基地を撤去させた。さらにASEAN憲章にみられるように外国軍隊を自国の領土に置かないことは国際的な潮流で、ドイツの外務大臣はクリントン国務長官に核兵器の撤去を求めている。「日米合意」の撤回はオバマと鳩山で軽く成しえることで、やる気の問題である。

海兵隊抑止力は笑止の論理である。辺野古基地建設は単なる普天間の移設ではない。新基地は射撃場演習、弾薬庫、軍港、弾薬搭載場を備えた「悪魔の要塞」である。これらは普天間にない機能であり、辺野古基地はベトナム戦争、湾岸戦争およびイラク戦争への出撃基地、アジア・太平洋への威嚇基地であり、現在、アフガンへ出撃している。

私は目本の平和運動は、「平和の文化」(九九年国連決議)に立ち、.憲法九条の草の根運動も、憲法9条と東南アジア友好条約二条(紛争の平和的手段による解決、武力の威嚇、武力の行使禁止など)などと結合して歩むことだと、辺野古の海上から提起している。私は、高校生から教えられることが少なくない。一九九六年高校生全国平和集会IN沖縄で長野高校生平和ゼミナールの沖縄の高校生への「見て、聞いて、感じて、そして考えて」メッセージに感動した。また千葉の高校生平和ゼミナ~ルの「日米平和友好条約案」を英訳して渡米、ペンタゴン、国務省および議会スタッフに配布した。高校生に教えられて、現安保条約を日米友好条約に変える展望、「アジア・太平洋の平和と友好、非核地帯の連帯的視点も大切だと指針にしている。

 普天間・辺野古問題は安易な道ではないが、悲観も楽観もしない。連立政権は二〇一〇年度予算に在日米軍再編経費一三二〇億円(八三九億円増)を計上(さらに、予備費に普天間移設建設費三五〇〇億円)して辺野古V字計画進めながら、一方で「移設先探し・負担軽減・危険性除去」と「移設案」(グアム・サイパン、佐賀・大村空港、嘉手納統合プラス辺野古陸上などなど)を乱発して、あたかも選択の余地があるように迷走を装っている。今後「分断して統治せよ」を、マスメディアも一体となって、日本米軍総基地化を強めて来るであろう。苦節一三年の歴史も常にそうであった。民主党政権も同じで杜民党も「移設案」を競っているのは、もっと深刻である。日米同盟成熟とは、日米安保条約が、果物同様、腐食の深化が始まっている証しと言える。二〇一〇年は国内的にには新安保五〇年、国際的にも「平和の文化」と「生物多様性保全」に関する重要な課題が目白押しである。辺野古テント村「社会の学校」で授業し、「平和の文化」と「生物多様性保全」を結合して授業している。ブログ毎日日記「宝の海」の発信も六年続いている。闘いは「愚直に」〈新しき明日の来るを信ずといふ∕自分の言葉に∕嘘はなけれど石川啄木〉という希望を失わずに。(二〇一〇年二月一九日 おおにし てるお)

プロフィール

 二〇〇四年高校教師定年退職

 現在、名護平和委員会会長、

 ヘリ基地反対協議会代表委員

著書

  『沖縄の太陽物語』(一九九五年)

 『啄木と沖縄』(二〇〇一年)

  『愚直・辺野古は問う―沖縄非暴力の心』(二〇〇五年)

(長野高教組『教育の広場ながの』一〇年三月号)より

 



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