たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

部屋で休めないつらさよ

2018年09月22日 14時14分44秒 | 日記
 曇り空の土曜日、昨日は寒かったのにまた気温があがってきていてわけわかんないですね。昨夜は9時過ぎにお弁当を食べ始めて1時間以上かけてなんとか食べ終えると11時すぎに薬を飲みました。眠剤ではなく、睡眠のリズムを整える薬なので眠気がくるわけではなく効き目がでてくるまでに時間がかかる薬だそうです。結果2時前には就寝して、いちどお手洗いで目がさめたあと朝を迎えたのは8時過ぎ。もう少し眠りたかったのに眠れませんでした。案の定、9時前からすぐ外のベランダや外階段、さらにはドアの前でも作業員たちの物音と話し声で騒がしく全く落ち着きません。排水パイプを取り替えるわけではなく見てくれだけよくするこんな工事で築50年のマンションの資産価値が上がるものなのか、家賃払っているだけの身にはどうでもいいことでとにかく迷惑なだけなので早く終わってほしい、網戸をもとに戻してほしいばかりです。ヘンなオッサンの部屋からはカエルの鳴き声みたいな奇妙な唸り声が丸聞こえだし、激しく掃除機かける音も丸聞こえ。こんな環境のなかで他の人たちよく暮らしているなあって思います。土曜日だというのに自分の部屋で休まらないつらさよ、一日も早く出たいばかりですがつぎの収入の目途が全くないのでどう動けばいいのか全く決められず、気持ちだけ追い詰められつつあります。昨夜はメンタルたちから受けた澱んだものを外においてくるだけの時間的余裕がなくそのまま全部持ち帰って来てしまったのでいっそうちっそくしそうな心持ちでした。それでも疲れていたから6時間も眠れてよかったと思うことにしましょう。しゃくねつじごくの夏をカレンダー通りに出勤し続けた疲れがきています。足腰が痛いです。昨日も訪問で長い坂を上り下りしたのがこたえています。土曜日にお昼前から外に出るのはすごくつらいです。でもとてもじゃないけどいられず荷物が気になりながらもかかりつけ医に行った後、軽くトーストをいただきながら寄り道ブログ中。

 明日は銀座で蘭ちゃんの舞台、水曜日はやっと有給休暇をとって東京宝塚劇場で花組。そのためにこの夏をがんばってきたんじゃないか。メンタルたちのことなんかどうでもいい、人のことなんかどうでもいいです。自分のための時間、この世を生きる楽しみ。今は観劇している非日常の時間がいちばん幸せです、生演奏ならいっそう幸せ感マシマシです。

 こんなぐちばっかりのブログ、訪問してくださってありがとうございます。あとで気をとりなおして観劇日記とか美術館めぐりとか書けるといいな。部屋にはとてもじゃないけど帰れずこれからスパにいってまた一週間の澱んだものを洗い流します。そうしないと身がもちません。残業した分が一円もお金にならないのつらい・・・。

