たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ウルトラマン

2016年02月21日 22時18分52秒 | 日記
 突然ですがウルトラマンです。今日は以前から申し込んでいた学会のセミナーに参加するため久しぶりに都心へ出ました。頭も体も疲れましたが充実した時間でした。JRの駅でウルトラマンスタンプラリーをやっていたので、私も帰りにスタンプを押してきました。

JR東日本のHPはこちら。

https://www.jreast.co.jp/ultraman-rally/

 
 日曜日の昼下がり。セミナー会場の最寄り駅に着いた時はお父さんに手をひかれた男の子たちがスタンプを押すテーブルの前に並んでいましたが、セミナーが終わった夕方は私も含めて大人たちがスタンプを押していました。スタンプ帳には、バルタン星人など懐かしのキャラクター満載。持ち歩いて少しずつ眺めていきたいです。振り返ってみると、脚本がよくできていて怪獣のキャラクターも個性的で毎回どこか人間臭い哀愁が漂っていました。子供ながらにそれを感じとりながらみていたように思います。今もちゃっとおぼえているのです。ウルトラセブンの脚本も素晴らしく、毎回が社会性のある人間ドラマでした。DVDなど出ているんでしょうね。ゆっくりと観返してみたいです。今観ると深く心に入り込んでくるものがたくさんありそうです。涙があふれてしまうかもしれません。今もシリーズは続いているんですね。高度経済成長期の入口に始まったウルトラマンシリーズ。色んな意味で戦後の日本の歴史と共に歩み続けている作品ですね。


 若松英輔さんの『100分で読む名著内村鑑三の代表的日本人』のことも書きたかったですが残念ながら時間切れとなりました。少しのんびりとして明日の準備をしているとあっという間です。明日の朝ちゃんといけるかな。また緊張がはじまりました。今週は午前中一人で窓口教務。午後は一週間離れていてすっかり忘れてしまった別の交付に関わる業務。何を割り振られるかはいかないとわかりません。たぶん受付と、まだやったことのない説明や端末操作です。きついと思います。また叱られたり、クレーム対応にならないようにと緊張しながらなので非常に疲れると思います。二日がんばれたら、水曜日は次の土曜日出勤分の振替休日。土曜日は出勤して、日曜日休んだら翌週は5日間フルの後でようやく連休。なんか目が回ってきついです。まずは明日。たぶん午前中の一人窓口業務だけでけっこうヘロヘロになります。できなくなったらできなくなったで仕方ないです。他に行くところありませんが、やれるところまでやるしかありません。緊張しています。きついっす・・・。



『木靴の樹』シナリオ(11)

2016年02月20日 13時49分46秒 | 映画『木靴の樹』
(フランス映画社発行のパンフレットからの引用です。)

*畜舎(夜)

 寒い冬の夜、話のうまいバティスティを囲み、皆は和やかなひとときを過ごす。マッダレーナとの交際を認められたステファノの姿もある。

バティスティ「”狼が羊を食べる。骨は犬に、肉は肉屋に。殿方の小便は共同便所へ、麦わらは椅子の尻へ、箒は魔女の馬。つぐみは小麦の穂をついばみ、なめくじはバラに、若者は恋を。骨は犬に、肉は肉屋に、血はパイの材料に。おれの話を聴く人の尻には栓を」

