たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2013年『ラファエロ展』より_「エゼキエルの幻視」

2020年07月06日 10時36分30秒 | 美術館めぐり
2020年6月25日;2013年『ラファエロ展』_「友人のいる自画像」

https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/be57e5ec134237b2fd948ec5098193f5


ラファエロ・サンツィオ《エゼキエルの幻視》
1510年頃
油彩/板
40.7 × 29.5 ㎝
フィレンツェ、パラティーナ美術館

「旧約聖書の預言者エゼキエルがみた幻視を描いた作品。両手を広げたユダヤの神エホバの周囲に、翼をもった人間、ライオン、牡牛、鷲が出現する。それらは、のちにイエスの使徒たちの姿を象徴したものだ。」

(『週刊 西洋絵画の巨匠 19 ラファエロ』小学館ウイークリーブック2009年6月16日小学館発行より)



「1513年3月、ユリウス二世の死去に伴って、新教皇レオ10世(在位1513-21)が即位する。フィレンツェにおけるルネサンス運動の推進者ロオレンツォ・デ・メディチ(1449-92)を父にもつこの教皇もまた、芸術の保護に努めた。

 レオ10世は、ヴァチカン宮殿の装飾事業を、引き続きラファエロに託し、さらに教皇庁の要職にもつかせた。

《マリアの結婚》の背景において、すでに建築への関心を示していたラファエロだが、1514年には、カトリックの総本山、サン・ピエトロ大聖堂の造営主任に任命された。本格的に建築家としての活動を始めると同時に、ローマに残されていた数々の古代の遺構を記録。また紀元前一世紀に活躍した古代ローマの建築家ウィトルウィウスの著書をイタリア語に翻訳させて注釈も施している。しかし、残念ながらそれらの研究成果が形となることはなかった。

 多忙をきわめたラファエロは、弟子たちに与えて作業を進めさせることが多くなり、みずから手がける作品は少なくなった。ただその一方で、パトロンたちの肖像画や聖母子図の制作は、しっかりと行っている。

 働きすぎたのがいけないのか、あるちは当時の伝記が伝えるように放蕩三昧の報いか、1520年4月6日、ラファエロは37歳でこの世を去った。死の床のかたわらには《キリストの変容》があったと伝わる。翌日、遺言によって古代ローマの神々を祀った神殿パンテオンに埋葬された。ラファエロを寵愛していた教皇レオ10世は、あたかもわが子を失ったかのように嘆き悲しんだという。」

(『週刊 西洋絵画の巨匠 19 ラファエロ』小学館ウイークリーブック2009年6月16日小学館発行より)



ロオレンツォ・デ・メディチ、2019年宙組公演『異人たちのルネサンス』でキキちゃん(芹香斗亜さん)が演じていました。ボッティチェリのパトロンでした。『ボッティチェリ展』をみたときから、藤本ひとみさんの『逆光のメディチ』という本をこの世にいる間に読みたいと思いながらいまだ果たせず、断捨離がもう少し進んだらと思います。

 舞台と美術館めぐりがつながるなんて楽しいです。2018年に新国立美術館の『ルーヴル美術館展』を訪れたときも、ラムセスの顔の彫像をみてキキちゃん~💛ってなりました。今だ書けていない、この時の思い出し日記もいつか書けるといいかな。





2016年3月21日:ボッティチェリ展
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/cd514ff569589ee9a48e45a2f0153908


2015年4月25日;ボッティチェリとルネサンス_フィレンツェの富と美
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/e76d4f1523efb10a905a57c3d771b4f2



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