またメンタルな一週間が終わりました

2018年09月21日 23時14分32秒 | 日記
 昨夜もほっとワインから1時少し前に就寝、すごく疲れていたし眠くってすぐに寝ついたようです。朝は携帯アラームで6時30分過ぎになんとか無事に起床。感覚的には木曜日の疲れ方ですが実は金曜日の朝。外は寒かった一日、ついこの間まで熱中症で倒れそうになりながら訪問に行っていたのが嘘のようです。寒い中を訪問するのもまた大変なりの金曜日。今日もまたメンタルな一日となり、疲れました。訪問先でメンタルたちに疲れを感じて、戻ればまたメンタルたちのための電話連絡が入っていたので折り返したり、終業時刻を過ぎてから内線電話が入ったり。三連休前、一円も残業代出ませんが結局記録を書くために2時間30分残業しました。忘れないうちに書いておきたいし、休み明けはまた次から次へと降ってくるので整理しないまま帰ることはできませんでした。こんな大変な事案、アルバイトという雇用形態でやる範疇を超えている、経験のないものには対応しきれない。休み明け、次は何が起こるのやら、標準的な物差しがない対象者から何が飛び出してくるのか、全く予想がつきません。直属の責任者が不在の時に私では対応しきれないことが起こったらどうすればいいのか。こりゃまた希少な事案に携わったものだと思います。人はだれからも愛情を受けないまま大人になると、心は大人になり切れないどころかこんなにいびつになるものなのだと知った事案。『赤毛のアン』のアンは、幼くして両親に死に別れ孤独だったけれど、血はつがなっていなくても無償の愛を注いでくれるマリラとマシューに出会ったことで、家族と呼べる人のつながりができたから心が真っすぐに育っていったんだなって納得しているこの頃。ちっそくしそうな部屋でこれ以上書くのはもうやめましょう。明日はまたこの集合住宅の大規模修繕工事とやらで、足場からベランダに作業員が入ってきてしまうらしい。いやでたまりません。ものすごいストレス。休日を邪魔してほしくない。部屋にいても落ち着かないので起きたらすぐに出かけるしかありません。かかりつけ医のところにいってから、常連のおばちゃんたちがくるとうるさいとわかっているスパに逃げますか。断捨離と部屋の片づけが気になりますが、とにかく部屋にはいられません。今夜はまた寝つきをよくして長く効く薬を飲んで、遅くなり過ぎないように休まねばです。4日間だと早い一週間でした。

 写真は、秋のグリーン・ゲイブルズのアンの部屋。窓からみえているお化けの森の、紅葉、黄葉が静かに輝いていました。身軽になって旅に出たいなあ、久しぶりに飛び立ちたいなあ。

雨の木曜日

2018年09月20日 19時45分03秒 | 日記
 昨夜もほろ酔いとワインから1時少し前には就寝。お隣からドタンバタンと聞こえてくるのを耳栓とエアコンでごまかし、ちっそくしそうになりながらもとにかく疲れているので横になりました。ちゃんと眠れるかしら、明日の朝はちゃんと目がさめるかしら。どちらにしても不安と背中合わせで就寝。結果昨夜は一度お手洗いに起きてからもすぐにまた寝ついて、携帯アラームで目がさめたときは6時45分でした。20分間、5分おきに鳴り続けていたわけで起きるのが辛い朝でした。いつもの通りなんとか間に合いました。ゆっくりお手洗いする時間はありませんけど不思議なことに間に合います。体にリズムがしみついているってことですかね。毎日同じリズムで過ごすって大切。夜中に不定期に大騒ぎされて、いつドタンバタンとうるさくなるかわかんなくってリズムが崩れるのすごく大きいです、ほんとに。

 今日もあれやこれやの一日、次々とやることがふってきてきりがありません。ほんとに大変な仕事。詳しく書けませんけど、権利ばっかり当たり前になりすぎていて感謝とか1ミリもなく、なんでもかんでも出てくるのが当たり前みたいに思うなよ、普通はこれだけのものを苦労して稼ぐんだよ、普通は自分で稼いでいるんだよって思わず言いたくなってしまうことがあって心の底からいやになりました。残念ながら言うことはできませんけど、人は与えられれば与えられるだけそれが当たり前になってさらにだめになっていくという現実。なんでも与えてしまってはだめなんだなあって自分の中で再確認しました。はたまた負の連鎖のすさまじさを垣間見た現実。誰にも愛情を受けないまま育った人は心が育っていない、心が育っていないまま子どもをもってしまったりすれば、子どもが愛情を求めてきてもこたえることができない。結果子どももまた大人たちから愛情を受けないまま大人になっているので健康な心は育っていない、大人になりきれていない。こんなこと言っている自分もいい歳も歳でも大人になりきれていませんが、方法は間違っていたのかもしれませんが子どものころ愛情を受けたのは事実でだからこうしてなんとか自分の足でここまで生き延びることができているんだなあという気づきの一日でもありました。親を選べない子どもが負の連鎖のリスクを背負うことになる。子どもちゃんみると普通のお父さんとお母さんのところに生まれてきてよかったね、って心の中で思うこの頃、子どもちゃんもお父さんもお母さんもがんばれって心の中で応援したくなるこの頃。人は色々です、ほんとに。