フィナルダ「(笑って)一体何の話?」

ブレナの妻「よく考えつくこと」

フィナルダ「毎晩違う話なのよ」

フィナール「面白い」

バティスティーナ「ではお祈りを・・・・子供が睡いわ」

フィナールの次男「まだ早い」

フィナルダ「疲れると祈りが粗末になるよ」

若者「バティスティ、小川に落ちた話を頼む」

ブレナの妻「”栄光みてる主なる父よ・・・”また今度、話してもらいましょう」


*ルンクの後家さんの家の戸口

仕事を終え、帰宅するベビーノ。

*バティスティの家・寝室

バティスティーナが、子供達を寝かしつけている。

バティスティーナ「(夫に)もっと暖かい服が必要だわ。寒くなってきたわ」

バティスティ「今の所は何とか済むが、先ざき産婆の心配をせんとな」

バティスティーナ「ここの女の人達で大丈夫よ。初めてではないし」

バティスティ「バカを言うな。失敗でもしたら大変だ」




木靴の樹 [DVD]
クリエーター情報なし
東北新社

わたし、幸せなのかな・・・

2016年02月19日 22時58分13秒 | 日記
龍谷ミュージアム前館長のつぶやき
‏@tirisawa
「涙は、必ずしも頬を伝うとは限らない。悲しみが極まったとき、涙は涸れることがある・深い悲しみのなか、勇気をふりしぼって生きている人は皆、見えない涙が胸を流れることを知っている」(若松英輔『悲しみの秘儀』ナナロク社)

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 今日も辛い一日でした。まずは時間に間に合うように行くこと。それだけで精一杯なので乗り換えをするターミナル駅で電車がおくれていたのにはあせりました。5分前に執務室に入れなかったらまた叱られてしまうと緊張の極み。結果5分前に執務室入りは間に合わず、朝礼には間に合ったので遅延証明書を提出しました。労働条件書に記載されている開始時間には遅れなかったのだから本来必要ないですが、いつも通り出勤したことを証明するためにそうしました。なんか疲れる一日のスタート。終日窓口でヘロヘロになりました。若い方(20代から50代前半ぐらいまではなんとか若いかな・・・)はややこしいこともぽんぽんと話が早いです。金曜日のせいか出勤前の朝早い時間帯、あるいは夕方の時間帯に一人暮らしでお勤めの方々が駆け込みでたくさんいらっしゃいました。みなさん忙しいし、ややこしい手続きも一通りの説明で理解してもらえるので面倒でもエネルギーがそがれる感じはありません。お時間があって理解度が下がってきている方々には正直かなりエネルギーをそがれます。わかりやすいように大きな声で言葉を尽くして説明しても納得していただけず上の方から説明してもらってなんとか納得していただけたり、ご本人も理解されていないのでご希望にそうように手続きを進めていくしかなかったり、たまたま手があいてしまった時この仕組みに色々と言いたいことがある方につかまってしまったのでひたすら話を伺い、言葉を尽くして説明しながら謝りつづけたり。どっぷりと疲れてしまいました。終日窓口だけは本当にきついんです。これだけでも本当は十分過ぎるぐらいわたしやっていると思います。その上に馬鹿なことに残業してしまいました。毎日労働条件書に記載の終了時間の少し前に、一時間残業できるかたずねられます。いつもは断りますが、明日は休みだし一か月前にスタートしている他の方々はやっているのでなんかやらないと気まずいかなと思ってしまいましたがやんなきゃよかったかな。

