たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

旅の思い出写真_ヴェルサイユ宮殿

2018年04月30日 16時47分37秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
 今日はちょっと曇り空、先週の睡眠不足を取り戻すかのように眠る休日、よかった、眠れたよかった。明日はまた稼働日で緊張感が少し高まりつつある月曜日、断捨離は少しずつしか進まず部屋のなかでちっそくしそうになってきたのに耐えられず、つかれてしまってまだまだ荷物ありますがまたスパに逃げ出してきた月曜日。

 ツアー中の2007年10月27日、一人で日帰り英語ツアーに参加しヴェルサイユ宮殿をはじめて訪れました。久しぶりに旅日記、といってもヴェルサイユ宮殿はとてつもなく広いので通常のツアーでプチトリアノンまで行くのは不可能。近くに一泊して自転車で回らないと無理なんですね、見学できるのはほんの入り口部分に過ぎません。だからここまで来たのに、という未練が残りながらも奥の奥までの道のりは果てしなく遠く、現地で購入した日本語ガイドブックからの振り返りです。先日の舞台で、ポリニャック伯爵夫人の「王妃様、お仲間がプチトリアノンでお待ちです」ということばをきいて書きたくなりました。

 二年前の『1789バスティーユの恋人たち』の観劇日記になんども書いたように思いますが、この壮大なヴェルサイユ宮殿を築いたブルボン王朝の負の遺産を背負うことになったのが、アントワネットの子どもたち、とりわけ長男の王太子が病気で亡くなり、革命後次男のルイ・シャルルの人生は悲惨なものだったことを思うと胸がいたみます。その想いを先日の『1789~』の観劇で思い出しました。政略結婚によって嫁いだアントワネットもまた大きな運命のうねりにあらがうことができずにのみこまれてしまいました。舞台では「悲しみの報い」を歌うときの、なにもかも失い、潔く運命に受け入れて天に召されようとする王妃の姿が一番美しいと思いましたが、肖像画でも質素な装いの王妃が美しいなと思います。この肖像画は、2017年1月の「マリー・アントワネット展」にもあったかな。ほんとにきれいな人だったんだあと。王太子が亡くなったあとの、王妃の「わたしは盲目だった」ということばがずんと胸に響きました。語り始めると長くなってしまうので、あとは観劇日記にいつかまたあらためて書ければと思います。

 とにかく広いヴェルサイユ宮殿、鏡の間とその広さを二度も体感できてよかったかな。振り返れば、あの時しかありませんでした。旅もまた一期一会。今のわたしには海外に飛び立てるだけの気力と資力がありません。行っておいてほんとによかったです。まだまだ写真を整理し切れずですが、休日の時間はかぎりがあり今日はこんな感じかな・・・。



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