 一週間が4日間だとお給料は少ないですが早いです。明日は金曜日。5日間と4日間の違いはとてつもなく大きいです。LPレコードとお別れしようとやっと買い取り業者に申し込んで箱は届いたのに部屋で落ち着かないのでまだ一枚一枚ゆっくりお別れしながら箱に詰める作業ができていません。今度の連休中にできるかなあ、やらねば。どうでもいい各部屋の名前入れをリニューアルするとか、そんなことより早く網戸をもとに戻してほしいです。網戸がないとガラス戸にカギをかけ忘れたとき、足場から中に入られる可能性があるという恐怖感。ほんとに落ち着きません。まだ一か月ぐらい続く模様。早く終わってほしいです。仕事の契約終了とちっそくしそうな部屋の更新。だんだん時間がせまってきているというのになにも決められません。10月は気がつけば宝塚三昧。舞台三昧。心の栄養補給三昧。明日は明日の風がちゃんと吹くと信じるしかないです。

 雨の木曜日、アスファルトの道がしっとりとなっているのをみるとなぜか少しばかり心が落ち着きます。明日は朝から面談の約束、午後は慣れない施設訪問。今夜も無事に眠れますように、無事に出勤できますように・・・。
 

空を見上げれば秋の月

2018年09月19日 22時59分21秒 | 日記
 昨夜はほろ酔いと少しのワインから1時少し前に就寝、気がつけば携帯アラームが鳴るまで一度も目がさめることなく眠っていたようです。それでも眠くって眠くって、連休明けのまだ二日目なのにお昼過ぎ、なんだかすごく疲れるなあと思いました。やたらと心身がそがれるばかりの仕事、当然の権利をあまりにも当然の権利として権利ばっかりになっているどうしようもない人たちが多すぎるのに虚しさを感じる仕事、いやになっちゃう仕事。その中にもほんの一部希望があるからやっていられますが、きつい仕事。そのわりにはお給料安すぎ。また社会から孤立する日々があと1カ月と三週間ほどでやってくるというのに今が精一杯でなにも決められず、今こうしていることが私の人生にとって正解なのか不正解なのかわからないまま一日一日と過ぎていきます。たぶんすごく疲れているんだろうなあと思います。灼熱の夏をカレンダー通りに超えた8月。そりゃ疲れるよ。かといってこの部屋では休まらず、また失業給付を受けながらこの部屋で暮らすことなど考えられず、でも身動きとることができないまま過ぎていく毎日。少しずつ少しずつ荷物減らし、いちばん場所をとっている紙を減らしていく毎日。帰り道、陽が短くなってきたなあと空を見上げれば秋の月、父が逝った9月、妹が逝った9月、買い物して帰ってくる道すがら、ふっともう会えないんだなあって、ふっと思いました。弟がいるけど私が家に戻ったとしたら受け入れられるのか、どうなるのか。これからどうやって歳をとっていくのか、ふっと不安にかられました。考えても仕方ないことは考えても仕方ないので考えないようにしていますけど、ふっと思ってしまいました。この部屋でこうしてブログを書いていても落ち着かなくってちっそくしそうな感じになってきてしまうのでこのあたりでやめておきます。