 今週はずっと窓口業務だけを割りあてられたので先週教えられて今週やらなかったことは頭に入っていません。忘れました。でも一か月前からスタートしている方々はもうわかっているのでささっと対応できます。結果まだパソコンを操作する時の管理パスワードすら知らされていない私だけがもたもたするので叱られてしまいました。私にパスワードを知らせていないことに気づいていないぐらい管理ができていないということなんですがそんなことは言えないですね。黙って耐えました。パソコンのログインがうまくいかない待ち時間の間葉書にゴム印を押す作業をするよう指示されました。その内容は一週間ぶりに出会ったことなので忘れてしまいました。単純な作業ですが葉書には順番があって、一週間前に教えられた通りに間違えないように、頭の中ではやったつもりでしたが、結果間違えてしまっていて叱られました。10年以上同じ会社で働いていた時にはすっかり頭に入っていてどんなに疲れていても間違えることなどなかったような類のことが会社を離れればなんの役にも立たずゼロからやり直し。それで間違えて今さら「申し訳ありません」と言わなければならないのはすごく屈辱的に感じてしまいました。悔しかったです。二年間のブランクも大きいと感じざるを得ず、あれほど膨大な量の業務をこなしていたカンがまだ戻りません。自分はこんなにも仕事ができないダメ人間だったのかと悔しくて涙が出そうになりました。。ほんとに長くやっていて体に沁みついたからできたことばかりでした。正規雇用で働いてきた方々もそれは同じみたいですが、私ハケンだったばっかりに最後は会社に馬鹿にされ、損害賠償を求めたら弁護士に馬鹿にされ、最終的には社会から認められませんでした。なんかほんとにあらためて悔しさの何重奏なんだと思います。馬鹿にされ続けて自己肯定感がさがっている、すり減りからのリハビリとしてはきつい状況です。それともすり減りからのリハビリはこんなふうにきついものなのでしょうか。来月からのシフト表をもらってぞっとしました。シフト表を渡されていないことに気づくこともできず、私にシフト表を渡していないことに気づかれることもなかった状況。来週は午前中毎日窓口。午後は忘れてしまった&これからおぼえなければならないことをやることになっていますが、なんかこれ以上無理だと感じました。安い時給でこんな思いまでして働いている私って幸せなんでしょうか。結局全部人からの評価、人からの承認。本当はそんなのどうでもいいです。でも評価されないと給料をもらえる身分になれない。給料をもらえなければ生活する術はありません。実家に戻れ弟に叱られっぱなしの馬鹿にされっぱなしで、自分にごはんを食べさせながら安心していられる場所はありません。ボランティアでは食えないのでどうしようもないし、私はこれからどこでどうやって暮らしていけばいいのか、結局答えを見つけることはできず、自信を回復することもできないでいます。すり減りの身にはひとつひとつがこたえます。それを口に出すことは許されないのでいっそうこたえます。そういえば大会社で働き始めた最初の一か月もすさまじく辛かったです。前任者がすごく気分のアップダウンがある女性で機嫌の悪い時は叱られまくりました。きつい言葉を浴びせられ続けました。一週間でやめたいといったところを引きとめられがんばってしまいました。結果13年後に使い捨て同然のモノ扱いでした。あの時がんばらないでやめていたらどんな道を歩いていたのか、時は過ぎてしまったので今さら答えはどこにもありませんね。こうしてブログを綴ることが心の支えです。長いひとりごとにお付き合いくださった方、ありがとうございます。今日はこれでおしまいです。

かわいいイケメン

2016年02月18日 12時36分30秒 | ミュージカル・舞台・映画
 
 ほっぺたがお餅の清史郎君。泣き虫与六を演じた翌年ぐらいかな。現在イケメンに成長中。思春期を乗り越えてミュージカルの舞台に戻ってきてくれる日を楽しみに待っています。『レ・ミゼラブル』のアンジョルラスかマリウス、『エリザベート』の青年ルドルフ・・・。

 長く舞台をみていると、役者さんの成長と自身の歴史を重ね合わせながら、舞台が自身の心の歴史に刻まれていきます。それも舞台をみづづける楽しみのひとつ。

 2016年秋の『ミス・サイゴン』。市村さんのエンジニア役卒業が発表されましたね。ついにこの時が・・・という感じです。いつか訪れる卒業の時。92年の初演の舞台を忘れることはできません。本田さんキム、市村さんエンジニア、岸田さんクリス。ミュージカルの舞台を観ることはやめられそうにありません。


写真は、劇団ひまわり制作、2010年加藤清史郎カレンダーから転用しています。



明日は休み・・・

2016年02月17日 22時42分40秒 | 日記
 指折り数えて休みを待つ生活に舞い戻ることができたのが私にとって本当に幸せかどうかわかりませんが、とりあえずそういう生活に舞い戻り、明日は指折り数えて待ったお休み。今日もふらふらのヘロヘロになるきつい一日でした。月曜日でかなりふらふらでしたが、一晩眠ってなんとかリカバリーをして翌朝出勤の繰り返し。今日も一日中窓口業務でした。本当は疲れがきているので朝からふらふらでしたが、そこは気力でカバーするしかなく、なんとかふんばって表情には出さないように、相手には伝わってしまわないように表情と口調はできるだけ穏やかに、と努めました。なんとか踏ん張りきれたと思います。

