展望台からの素晴らしい夜景
エリス島訪問の後は、リトルイタリー(イタリア在住者としてはここは見ませんと)やチャイナタウンをぶらぶらしました。リトルイタリーは本当にリトルで、チャイナタウンの方はかなり巨大でした。ローマもチャイナタウン化しているところが拡大中で、中国人の力を感じますね。それに比べ、イタロアメリカンたちはやはりアメリカでもマイペースなんだろうなあ。イタリア料理のレストランや食材を売るお店が並び、サラミやらチーズやらの香りにイタリアを感じました。
エリス島移民博物館の見学で結構疲れていた私たちは、早々ホテルに戻ることにしました。夕食を食べに行くところを考えるのも面倒になっていたので、テイクアウトで済ますことにし、ホテルの近くのお店に入りました。和・洋・中華といった種類豊富な料理をセルフサービスで量り売りをしているお店でした。ダニィはどうもこういうのは慣れないのか、ベジタリアンクスクス料理とフルーツだけを取っていましたが、私はここぞとばかり、和・中華を中心に色々と混ぜて取りました。ただこれはバイキングではなかった。量はそんなにないように見えたのに、レジに行くと二人で30ドル。ダニィは絶対ごまかされたと言っていましたが、ニューヨークの物価だからこういうのこそ高いのかも。私たちのホテルDoubletree Metropolitanのとても近くの結構大きいお店です。いつもレジには中国人風のおじさんがいました。
さて、ホテルで30ユーロの夕食を済まし、リラックス~という気分になっていたところ、ダニィがエンパイア・ステート・ビルに行こうと言う。「今日はもう疲れた~」と言うと、「今日は天気がいいし、天気予報によると後半天気が怪しいから、今日を逃すべきじゃない」との意見。確かに夜景は天気がよくないと意味がない。でも疲れた。迷ってぐずぐずした挙句、やはり後で後悔したくないので「じゃあ、行こう」とコートを取ると、今度はダニィがリラックスモードに入っていました。今度は私が説得する番になりましたが、最終的には出かけました。
キングコングも登ったエンパイア・ステート・ビル。他にも色々な映画に登場しますね。ロックフェラービルの展望台の方が今は人気があるという噂もありますが、私たちはCityPassを購入してしまっていたのでこちらに。でも、世界貿易センターがなくなってしまってから、エンパイア・ステート・ビルがニューヨークで一番高いとどこかで読みました。
展望台へのビルの入り口の前にはたいした列はなく、な~んだ空いているじゃん、と思ったのも束の間。中に入ってからが長かった。まるでディズニーランドの目玉アトラクションのように、中に入ってからもぐるぐる、ぐるぐるとビルの中を列について歩き回されます。そしてやはり荷物検査場が現れて、あ~やっとか、と思うとこれも間違い。この後もまだかなりあります。ダニィはかなりご機嫌斜めで、途中でギブアップしたがりましたが、どうやって抜けるわけ?ということでなだめなだめ頑張らせました。2時間くらいかかったかな。
そのかいあって、100万ドルの夜景は素晴らしかったです。風が強くて少々寒かったけれど。(まだ3月でしたからね。)
さて、この日のハイライトは私てきには次の事件です。並びに並んだ疲労困憊も素晴らしい夜景鑑賞に少々薄れてはいましたが、やはりこの晩私たちは十分疲れてはおりました。ではさてホテルに帰って寝るかと帰路のルートに向かうと、すぐにエレベーターにも乗れました。帰りは随分スムーズなものだと思ったときです。確か展望台は85階か86階あたりだったと思います。エレベータは一旦80階あたりで乗り換えるのですが、80階に着いたときにドアが開かないということが起きました。それでまた展望台の階に戻った方がと誰かがまたボタンを押し、上に上がっていきました。そこではドアは普通に開き、係りの人がいて、ではまた降りてくださいとドアが閉まりました。