 明日は気温がぐっと下がる予報ですが湿度が高いのでまだ軽装で大丈夫なのかな。きつすぎる冷房に負けないように何枚も重ねているしひざ掛けを持ち歩いているし、いつも荷物いっぱい。きつすぎる冷房はほんとにお腹痛くなって具合悪くなってしまうんです、わたし。いつ朝の電車で具合悪いお客様になるかわからないわたし。毎日毎日今夜は眠れるのかしらと不安なわたし。お隣の夜中のドッタンバッタンに対する唯一の報復は朝7時前スマホにダウンロードした花組の音楽を音量少し大きめで流すこと。それも日中行く場所があるからできること。居場所をなくすのはおそろしいです。これからどこでどうやって生きていけばわからないです。訪問の約束とか面談の約束とかするたび、自分ほんとに無事に出勤でkるかしらと不安と背赤合わせの毎日。今夜も無事に眠れますよに、明日も無事に出勤できますように・・・。

 気がつけばハロウィーンの季節。プリンス・エドワード島のハロウィーンがなつかしくなります。この世にいる間にもう一度いきたいです、プリンス・エドワード島。


連休明け、怒涛の一日

2018年09月18日 22時56分20秒 | 日記
 昨夜はスパに行ったらどっと疲れが出たようで遅くなり過ぎないように帰ってきて部屋でちっそくしそうになりながら軽く晩御飯、すごく眠かったですが眠れなかったらどうしようっていう不安にかられて眠剤を飲み、たぶん一時少し前に就寝。結果今朝携帯アラームでやっと目がさめた時は6時45分でした。また週明けから遅れるわけにはいかずなんとかいつもの電車に間に合いました。

 連休明けわかってはいましたが怒涛の一日でした。次々と電話が入るので1時間もあればやれるはずだった事務作業が11時を回っても終わらずもうとにかく回すしかないとテキトーにやりました。そこまでやれないのでここらへんでいいやっていう線引きをしました。それから事務作業をやるもあれもこれもと守備範囲が広すぎて頭がしびれてきました。加えて普通に人が普通に考えたらそんなことあり得ないでしょ、わたし子どもを産んだことないですが普通に考えてそんなことあり得ないでしょっていう現実に具合が悪くなって吐き気がしてきそうだし、苦労して働いている私の手取りと変わんないぐらいの不労収入がある上に至れりつくせりで周囲が心配してくれいるなんてありがたいことなのに一ミリもわかっていないんだろうなあっていう現実にいやになってしまったりしながらの一日でした。一円も残業代つきませんがきりのいいところまでやっていかないと帰れないので残業しました。それで朝遅刻したら笑っちゃいますね。

 今日もこのちっそくしそうな部屋で緊張しながら過ごしています。上の部屋からドスンドスン。隣のチャラ坊は今日は遅い時間にドタンバタン。昨夜もすっごい遅い時間にすっごいでかい音でドアを閉める音、出て行ったと思ったらすぐ帰ってきたのでごみ出しだったみたい。ってことは朝起きていないっていうことなんですよね。さっきもまたでかい音でドタンバタン。いなくなったと思ったら、でもすぐ帰ってきちゃうの。こうやって夜遅くに落ち着かないの働いていないからだよね。学生だからでしょ、忙しくないの?学校行かないのかえ?はあ、かんべんしてほしい。ヘンなおっさんとお向かい同士、平日も土日祝日もずっと部屋にいる?模様。あと1か月と三週間ほどでまた失業者となったときまた失業給付を受けながらこの部屋で暮らすなんてあり得ません。どうすればいいのか全くわかりません。人の心配する仕事に全力投球している場合ではないという忠告を受けましたが全力投球にならざるを得ません。慣れないことばっかり、知らないことばっかり、次々ときりがありません。全力投球してもこんなに安い給料ではなにも報われません。高い志と熱い思いをもってやるほどの仕事でもありません。仕事にそんなに情熱的な思いなんていらないんだなって、そうでないとやれない仕事もありますが、もちろん。この仕事にはそんなもの別にいらないです。そのわりには大変すぎます。システムの字が小さすぎて目がみえなくなってきてしまうし、部屋のこの大きいパソコンならまあまだ楽ですが小さすぎる文字はつらすぎます。ほんとは外でブログ書くのもモバイルパソコンでは見えづらくって目にこたえています。それでもブログはやめられません。いつかつぶれるかな。おそくなってきたので休まねばですね。
 