 ずっと人と話しているので帰りに買い物をしなければならない頃には声を出す気力が完全に失せてしまっています。お店の人には申し訳ないけれど手振りだけで買い物をします。説明をしなければならない場面が多く、日本が超高齢化社会へと進んでいることを物語る場面にも数多く出会います。これからこんな場面が数限りなく増えていき、もっと大変になっていくであろうことを思うとすごく心配になります。お一人で話相手のいないであろう方がちょっと人と世間話をしてくてぶらっといらっしゃるんだろうなと思います。何人かいらっしゃるようです。そんな方々のお話をうかがったり、要介護度の高い親御さんや御兄弟の代わりにいらっしゃる方があったり、子供さんがご本人を連れていらっしゃり手続きを進めたり、時には施設職員の方がいらっしゃったり、数限りなくいろんなことがあり、全部違います。都度慎重に確認しながら、クレーム対応をしないようにと気を配りながら進めていくしかありません。まだ6日しか出勤していませんが、かなりもうお腹一杯でずっと時が流れたようが気がします。

 チームでの業務ですが、経験が人によってさまざまに違うので、同じことでも少しずつやり方が違います。新参者に私にそれぞれ色々と声をかけてくださるのですが、少しずつ違うので戸惑いがあったりします。自分は今までの経験値からこうした方がいいと思ってやったことがそこまで求められていないのでしなくてもいいと言われることがちょっと辛くって、私のもともとの性分もありますが、自分の人格を否定されているようについつい感じてしまったりします。私は一カ月遅れでスタートしているので、最初の頃の方が数が多くてもっと大変だったとか言われるのけっこう私の中ではNGです。口に出すことはできませんが、あんまりそういうこと言ってほしくないと思います。でも私も逆の立場だったら同じことをつい口走ってしまうような気はしますが・・・・。色々とおしえてくださるのはありがたいことですがいい方がきつい方もあり、すり減っている身にはこたえます。すり減りからのリハビリ中の身であることを言うことはできないのでちょっとした言葉のひとつひとつに過敏になりこたえてしまうのが辛くって、お昼を食べている時には涙が出てしまいました。人としての尊厳をずたずたにされた心の傷はやはり深くって無理なのかなあと自分で思ったりします。今日もお昼は近くの公園でひとり青空を見上げ、子どもちゃんが元気に走り回っているのを見ながら買ったものを詰めただけのお弁当をいただきました。

 新しく出会っている方々の誰も私が悪辣弁護士と闘い続けたなんて思いもしないだろうと思います。雇用形態に関わらず、望まない闘いとなってしまった結果心の傷が残ってしまった人たちはどうやって社会へ戻っているのでしょうか。今の私のようにすり減りからのリハビリであることを言えない辛さを乗り越えていっているのでしょうか。この辛さを乗り越えた先に神様はなにかご褒美をくれるでしょうか。ご褒美ほしいです。苦労した甲斐があったねと言われても今は辛くって全くそう思うことができません。大会社に振り回され苦労し続けてきたことがいつか私の糧となり実りとなって戻ってくる時が訪れるのでしょうか。今はまだやはり悔しさもありありです。それにしてもすり減りからのリハビリとしてきつい仕事です。前任者はほんの数日しか出勤せず、ずっと体調不良のため欠勤として引きのばしていたようです。今までの経験から、最初の数日で来なくなったらもう来ることはありません。来れなくなります。逆にいえば最初の数日出勤できたら大丈夫なのかもしれませんが、今の私はきついばっかりです。ともあれ明日はようやくのおやすみ。金曜だけ行ったら連休になるので次はまずそこまでふんばってみるしかないです。すっかり人に疲れてしまいました。気がついたら長文になっていますが、今日はこれでおしまいです。こんなつまらないひとりごとを読んでくださった方ありがとうございます。明日の準備しなくていいので嬉しい!!

