たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ミュージカル『ミス・サイゴン』より_「岩谷時子の訳詞と『ミス・サイゴン』

2020年06月14日 08時08分06秒 | ミュージカル・舞台・映画
(2014年帝国劇場公演プログラムより)

「『ミス・サイゴン』の訳詞家である岩谷時子さんが、昨年10月に97歳でお亡くなりになりました。本作や『レ・ミゼラブル』などのミュージカルでも幅広く活躍された岩谷さん。1992年日本初演を前に、訳詞に奮闘する岩谷さんと、作業をともにした音楽監督・山口琇也が語る、岩谷時子と『ミス・サイゴン』。

♪訳詞の域を超えた表現

 僕が音楽監督として初めて岩谷先生とお会いしたのは、1984年の『デュエット』という作品。その後も何作かご一緒させていただきましたが、『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』のブーブリル&シェーンベルク作品ほど訳詞に厳しい条件を与えられたことはありません。「1音につき1文字」、「出来る限り原詩と同じ母音を当てる」、「大事な言葉の位置は変えない」といった条件をクリアしつつ、日本語として成立させるために、先生と試行錯誤を重ねた日々を今でも昨日の様に思い出します。

 作業は開幕の一年以上前、我が家で始まりました。先生が毎日のようにいらして、正確なメロディーを確認しながら詞を書いてくださる。どうしても条件をクリアできない箇所が出てくると、「宿題」と言われて家に持って帰られて、翌日にまた作業を続ける。その結果として出来上がった詞を、僕が歌って録音し、イギリスに送って承認を得るのです。例えば、英語では1音で表される「DREAM」は日本語にすると「ゆめ」と2文字になりますが、それでも音楽が損なわれないことを、実際に聴いてもらうことで説得していったわけです。一方で先生は、訳詞の域を超えた表現も生み出されました。キムの歌う《命をあげよう》の「命”も”あげるよ」を、最後にあるメロディーだけ「命”を”あげるよ」としたのは、日本語ならでは、先生ならではの繊細な歌心だと感じました。

♪頭の中に辞書があった

 稽古が始まると、今度は演出家の注文に合わせて書き直す日々。芝居が明確になると必要な言葉とあてはまる位置がはっきりしてきます。しかし1カ所直すと前後の微調整も必要になりますから、作業は果てしなく続きます。不可能とも言える作業が可能になったのは、先生の頭の中には辞書があったから。語藁が本当に豊富で、選択肢が次々と提示されるんです。ただ下品な言葉だけは苦手でいらしたようで、《火がついたサイゴン》の曲中に出てくる言葉の訳詞の時には「こんなの書けないわ!」とおっしゃっていましたけど。

 先生は昨年お亡くなりになりましたが、僕の中には今もいらっしゃいます。譜面を開けば、そこに先生の姿が見えるんです。今年はロンドン公演での歌詞変更に合わせて訳詞も少し変わりますが、僕は「先生だったらどうするだろう」といつも考えながら新しい歌詞を音符にあてはめています。先生が作られた世界を壊すことなく、『ミス・サイゴン』を生まれ変わらせることができれば・・・そんな風に思いながら稽古をしています。」

 『ミス・サイゴン』初演時の《アメリカン・ドリーム》の岩谷時子さん直筆原稿は初演からエンジニアをつとめている市村正親さんの手元にあるとのこと。

 






 帝国劇場でキムがうたう「命をあげよう」を聴くたびに脳裏によみがえってくるのは初演のロングラン公演でキムをつとめた本田美奈子さん、涙がとまらなくなります。帝国劇場には今も美奈子さんの魂が息づいているように感じます。岩谷時子さんと本田美奈子さんが出会ったのは1990年、本田美奈子さん23歳、岩谷時子さん74歳の時でした。

「生まれたくないのに生まれでたお前が 

 苦しまないように命もあげるよ♪」

「神のこころのまま のぞむもの選ぶの 

 つかまえなさいチャンス 命もあげるよ♪」

「お前のためなら 命をあげるよ♪」





2016年1月20日;2015年10-11月日比谷シャンテ、本田美奈子30周年記念メモリアルパネル展
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/9ca045760fe22193626634b2565e129a

2015年4月26日;なつかしの本田美奈子さん
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/07ac9127f0eaf4ac6a08d5245f4c4e59

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