 今夜も無事に眠れますように、明日も無事に出勤できますように・・・。

 すっごいドタンバタンの音、落ち着きません、ほんとに、丸聞こえ。出て行ったと思ったら帰ってkちゃうの、聞こえなければ関係なないですが・・・。夜ほど雨降ってほしい。今夜もちっそくしそうな部屋で緊張しながら過ごす夜です。


2018年『モーツァルト』_コンスタンチェのこと

2018年09月17日 17時01分10秒 | ミュージカル・舞台・映画
2018年5月26日(土)




2018年6月9日(土)




2018年6月24日(日)




 2018年『モーツァルト』、帝国劇場での最後の観劇から早3か月近くが過ぎようとしています。ゆんヴォルフガングはすでに次の作品でフェルセン伯爵になっていて博多座は盛り上っているようですが、わたしの心はまだまだモーツァルト。カーテンコールあとの生オケが体に沁みて沁みて、心の底から生きていてよかったと思えた幸せなひとときでした。思い出すのはエピローグから観客の心をぐっと捉えていく楽曲と圧倒的なコーラス、「神がつかわした奇跡の人~♪」、皇帝の御前でピアノを弾くアマデ。大人になってからも幼い頃の自分の影アマデから逃れることができなかったモーツァルト、大人になり切れなかったモーツァルト。山崎さんヴォルフガングはありあまる才能をもちながら、ありあまる才能にもてあそばれもがきながら生きたモーツァルトの姿を、不器用にしか生きられなかったモーツァルの姿を、同時に後世まで残る楽曲をかいた天才モーツァルトの姿を、安定の歌のうまさであますところなく魅せてくれました。古川さんヴォルフガングは自由奔放で無邪気なモーツァルト。ママが亡くなったあと、パパが亡くなったあと、「ろうそくの灯りみたいに消えた」「世の中は何も変わらない」「残酷な人生、ゆがんだ世の中~♪」と打ちひしがれる姿に共鳴してしまいました。涼風さんヴァルトシュテッテン男爵夫人はどすのきいた歌声。
タータンヴァルトシュテッテン男爵夫人はどこまでも柔らかく包み込むような歌声でしびれました。歌に芝居をのせていく力のすごさに圧倒されました。こんなにキラキラさせる必要があるのかしらというぐらいキラキラなドレスを着こなせるのはさすがでございました。宝塚時代を知らない人は男役だったってびっくりするかな。タータンが退団後にここまで舞台活躍するとは思いませんでした。安定の実力。祐一郎さん、市村さん、阿知波さん、役者がそろい過ぎた舞台の中で2014年、2018年を通して一番わからなかったのがコンスタンチェでしたが、5回観劇してようやくコンスタンチェがわたしの中に降りてきた感です。