 

あと一日

2016年02月16日 22時19分53秒 | 日記
 なんかずっと窓口業務ばっかりで辛かったり、朝8時30分開始という契約なのでそれまでになんとか準備をして朝礼に間に合えばいいのかと思っていたら、一カ月先にスタートしている方々は朝早くって、時間よりも前に打ち合わせと業務の準備が始まっているようで、25分には執務室にいるようにと指示がありました。そんなのおかしいとかかりつけの内科医で話したらそんなこと言っているのはすごく甘い、一時間前に来ているのが当然ぐらいに言われてしまいました。お金をもらうのはそれぐらい厳しいことなんだよって。実行できませんでしたが、怠け癖がついているから朝の出勤時間に合わせて電車に乗りさないとも言われていました。お金をもらうのは厳しいことだっていう認識があればこそ、すり減るような思いで二人分長時間労働をこなし続けました。でもハケンだったので、なんの実績も残りませんでした。ただ使い捨てにされたという屈辱感と悔しさと怒りがくすぶり続ける結果となりました。すり減りから十分に回復したとは言えないまま、また苦労することになりました。すり減りからのリハビリとしてはきつい仕事だったようです。争いによってすり減っている辛さを抱えていることを話すこともできず、争うこと自体一般的にはなかなか理解されないと思いますが、とりわけハケンで争ったなんてほんとに一般的には理解されないので、孤独感・疎外感を抱えなければなりません。本当に安心して闘いの辛さを話せる場所ってないんです。
 
 これ以上ブログを書いている場合ではなく、明日の朝電車に間に合うか、緊張感との闘い。ハケンで争ってすり減っているから辛いですなんて誰も認めてくれません。自分が悪い、バカだって言われるだけです。ほかに行くところもないし、やれるところまでやるしかないんですけどね、これが幸せなのかどうかよくわかりません。がんばってねとか良かったねとか言われるのすごく辛いです。今日も朝から窓口業務で本当はふらふらで倒れそう、声を出すのも辛かったところをなんとか踏ん張りました。この調子では明日はもう無理かもしれません。お昼は一人で過ごしたく、お店もないので、買ったお弁当を詰めて持っていき近くの公園で食べました。明日も無事に行けたらそうしようと準備だけはしています。胃の痛みがとまりません。辛いっす・・・。

「鮮度が落ちるから入れ替え」ベローチェ雇い止め訴訟が和解…元バイト女性に解決金

2016年02月16日 22時01分40秒 | 気になるニュースあれこれ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160216-00004297-bengocom-soci

弁護士ドットコム 2月16日(火)15時52分配信

喫茶店チェーン「カフェ・ベローチェ」千葉店で長期間、アルバイトとして働いていた30代女性が、雇い止めされたのは不当だとして、運営会社「シャノアール」(東京都)に雇い止め撤回と慰謝料などを求めていた訴訟は2月16日、東京高裁で和解が成立した。

和解成立後の16日午後、東京・霞ヶ関の厚生労働省記者クラブで、元アルバイトの女性と代理人弁護士らによる記者会見が開かれた。代理人弁護士らは、和解内容について、女性が2013年6月付けで合意退職したことを相互に確認する一方、会社が女性に解決金を支払うものと説明した。解決金の金額は明らかにしなかった。

●「尊厳が回復されないまま諦めるのはいやだった」

女性は2003年から勤務。一時離職した後、2008年7月からふたたび千葉店でアルバイトとして勤務していた。3ヶ月ごとの更新を繰り返していたところ、2012年3月、運営会社から突然、契約更新に上限を設けるという通達を受けた。女性は労働組合・首都圏青年ユニオンに加入し「働き続けたい」と主張を続けたが、連続勤務が4年11カ月となった2013年6月、雇い止めになった。
女性は2013年7月、雇い止めの撤回を求めて提訴。雇い止めになる前、運営会社と組合の交渉の場で、人事部長に「従業員は定期的に入れ替わって若返ったほうがいい」、「うちの会社ではこれを『鮮度』と呼んでいる」などと言われ、人格を傷つけられたとして、200万円の慰謝料もあわせて請求した。

しかし、一審の東京地裁は2015年7月、雇い止めは有効であるなどとして、女性の請求をいずれも退け、女性が控訴していた。

この日の会見で、女性の代理人の三浦佑哉弁護士は、「弁護団としては、解決金を支払うということは当然、会社側が雇い止めや鮮度発言への責任を認めたのだと解釈している。勝利和解と言っていい内容ではないかと考えている」と述べた。

また、女性は記者会見で次のようにコメントした。「『鮮度発言』をした会社に、裁判所がなぜ『おかしい』と言ってくれないのか疑問に思って控訴した。私の尊厳が回復されないまま諦めるのはいやだったので、楽ではなかったが頑張れた。私としては勝利に近い和解だったと思っている」。