で、80階まで降りたかどうかわかりませんが、またドアが開きません。今度は上にも上がりません。誰かが緊急ボタンを押し、「閉じ込められてます~」と連絡はとれたものの、それからしばらく恐怖の時間でした。エレベータの中は満員状態で、動き回れるスペースはありません。(少なくとも私は壁と人に挟まれる感じで、壁にもたれていた分楽だったと思います。)そして、このエレベータが80階までしか行かないようになっているのかどうかわかりませんが、ボタンは1階までありました。あ~もし、急に落下したら。そうでなくても、何時間もこの中にこの状態でいなきゃならなかったらと考えるとパニックします。そう思ったのは私だけではなかったでしょうね。
ダニィは意外と平然としていました。パニックするのが一番危険だからと冗談なんかを下手な英語で言っていました。一人アメリカ人の年配のおばさんも同じようにジョークを飛ばしてみたり、みんなにガムを配ったりと、こういうときは周囲がパニックしたらおしまいなのでそういう人は大きな助けですね。実際、かなり雰囲気が和らぎました。私はそれでも結構パニックしかけていて、心の中で他のことを考えよう、考えようとしてました。閉所恐怖症なわけじゃありませんが、かなり満員状態だったので、考えるとそんな症状が出てきそうでしたから。ダニィの隣にはイタリア人のカップルがいたのですが、男性の方は冷や汗を流していたと後になってダニィが笑ってました。(私もだったよ~。)私の近くには日本人女性らしい人が一人で不安そうにいましたが、私は声をかける余裕もなく・・・。
実際は10分程度のことだったのかもしれませんが長く感じましたね~。「こんなの初めての経験だし、80階に宙ぶらりんだったようなものだしね~」と話すと、ダニィは「初めてじゃないよ」と。ダニィの実家は5階なのですが、以前そこでエレベーターに閉じ込められたそう。確かにたかがマンションのエレベータでも、イタリアでは助けがすぐ来ない可能性が非常に高いし、土日なんかに当たってしまうと、「お気の毒ですが、月曜日まで伺えません」も冗談でなく起こりうる。
こういう話は後になればおみやげ話になりますが、ドアが開いた瞬間は「エレベーターはもうこりごり!」と1階まで階段で降りたいくらいでした。
エリス島訪問の後は、リトルイタリー(イタリア在住者としてはここは見ませんと)やチャイナタウンをぶらぶらしました。リトルイタリーは本当にリトルで、チャイナタウンの方はかなり巨大でした。ローマもチャイナタウン化しているところが拡大中で、中国人の力を感じますね。それに比べ、イタロアメリカンたちはやはりアメリカでもマイペースなんだろうなあ。イタリア料理のレストランや食材を売るお店が並び、サラミやらチーズやらの香りにイタリアを感じました。
エリス島移民博物館の見学で結構疲れていた私たちは、早々ホテルに戻ることにしました。夕食を食べに行くところを考えるのも面倒になっていたので、テイクアウトで済ますことにし、ホテルの近くのお店に入りました。和・洋・中華といった種類豊富な料理をセルフサービスで量り売りをしているお店でした。ダニィはどうもこういうのは慣れないのか、ベジタリアンクスクス料理とフルーツだけを取っていましたが、私はここぞとばかり、和・中華を中心に色々と混ぜて取りました。ただこれはバイキングではなかった。量はそんなにないように見えたのに、レジに行くと二人で30ドル。ダニィは絶対ごまかされたと言っていましたが、ニューヨークの物価だからこういうのこそ高いのかも。私たちのホテルDoubletree Metropolitanのとても近くの結構大きいお店です。いつもレジには中国人風のおじさんがいました。
さて、ホテルで30ユーロの夕食を済まし、リラックス~という気分になっていたところ、ダニィがエンパイア・ステート・ビルに行こうと言う。「今日はもう疲れた~」と言うと、「今日は天気がいいし、天気予報によると後半天気が怪しいから、今日を逃すべきじゃない」との意見。確かに夜景は天気がよくないと意味がない。でも疲れた。迷ってぐずぐずした挙句、やはり後で後悔したくないので「じゃあ、行こう」とコートを取ると、今度はダニィがリラックスモードに入っていました。今度は私が説得する番になりましたが、最終的には出かけました。