 コンスタンチェ、たまたまヴォルフガングとヴァルトシュテッテン男爵夫人のダブルキャストのどちらもみたいとチケットを取った結果、5回とも平野綾さん。だから他のキャストどう違うということはわかりません。ただ2014年と2018年を比べたとき、平野綾さん自身が4年の歳月を経てすごく成長されたなあと感じました。2014年はダブルキャストのソニンさんと比較して辛口な批評もあったとSNSで目にしました。ご自身のブログによれば『レディベス』のオーディション時に『モーツァルト』のことを知って、モーツァルトの方が先にキャスティングされることが決まったとか。平野綾さん、役の振り幅がすごい。去年秋の『レディベス』、今年1月の『ブロードウェイと銃弾』、そして『モーツァルト』、歌が上手いのは言うまでもありませんが上手いのと役を生きるのとはまた違うわけで、ただ上手いっていうのとも違う。平野さん自身の中にコンスタンチェという役が今回はさらに深く入り込んでいってコンスタンチェそのものを舞台の上で生きたのかなと。不思議なことに4年前よりもヴォルフガングと出会った頃のコンスタンチェは若くて可愛かったです。一幕と二幕の冒頭、未亡人となり再婚したあとの黒ずくめの衣装で、震えながらモーツァルトの墓をさがす姿で登場。そこからヴォルフガングと出会った頃の少女へと戻り、すれ違っていくまでを演じきらなけばなりません。年齢の振り幅をくっきりと出すことを今回は意識しながら演じられたとか。ヴォルフガングと出会った頃、ほんとにヴォルフガングのこと好きだったの?なんか打算があったんじゃないのっていう違和感が4年前はあったのですが、今回は
3回の観劇を通して、ヴォルフガングに初めてであった時どんな人なのかしらって興味しんしんな姿に、すっとほんとにヴォルフガングのこと好きになったんだってはいってくるようになりました。ちょっと頭が弱くって、勉強嫌いで努力ができなくって、そんな自分にもどかしさを感じているコンスタンチェ。夫は作曲家、インスピレーションを与えなくてはとがんばるコンスタンチェ。いちばんのナンバー、「ダンスはやめられない」。いきおい余って薔薇の花を投げたり、ワイングラスを飛ばしたりと精魂込めて全身で歌われていました。これだけ歌えると気持ちいいでしょうね、でも上手いだけじゃない、コンスタンチェとして舞台で生きて歌われていました。二幕でヴォルフガングとすれ違いはじめ、「今は魔笛仕上げなければならないんだ。出て行ってくれ」とヴォルフガングに拒絶されるコンスタンチェ。貧乏な頃の方がよかった、お金持ちになった、「全部つかっちゃたけどね」っていう時の言葉の響きに、コンスタンチェの寂しさとむなしさがにじんでいるように感じました。聡明とは言えないけれど、一生懸命にヴォルフガングを愛したコンスタンチェの姿がようやくわたしの中にすっと降りてきた2018年『モーツァルト』でした。平野綾さん、応援したくなるようなな可愛らしいコンスタンチェでした。年齢大丈夫、またやっていただきたい。わたしの中でコンスタンチェ=平野綾さんかな。

 まだまだ書きたいような気がしますが長くなったので今日はこれにて。


山崎さんヴォルフガングと平野綾さんコンスタンチェ。
(東宝の公式FBより転用しています)





 これからお風呂に入って先週の澱んだものを洗い流します。もうすぐまた日中の居場所を失います。人の心配している場合でないのですが、援助職が実は自分すごく不安定なんてすごくおかしな話だなあと思うのですが今が精一杯。またすごい一週間が待ち受けています。

宝塚歌劇in東京スカイツリー_展望回廊_輝きの奇跡展より(4)

2018年09月17日 12時54分23秒 | 宝塚
宝塚歌劇in東京スカイツリーより、わたしは回りませんでしたけどスタンプラリーの台紙、











展望回廊の輝きの軌跡展より、愛希れいかさんのマリー・アントワネットの衣装。






妃咲愛里さんのマリーの衣装。





お二人とも細くって腰の位置が高くって可愛くってお人形さんみたい。
華やかな衣装を着こなせるビジュアルとスタイル、娘役さんの醍醐味ですね。
目福、癒されます。


部屋でちっそくしそうになっているのでもうそろそろまた逃避行しようと思います。
(ヘンなうめき声きこえてくるの、ぞっ・・・)
その前になんとか断捨離中の息抜き投稿でした。
やっとまた書けました。


やっと『モネ展』に行ってきました(2)

2018年09月16日 19時09分53秒 | 美術館めぐり
 気がつけば友達も家族もいないまま年を重ねてしまい今日も一人で過ごす休日。特に会いたい人はいません。今日もこうしてブログに語りかけるのが日課。昨夜はようやく8時間睡眠。訪問でやられた足腰が痛いし、日頃の疲れが出て動けませんでした。夕方になってからまた逃避行中。掃除やら洗濯やら部屋の片づけができていないのですが、お隣さんもヘンなオッサンもずっといるのでちっそくしそうになるばかりでどうにも落ち着かず、最低限だけなんとかこなす日々。昨日の『モネ展』を忘れないうちに書きとめておきたいと思います。