運営会社「シャノアール」は、弁護士ドットコムニュースの取材に対し、「円満に和解させていただいた。和解内容については双方とも公言しないことになっているので、コメントは差し控えたい」と述べた。

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 私も実質的に鮮度が落ちたので要らない、若い子とお取り替えしたいと大会社の同じ歳の部長からバカにされたのですが、ハケンだったので大会社と和解することはできませんでした。闘いを望んでいたわけではないですが、闘いになってしまったら弱いモノいじめが得意な弁護士によってさらに人格を傷つけられることとなりましたが、人としての尊厳を回復させることはできませんでした。東京高裁に控訴してまで争ってずいぶんご苦労されたとは思いますが、アルバイトであってもこうして直接雇用だと、実際に働いてきた会社から和解金を引き出すことができるんですね。


 フルタイムで働くハケンの責任はアルバイトの数倍。でもなにか問題がおこれば、行使できる権利はアルバイト未満で丸裸。派遣先は責任なしで逃げ切ることができてしまいます。形骸化した雇用主である派遣会社にも責任はありません。大会社がどこから連れてきたかわからない無責任アルバイトを雇用し続けたリスクをさんざん背負わされて苦労し続けました。年齢があがって鮮度が落ちたがために使い捨てられた屈辱感を背負いながら、今その無責任アルバイトよりも安い時給で働いて苦労しています。神様はちゃんとみていてくれて、なにかご褒美をくれますかね・・・。




今日もきつかったです

2016年02月15日 22時10分52秒 | 日記
 今日も一日窓口業務でヘロヘロ状態です。訪れた方の人数だけでは測れない大変さがありました。ご高齢で耳が遠くなっている方や理解度が落ちている方にご理解いただけるようにゆっくり大きな声でわかりやすく説明をしなければならない場面が何度もありました。若い方のように、ぽんぽんと進んではいかないので、ゆっくりとペースにあわせてと気を遣っていると自ずと自分の話すペースもゆっくりと大きな声になっていき、かなりのエネルギーを消耗しました。朝の出だしはのんびりペースでしたが、11時を近くからお昼にかけていろいろな方がいらっしゃり、説明をする場面が多くなったので午前中だけでかなりヘロヘロになりました。

 お昼を誘ってくださった方があったのでご一緒したのですが、お昼休みの時間も話をしたので結果的に午後がかなりきつくなりました。午前中だけできつくなった時は、やはりお昼は人と話をすることなくじっとしながら過ごさないとダメですね。都心とちがってそういう場所が外にほとんどないのでなかなかきついです。午後は15時を過ぎると内心はもうほんとにふらふらで何をしているんだかわけわからなくなりそうでしたが、対応している時は集中力をきらさないようになんとか持ちこたえることができました。クレームがいちばんこわい。そもそも決められた仕組みがどうなんだろうという状況ですが、その通りにやっていくしかないのでお怒りやイライラのお気持ちはわかっても現場レベルではどうすることもできず、頭を下げるしかないです。窓口ってきっつい仕事。とくにどんな方もいらっしゃる窓口なので、要介護レベルが高く、施設に入所しているなどしてご本人はいらっしゃることができない場合の対応などもケースによってさまざまでお怒りもあり大変です。

 人は仕事が決まってよかったねと言ってくれますが正直自分にはまだわかりません。社会の孤立から抜け出せたのはほっとしていますが、明日の朝また時間に間に合うように行けるかどうかの緊張が始まっています。ボランティアではごはんを食べていくことできず、ほかに行く場所はないのでもう少しがんばってみるという選択肢しかあり得ないのが現実ですがきついです。明日は雪になるんでしょうか。いやですね。実家の庭から一個だけもいできた夏ミカンが食べごろになっていい香りを漂わせています。たくさんもいでこれなかったのが残念。あと二日で休みだと思えばなんとかなるのか、緊張は続いていきます。あんまり大変だったら辞めればいいのだからやれるところまで・・・。