キングコングも登ったエンパイア・ステート・ビル。他にも色々な映画に登場しますね。ロックフェラービルの展望台の方が今は人気があるという噂もありますが、私たちはCityPassを購入してしまっていたのでこちらに。でも、世界貿易センターがなくなってしまってから、エンパイア・ステート・ビルがニューヨークで一番高いとどこかで読みました。
展望台へのビルの入り口の前にはたいした列はなく、な~んだ空いているじゃん、と思ったのも束の間。中に入ってからが長かった。まるでディズニーランドの目玉アトラクションのように、中に入ってからもぐるぐる、ぐるぐるとビルの中を列について歩き回されます。そしてやはり荷物検査場が現れて、あ~やっとか、と思うとこれも間違い。この後もまだかなりあります。ダニィはかなりご機嫌斜めで、途中でギブアップしたがりましたが、どうやって抜けるわけ?ということでなだめなだめ頑張らせました。2時間くらいかかったかな。
そのかいあって、100万ドルの夜景は素晴らしかったです。風が強くて少々寒かったけれど。(まだ3月でしたからね。)
さて、この日のハイライトは私てきには次の事件です。並びに並んだ疲労困憊も素晴らしい夜景鑑賞に少々薄れてはいましたが、やはりこの晩私たちは十分疲れてはおりました。ではさてホテルに帰って寝るかと帰路のルートに向かうと、すぐにエレベーターにも乗れました。帰りは随分スムーズなものだと思ったときです。確か展望台は85階か86階あたりだったと思います。エレベータは一旦80階あたりで乗り換えるのですが、80階に着いたときにドアが開かないということが起きました。それでまた展望台の階に戻った方がと誰かがまたボタンを押し、上に上がっていきました。そこではドアは普通に開き、係りの人がいて、ではまた降りてくださいとドアが閉まりました。
で、80階まで降りたかどうかわかりませんが、またドアが開きません。今度は上にも上がりません。誰かが緊急ボタンを押し、「閉じ込められてます~」と連絡はとれたものの、それからしばらく恐怖の時間でした。エレベータの中は満員状態で、動き回れるスペースはありません。(少なくとも私は壁と人に挟まれる感じで、壁にもたれていた分楽だったと思います。)そして、このエレベータが80階までしか行かないようになっているのかどうかわかりませんが、ボタンは1階までありました。あ~もし、急に落下したら。そうでなくても、何時間もこの中にこの状態でいなきゃならなかったらと考えるとパニックします。そう思ったのは私だけではなかったでしょうね。
ダニィは意外と平然としていました。パニックするのが一番危険だからと冗談なんかを下手な英語で言っていました。一人アメリカ人の年配のおばさんも同じようにジョークを飛ばしてみたり、みんなにガムを配ったりと、こういうときは周囲がパニックしたらおしまいなのでそういう人は大きな助けですね。実際、かなり雰囲気が和らぎました。私はそれでも結構パニックしかけていて、心の中で他のことを考えよう、考えようとしてました。閉所恐怖症なわけじゃありませんが、かなり満員状態だったので、考えるとそんな症状が出てきそうでしたから。ダニィの隣にはイタリア人のカップルがいたのですが、男性の方は冷や汗を流していたと後になってダニィが笑ってました。(私もだったよ~。)私の近くには日本人女性らしい人が一人で不安そうにいましたが、私は声をかける余裕もなく・・・。
実際は10分程度のことだったのかもしれませんが長く感じましたね~。「こんなの初めての経験だし、80階に宙ぶらりんだったようなものだしね~」と話すと、ダニィは「初めてじゃないよ」と。ダニィの実家は5階なのですが、以前そこでエレベーターに閉じ込められたそう。確かにたかがマンションのエレベータでも、イタリアでは助けがすぐ来ない可能性が非常に高いし、土日なんかに当たってしまうと、「お気の毒ですが、月曜日まで伺えません」も冗談でなく起こりうる。
こういう話は後になればおみやげ話になりますが、ドアが開いた瞬間は「エレベーターはもうこりごり!」と1階まで階段で降りたいくらいでした。