たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

三好春樹『関係障害論』より‐もし呆け老人だったら

2024年07月15日 00時38分37秒 | 本あれこれ

三好春樹『関係障害論』より‐「オムツの中にしていいのよ」

「それで、このおばあさんは、頭はしっかりしていましたから、1週間経てば帰れるし、その間だけだと思ってガマンしていたのです。でも、呆け老人の場合はそうはいきません。呆け老人というのは、自分の感覚に正直なのです。後から入ってきた知識とか常識とかしつけというのは、先に忘れますから、最後は感覚だけで、赤ちゃんに戻っていくわけです。そういう意味で自分の身体に正直ですから、気持ち悪いものは排除するわけです。

 赤ちゃんはおしっこやうんちがでると、気持ち悪いから泣いて相手に知らせるわけです。赤ちゃんは幸か不幸か、手がそこへ届きません。ところが、老人は手が届きますから、泣く代わりに自発的に不快なものを排除するわけです。

 そうすると、これはもう大変です。不潔行為をしたということになります。着替えはしなくてはいけないし、汚れるし、みんなに迷惑をかけるということになりますね。それでどうするかというと、勝手に出してしまうからと、つなぎ服です。ダウンタウン・ブギウギバントが着ていたような、自動車の修理工みたいな服を着せさせられて、ヒモで手もとや足もとをくくるようになっているので、自由に手が突っ込めないようになっています。最近のはすごいですね。背中にチャックがあってYKKが開発した鍵付きジッパーもあります。

 いくら、”つなぎ”を着せていても引っぱり出すのですから、呆け老人の執念たるやすごいものです。行ってみるとオムツが全部出ていて、でもつなぎは着ているのです。どこから出したのだろうと思いますね。ほどけている部分があるからそこから出したのでしょうが、どうやってもそこまで手は届かない人が、ゴソゴソしながら出したんでしょうね。出して、そこにオムツを折りたたんで置いているのが不思議ですね。こうなると”つなぎ”でも間に合わないから手足を縛れ、という話になっていくのです。

 そうすると、お年寄りは、自分がおしっこが出て気持ち悪いということを訴えると、まわりに迷惑がかかって自分が怒られるし、最悪の場合は手まで縛られることになりますから、そうならないためにはいったいどうすればいいと思いますか。自分は怒られないし縛られない、看護婦さんたちにも迷惑をかけないいちばんいいやり方は、自分の感覚をなくすことなのです。濡れていて気持ち悪い、という感覚を忘れる。おしっこをしたいという感覚を忘れる。これで全部ハッピーです。

 だからお年寄りは、心理的に下半身の感覚を忘れさったと考えないと、どうにも理屈に合わないんです。だって、解剖学的原因はないんですから。」

 

(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、41-42頁より)

 

 

 

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