 写真はまたまた春のプリンス・エドワード島。お化けの森です。実は周囲はゴルフ場なのですが、そこはプリンス・エドワード島。ゴルフ場もとってものんびりしています。かつてそうしていたように、『赤毛のアン』の最終章の最後の段落を口ずさみながら駅を降りています。

救われます

2016年02月14日 22時05分45秒 | 日記
若松英輔さんがリツイート


石川うた ‏@cocorojin · 2月13日

若松英輔『生きる哲学』
「人間には誰しも担わなくてはならない人生の問いがあり、それは他人に背負ってもらうことはできない。自己を生きるという使命においては、優劣や意味の大小は存在しえない。それぞれが固有の存在であることが個々の人間に宿っている冒されざる尊厳の根拠となっている。」


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 かくて休日は少しのんびりしていたらあっという間に終わりゆく。きつい三日間の初日がスタート。また時間までに行けるか緊張します。ブログ書いている場合ではないんです。残念ながらこれにておしまいです。


やっぱり悔しさはあります

2016年02月14日 12時37分16秒 | 祈り
 胃がいたくって二度寝ですごくへんてこりんな夢をみながら目が覚めました。先ほどまで2月だというのにまるで台風がやってきたかのように風がふきあれ、雷もなっていました。これでまた明日から冷え込むというのですから体をこわしてしまいそうです。あまりに大変で体をこわしてしまいそうなぐらいだったら辞めればいいという気持ちでいくしかありません。実際には生活があるので辞めることはたぶんできませんが・・・。途中で辞めたという汚点がついてもいやかな。やれるところまで・・・。次は明日の朝をがんばるしかないです。営利追求ではないところで働くことはめったにない不思議な経験です。大会社のように数字・数字で振り回されて頭がおかしくなりそうだということはありません。別の意味で数字はあるようですが業務の目的は売り上げに貢献することではありません。体制が決めた通りに粛々と業務をこなしていくのが現場の役割。体制の決めごとに振り回されながらみなさん一生懸命に働いていらっしゃいます。(職員のみなさん気をつかってお菓子をくれたりします。その時必ず「お疲れ様です」の言葉があります。)私は昨日もちょっと書いたように、怒りやイライラをぶつける方のお気持ちがすごくわかるところがあるので、少し前までの自分もそうだったので、「お気持ちわかります」とはいえず、ただ「申し訳ないですね」と声をかけます。本当にそう思っているのでへんに上っ面だけのようにはきこえていないと思うのですがどうなんでしょうかね。

 昨日のうちに百円ショップで腕時計を買いました。百円ショップでこんなものまで売っているって知らなかったです。腕時計をもっていないことで、仕事に対する姿勢が甘い、常識に欠ける人間だと思われたみたいで、「仕事だから・・・」「今までオフィスの仕事したことないんですか」とか言われました。いやいや、10年以上同じ会社で責任もって仕事していました。二人分ぐらいの仕事をこなして毎日9時間、10時間、11時間、12時間と働いていました。もっともっと目がチカチカして気持ち悪くなるようなシステムの操作をたっぷりやらされました。書類もどっさり作っていました。外人の書類や請求書を処理する時は、英語とその他の言語が混在した航空券などを読みこなして、どういう航空経路で第三国から当外国へ出張にいったか理解していました。システムのこともやっていました。会社の生き字引きみたいになって頼られながら仕事していました。でも最後に「派遣だったんですけど・・・」とつけ加えなければならない時、自分の中ですごく屈辱的な響きを感じてしまいます。派遣だったから最後は使い捨て同然の扱いを受けました。そんなのひどい、おかしいと声をあげたら、新聞にケースとして登場したりニュースでも流れました、普通じゃない経験しましたと話すこともできません。それらは全てちょっと横に置いておくしかないです。自分の中で屈辱的な響きを感じてしまった時、悔しさがよみがえってきました。そりゃあ悔しいですよ。私だけが悪いことになって、派遣元を移籍させてまでいいように使い続けてきた大会社には何の責任もなしが社会の仕組みですから。でも声をあげ続けていてもごはんを食べていくことはできないので今は引っ込めます。ボランティアとか社会活動とか、別の手段でご飯を食べる基盤が確保されている方しかやれないことで、自死遺族の分かち合いも平日だし、当面いくことはなさそうです。いのちの電話の相談員養成講座申し込みの締め切りが近いですが今回も見送りです。これをやることによって業務にさしさわりがでることは許されません。ブログを書き続けていくことが唯一になります。ずたずたにすり減っていた時にお会いした記者さんたちに社会復帰できました、今が本来の私の姿ですとお伝えしたいですが、一日一日でやっている状況なので親しくメールをさせてもらっている記者さんだけにお伝えさせていただきました。