 土曜日の夕方、通常は17時までのところを20時30分まで開いていたので親子連れも多く賑わっていました。小学生のうちからこんなに心豊かな時間を一緒に過ごすことができるお父さんとお母さんのもとに生まれてくることができた子どもちゃんたち、ほんとによかった、楽しんでね、ってひそかに思っていました。子どもは親を選べないですからね・・・。それはさておき、モネの作品がこんなに日本の美術館にあると知りびっくり。モネの作品25点のうち、海外らかの発出展は2点、それ以外は全て日本各地の美術館が所蔵している作品でした。




クロード・モネ《睡蓮》
1906年 油彩 キャンヴァス 81.0×92.0㎝
吉野石膏株式会社(山形美術館に寄託)

 一番のお気に入りとなったのはこちらに掲載されている1906年制作の「睡蓮」。吉野石膏株式会社所蔵(山形美術館に寄託)とあります。チケットにも使われている、明るく優しい作品。モネは1926年に86歳で亡くなったので晩年に差しかかった頃の作品ということになります。モネの作品は少し離れてみるのがいいというのは2015年の『モネ展』で体験済みですが、この作品もみる位置によって色合いがちがってみえる不思議さがありました。すこーし離れてみると池に淡いピンク色の雲が映っているのがわかってすごくきれいでした。さらにすこーし離れてみると淡いピンク色と紫色の水面に、睡蓮の葉がぽっぽっぽっと浮かんでいるのがよりくっきりみえてすごくきれいでした。ずっとみていたい、みていられる作品。

 

チケット。





絵葉書を購入しました。



 モネの作品は筆の力がすごいということを再確認した展示会でした。ロンドンシリーズ3作品、あえて並べず後年の画家たちの作品の間、間にモネの作品に出会えるように配置したという学芸員の方の話でした。モネは人生の後半、ロンドンを繰り返し訪れては膨大な数の絵を描いたそうです。パリからロンドンへ、当時は船旅でしたかね。ロンドンにはロンドンという名前の駅はなく、行く方面によって出発する駅がちがっていました。チャリング・クロスという駅からスコットランド方面に向かったことをふっと思い出しました。20年以上前ですが地球の歩き方みながら一人で必死でしたからね、体がおぼえているみたいです。

「チャリング・クロス橋」、1899年制作_メナード美術館所蔵

 霧に包まれたロンドン、国会議事堂が淡くぼやっと描かれていました。テムズ河の水面のゆらめきが美しい作品でした。

「テムズ河のチャリング・クロス橋」、1903年制作_吉野石膏株式会社所蔵(山形美術館に寄託)

 テムズ河を渡る汽車の煙、テムズ河の水面のゆらめきが美しく、躍動感にあふれた作品でした。1899年の作品よりもぐっと深みが増していると思いました。ふたつめの展示室へ入ると最初に目に飛び込んでくるように配置されていたのがよかったです。

「霧の中の太陽」、1904年制作、個人蔵

 朝のテムズ河のゆらめき、のぼってきた太陽が反射しているのが少し遠くからみるとよくわかりました。モネは絵の具を混ぜるのではなくそのままキャンバスにのせていったので、きれいではなく筆のあとがそのまま残る描き方をしたという学芸員の方の話でした。筆の力で描かれた作品。これまたみる位置によって見え方が違っていて不思議でした。せまい美術館の中ですが少しずつ少しずつ離れていくと、より躍動感にあふれたテムズ河の水面のゆらめきがくっきりと美しくみえてくるのでした。筆のあとが残る描き方が生み出す不思議さ。

 モネの作品から伝わってくるのは躍動感、あふれるような生命力、生きるエネルギーでした。初出展作品についても書きたいですが長くなってきたのでまたあらためます。

 


