また2か月も投稿をご無沙汰してしまいました。テンプレートの変更され、メッセージやコメントをいただいていた方への返事も失礼しておりました。本当にごめんなさい。急いで返事を書きますが、もうブログに戻って返事を確認していただけないかもしれないと思うと本当に自己嫌悪です。反省。
さて、久し振りの投稿は聖人のお話ですが、実はイタリア語カテゴリーとどちらにするか迷って、聖人のお話に持っていくことにしました。
きっかけはこうです。実は2月の初めごろに背中の下の方にぶつぶつと何か出てきて、物心ついてからアトピーと共存の私は湿疹が出ても「あ~また何か出たか」という程度なのですが、今回のは痒みではなくてどうも痛みなのです。ダニィにも時々出るのと似ているので、もしかして「あれ」かなと思ったら、やはり「あれ」でした。
この「あれ」はイタリアではfuoco di sant'Antonio(聖アントニオの火)と呼ばれている皮膚疾患です。普通、疲れているときや、ストレスを感じているときなどの体が弱っているときに、普段は隠れているこの「聖アントニオの火」が発火するというものです。さて、何でしょう?
はい、そうです、帯状疱疹です。もちろん正式にはイタリアでもl'herpes zosterってなんだかもっと怖そうな名称があります。
私の初めての帯状疱疹体験でしたが、かなり痛いと聞いていたので、想像していたよりは大したことないという実体験でした。範囲が狭かったお蔭かもしれません。時々ひやっとするような痛みが走ることがありましたけど。その前にも新年早々中耳炎らしき症状が出て、耳鼻科にも行ったのですが、なんだか治りが悪かったので、今回はダニィの実家のマンションにあるホメオパシーのクリニックを試してみました。これも初めての体験でしたが、この体験談はまた改めてしたいと思います。結果としては抗ウイルス剤などももらわずに、1週間後には治りました。
さて、この帯状疱疹がなぜ「聖アントニオの火」と呼ばれているのか?当然そういう疑問がわくわけですが、周囲のイタリア人に聞いても答えはまず得られません・・・とはいえ、ネットリサーチによると、この聖人が皮膚疾患に対する守護聖人とされているということはわかりました。ただ「聖アントニオの火」と言ってそれが帯状疱疹の意味にとられるのはイタリアとマルタだけで、他の国、例えばアメリカやイギリスでは丹毒、フランスやドイツでは麦角菌中毒のことを言うようです。
というわけで、聖アントニオのことについて私の本棚の本から調べたことをご紹介します。そうそう聖アントニオと言っても、皮膚病の聖人の聖アントニオはイタリアではSant'Antonio Abeteと呼ばれている聖人で(日本語では聖大アントニウスと呼ばれているようです)、聖アントニオは他にもいます。
聖アントニオの生涯についての歴史的な情報として、エジプトのアレッサンドリアの司教(326-372年)であった聖アタナシオという別の聖人が書き残しています。聖アタナシオは聖アントニオの友人でした。
聖アントニオは251年にエジプトのコマ(メンフィス)に生まれました。18歳のときに両親を失い、20歳には全財産を捨てて、隠者の生活に入ります。隠遁生活の苦行の中でさまざまな誘惑に苦しめられ、克服していくエピソードがこの聖人の最も有名なところでしょう。人間の持つさまざまな欲が怪物や悪魔として表わされ、聖アントニオを攻撃するようすが絵画の題材にもされてきました。
マティアス・グリューネヴァルト(Matthias Grünewald)の「聖アントニオの誘惑」
左下に皮膚病患者のようなのがいますが・・・
苦行者としての生活を続けながら、時には隠遁生活から離れ、彼に従う信徒たちのために自身を捧げました。死を待つ病人や死刑囚に寄り添い、また様々な奇跡も起こしました。
311年、マッシミーノ・ダイア(マクシミヌス・ダイア)皇帝の迫害に苦しめられているキリスト教信者たちを支えるためにアレッサンドリアに戻ります。
晩年は砂漠での隠遁生活に戻り、祈りと小さな畑を耕すだけの最低限の生活を営みました。357年1月17日、106歳という長い人生を終えます。
<その他の情報>
聖アントニオに付随するシンボル:T字型の十字架、呼鈴、豚、火 (絵画などで聖アントニオを見分ける助けになります。)
肉屋、ペットの守護聖人でもあるそうです。
アトピーっ子から今はアトピーおばさんの私は、聖アントニオは重要な聖人でした。ローマには聖アントニオ教会があるのかな。見つけたらまたご紹介します。
ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)の「聖アントニオの誘惑」
さて、久し振りの投稿は聖人のお話ですが、実はイタリア語カテゴリーとどちらにするか迷って、聖人のお話に持っていくことにしました。
きっかけはこうです。実は2月の初めごろに背中の下の方にぶつぶつと何か出てきて、物心ついてからアトピーと共存の私は湿疹が出ても「あ~また何か出たか」という程度なのですが、今回のは痒みではなくてどうも痛みなのです。ダニィにも時々出るのと似ているので、もしかして「あれ」かなと思ったら、やはり「あれ」でした。
この「あれ」はイタリアではfuoco di sant'Antonio(聖アントニオの火)と呼ばれている皮膚疾患です。普通、疲れているときや、ストレスを感じているときなどの体が弱っているときに、普段は隠れているこの「聖アントニオの火」が発火するというものです。さて、何でしょう?