 大震災のあった年の暮れ、3カ月後に母との突然のお別れがやってくることなど知らずに帰省しないで過ごしていました。大会社の数字・数字と組織替えに振り回されて疲弊しおかしくなってしまいそうな私がいました。

「2011年12月28日(木)晴 atドトール

会社のメールをみた。
気持ち悪くなってしまった。もうやめよう。
大丈夫だ。

久しぶりの有給休暇。
時が少しゆるやかに過ぎていく分、気持ちもゆるやかだ。もういいと思う。
これ以上やりたくない。でも私よりずっと安い時給で働いている人がたくさん
いることを思うとぜいたくは言えないし、辛抱するしかないのかと思い直す。
大きな組織はわからない。不気味だ、かといって、組織がなくても社会は成り立たない。
それにしてもあらためて目先しかみていないし、自分を守ることしか考えていないんだと
気づかされる。いつも弱い立場の者が振り回される。
上に立つ人間のちょっとした考えによって、お金のかかっている派遣から切って、でも結局回らなくなると今度は安い派遣を雇い入れて、切られていく様子をみている派遣はいつ自分の番がくるのだろうとビクついて、自らやめていく決断をしたり。
そんなことでは、仕事の質が安定しないし、会社として生産性が落ちるだろうに、ムダにお金がかかっているオジサンたちたくさんいるのに、どうして肝心なところのお金をケチるのだろう。
それにのってまた派遣会社というえげつない商売が成り立っている。自分もまたそこに乗っ飾るを得ない。悔しいなあ。年齢があがってきて、派遣から抜け出せないのは私だけではない。
退職金もボーナスも定年もない。
これから世の中はさらに機能しなくなってくるのではないか。だって若い人たちが会社に入ることにやっきになっている。人が育っていかない。先細りであまり希望は見出せない気がする。自分はこれからどう生きていくべきなのか、いっこうに見えてこない。震災と原発事故のあと、日常生活は淡々と続いているが、何かがおかしい。気持ち悪い。
人を雇って生産性をあげてお金を回そうとするのではなく、お金が回って余剰ができたら人を雇う。ヘンだなあ。駅なんかもほんとに人がいなくなった。地下鉄の駅は人がおらず、どこでかわからないが、監視はされており、どこからかわからないがアナウンスだけはきこえてくる。新幹線の切符さえ自動改札になってぬくもりは感じられない。むしろ不気味でさえある。
モントリオールの、おばちゃんが切符を切ってくれる地下鉄の駅がなつかしい。変わってしまっただろうか。そのままだろうか。ゆっくりとカナダに行きたい。荷物を減らさねば。
3月11日のあとは、こうして年の瀬がくることを想像できなかった。それほどの不安と恐怖の日々だった。なのに組織替えもあって振り回され、よく乗り切っていると思う。えらいなあ。私って・・・。夜になるとたまらなく不安になって、おそろしくなる。大丈夫だ。気をつけながら生きていこう。変な人と知り合って、変なことに巻き込まれてはいけない。ひとりぼっちの休暇が始まる。」

 もうすぐ誕生日なので運転免許証更新の案内がきています。5年前の免許証の写真をみると3月11日の揺れと恐怖を体がおぼえていて、寒さが続く中で頻繁におこる余震に振り上がっていた私の表情は疲れ果てています。たくさんの方が亡くなられ、非難生活を余儀なくなされる方々がたくさんおられ、連日ご遺体の捜索が伝えられる中で、あの頃ほど桜の花びらがほころび始め、それでもこうして季節はめぐっていくことが哀しくてたまらなかったことはありませんでした。