たいしたことありませんが、パリのオランジェリー美術館を訪れた思い出の記事はこちらからご覧ください。

2015年12月26日の投稿_2008年9月12日パリ・オランジェリー美術館
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/465ccfe1818f138c80705cc10e31b028

モネの「睡蓮」に包み込まれたような時間でした。
パリまで行かないと体験することができません。一週間あれば往復してホテルに5泊して美術館めぐり。マイナスを補填できないまま、大会社から使い捨てにされたのでそれだけの稼ぎをなくしてしまいました。この世にいる間にルーヴル美術館もオランジェリー美術館も行くことはもうできないかな。行きたいと思ったときに行っておいてよかったです。

やっと『モネ展』に行ってきました

2018年09月15日 23時23分53秒 | 美術館めぐり
2015年12月1日、『モネ展』より_睡蓮https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/fefac1467315a444414904b731e54046

 日頃の疲れがきている土曜日、日頃が悪夢のように思える土曜日、訪問ですっかり疲れている足腰が痛みますがなんとか『モネ展』に行ってきました。今日は8時30分まで開館。夕方には学芸員によるギャラリートークもあって4時間ほど過ごしました。足は痛くってたまりませんが心は満たされました。前回日本でモネ展をみたのは2015年の晩秋のことでした。社会から孤立して苦しみ抜いている日々のなかでモネの作品に包まれた幸せなひと時を過ごしました。パリのオランジェリー美術館を訪れたのは2008年9月のことでした。壁一面の睡蓮の絵に包まれて幸せなひとときでした。過去2回のモネとの出会いを思い出しながら過ごした美術館でのひととき。モネの絵は筆の力がすごいのだとあらためてわかりました。苦渋の中からなお立ち上がって筆をとったモネの最晩年の作品群は特に生命力にあふれていました、モネのエネルギーがそのまま伝わってくるようでした。躍動感と生命力にあふれたモネの作品たちは100年が過ぎた今も生き生きとしていて鑑賞者の心をとらえてはなしません。観る距離によって見え方が違ってくるのでいつまでもみていられません、いつまでもみていたいような心持ちになります。狭い中でもモネの絵と対話したひととき。いい土曜日でした。

 おそくなってしまったしこの部屋で書いていてもちっそくしそうなので明日またあらためて。夜更かしするとリズムがくるってしまうしね、なんていいながらもう遅いですね。眠いので眠剤なしでも眠れるかな、大丈夫よね、きっと・・・。


連休まで生き延びました

2018年09月14日 23時33分05秒 | 日記
 またメンタルに始まりメンタルに終わった一週間、疲れました。このしゃくねつじごくの夏をカレンダー通りに出勤し続け、やっと三連休。よくここまで生き延びたなあって思います。今日は残業代がつかない残業をまたしたし足が痛くって仕方ないのでスパによらずに帰ってきました。スパによっておそくなるとそれはそれで疲れます。三連休中はモネ展に行きたいし、ゆっくりとスパにも行きたい。睡眠のリズムを崩しているので週末だからといって夜更かしはよくないし、ちっそくしそうな部屋ですがゆっくりとデパートで食べる物を何点か購入したら真っすぐに帰ってきました。外は雨の音。もう大規模修繕工事とやらで足場からベランダに人が入ってこないでほしいです。昨日だったかなあ、8時頃帰ってくると狭い廊下に差しかかったとき、オッサンがうなり声あげながら風呂に入っている音が響き渡っていてびっくり。こんな狭いスペースに部屋がひしめいているからご近所に丸聞こえになっているやないか。ひょえー、ここでちっそくしそうになりながらこれ以上グチを書いていても仕方ありません。今日は珍しく短めのグチ日記。


 やっとたどり着いた三連休、その分お給料が少なくなりますが、次の予定は全くありませんがとにやくやっとたどり着いた三連休。少しでも心穏やかに日頃の疲れから解放されますように・・・。

 雨の音は落ち着きますね、なんだかほっとします。