はい、そうです、帯状疱疹です。もちろん正式にはイタリアでもl'herpes zosterってなんだかもっと怖そうな名称があります。
私の初めての帯状疱疹体験でしたが、かなり痛いと聞いていたので、想像していたよりは大したことないという実体験でした。範囲が狭かったお蔭かもしれません。時々ひやっとするような痛みが走ることがありましたけど。その前にも新年早々中耳炎らしき症状が出て、耳鼻科にも行ったのですが、なんだか治りが悪かったので、今回はダニィの実家のマンションにあるホメオパシーのクリニックを試してみました。これも初めての体験でしたが、この体験談はまた改めてしたいと思います。結果としては抗ウイルス剤などももらわずに、1週間後には治りました。
さて、この帯状疱疹がなぜ「聖アントニオの火」と呼ばれているのか?当然そういう疑問がわくわけですが、周囲のイタリア人に聞いても答えはまず得られません・・・とはいえ、ネットリサーチによると、この聖人が皮膚疾患に対する守護聖人とされているということはわかりました。ただ「聖アントニオの火」と言ってそれが帯状疱疹の意味にとられるのはイタリアとマルタだけで、他の国、例えばアメリカやイギリスでは丹毒、フランスやドイツでは麦角菌中毒のことを言うようです。
というわけで、聖アントニオのことについて私の本棚の本から調べたことをご紹介します。そうそう聖アントニオと言っても、皮膚病の聖人の聖アントニオはイタリアではSant'Antonio Abeteと呼ばれている聖人で(日本語では聖大アントニウスと呼ばれているようです)、聖アントニオは他にもいます。
聖アントニオの生涯についての歴史的な情報として、エジプトのアレッサンドリアの司教(326-372年)であった聖アタナシオという別の聖人が書き残しています。聖アタナシオは聖アントニオの友人でした。
聖アントニオは251年にエジプトのコマ(メンフィス)に生まれました。18歳のときに両親を失い、20歳には全財産を捨てて、隠者の生活に入ります。隠遁生活の苦行の中でさまざまな誘惑に苦しめられ、克服していくエピソードがこの聖人の最も有名なところでしょう。人間の持つさまざまな欲が怪物や悪魔として表わされ、聖アントニオを攻撃するようすが絵画の題材にもされてきました。
マティアス・グリューネヴァルト(Matthias Grünewald)の「聖アントニオの誘惑」
左下に皮膚病患者のようなのがいますが・・・
苦行者としての生活を続けながら、時には隠遁生活から離れ、彼に従う信徒たちのために自身を捧げました。死を待つ病人や死刑囚に寄り添い、また様々な奇跡も起こしました。
311年、マッシミーノ・ダイア(マクシミヌス・ダイア)皇帝の迫害に苦しめられているキリスト教信者たちを支えるためにアレッサンドリアに戻ります。
晩年は砂漠での隠遁生活に戻り、祈りと小さな畑を耕すだけの最低限の生活を営みました。357年1月17日、106歳という長い人生を終えます。
<その他の情報>
聖アントニオに付随するシンボル:T字型の十字架、呼鈴、豚、火 (絵画などで聖アントニオを見分ける助けになります。)
肉屋、ペットの守護聖人でもあるそうです。
アトピーっ子から今はアトピーおばさんの私は、聖アントニオは重要な聖人でした。ローマには聖アントニオ教会があるのかな。見つけたらまたご紹介します。
ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)の「聖アントニオの誘惑」