巻末の畑村洋太郎さんの解説より続き
「もちろんこれは、口でいうほど簡単なことではない。それはすでに述べたような、様々な人間の法則が邪魔をすることが往々にしてあるからだ。寺田がいうように、「人間の動きを人間の力でとめたりそらしたりするのは天体の運行を勝手にしようとするよりもいっそう難儀なこと」なのである(「災難雑考」)。
福島第一原発の事故にしても、そもそもの原因は「津波の想定のまずさ」にあったのは明らかである。つまりは運営上のミスということだが、これをもたらしたのも人間の困った法則であるのはまちがいない。
治山や治水、砂防などに携わっている土木技術者の間では、「既往最大」といって過去に認められている実際に起こった災害を想定して対策を行うのが暗黙の常識になっている。この考え方に基づいて津波対策を行うとすると、福島第一原発で想定されていた「五メートル」というのはあまりに低すぎる。千年以上前とはいえ、貞観地震のときには、今回と規模も被災地域もほぼ同じ大津波がやってきたという研究報告がある。既往最大という考え方で津波対策を行おうとすると、当然のことながら貞観津波のことは数のうちに入れなければいけないし、実際にそのようにしていれば大津波に襲われた福島第一原発の状況がここまで悪化することはなかっただろう。
じつは福島第一原発で想定している津波が「低すぎるのではないか」という指摘は、かなり以前からあった。貞観地震の研究者が根拠を示しつつ、東京電力や国に対して危険性を伝えていたのである。この忠告が無視されたのは、人間の法則のなせる業である。無視した人たちに特別な悪意があったとは思えないが、「見たくないものは見ない」「考えたくないものは考えない」から、忠告を聞いても心が強く動かされることはなく、結果として黙殺してしまったということなのだろう。
こうした人間の困った法則は、いま進められている復興活動に際しても大きな障害になりかねないという心配がある。さすがにいまは被災した直後なので、津波で壊滅的な被害を受けた場所に再び住居を建てるような雰囲気はない。伝わってくる復興計画にしても、人々が住む家は大津波がやってきても安全が確保できる高台に建て、海の近くの危険な場所はいざとうときの避難場所にもなる強固なつくりの商工業施設のようなものしか建てないようにするという、いかにも合理的な案が多いようである。
しかしながら十年、二十年と経ち、人々の被災の記憶がだんだんと薄れて行く中で、本当に地域の運営をそのような方向のまま維持していくことができるのか、大いに心配である。
いまあげた問題は、かつての大津波の後にも現実に起こっている。被災直後は津波におびえてだれも海の近くに家を建てなかったのに、被災の記憶が薄れると人々は必ず海の近くに徐々に戻っているのである。これは人間の忘れっぽさに起因するが、被災の記憶が薄れたところで、海の近くに住むことのリスクが軽減されるということはあり得ない。目先の心地よさを追い求めるようになると、平気でリスクを無視するのが人間だが、今回もまた同様の過ちが繰り返されないか心配である。寺田が生きていたら、おそらく同じように考えるのではないだろうか。
裏を返せば、これら人間の法則をきちんと見極めて手を打てば、災害時その後の対応をうまく行うことで被害を最小限に抑えることができるともいえる。寺田は「虐待は繁盛のホルモン、災難は生命の醸母であるとすれば、地震も結構、台風も歓迎、戦争も悪疫も礼賛に値するのかもしれない。(中略)日本人を日本人にしたのは実は学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よく続けられて来たこの災難教育であったかもしれない」と書いているが(「災難雑考」)、この考え方はたいへん重要である。
災難であれ失敗であれ、だれにとっても辛い嫌なものだが、これらは使いようによって人間を成長させる糧にすることもできる。地震や津波、台風などの自然災害は、人間が望もうと望むまいと勝手にやってくる自然現象である。自然災害による試練は、人間がこの地球に存在するかぎり避けては通れない宿命のようなものなのである。そうであるなら、寺田のいうようにむしろこれらと前向きに付き合うにして、そこから多くの知恵を授かるようにしたほうがいいだろう。それが賢い生き方というものである。
2011年5月」
(講談社、2011年6月9日発行、『天災と国防』202-204頁より引用しています。)
**************
色々と考えさせられるので引用してみました。
組織に働く人間の法則、それを人間の力でどうすることもできないが、
微力でも誰かが声を発信していかないと何も変わっていかない。
どうにもならないかもしれないが踏ん張っていく。
かなりきついが踏ん張っていく。
「もちろんこれは、口でいうほど簡単なことではない。それはすでに述べたような、様々な人間の法則が邪魔をすることが往々にしてあるからだ。寺田がいうように、「人間の動きを人間の力でとめたりそらしたりするのは天体の運行を勝手にしようとするよりもいっそう難儀なこと」なのである(「災難雑考」)。
福島第一原発の事故にしても、そもそもの原因は「津波の想定のまずさ」にあったのは明らかである。つまりは運営上のミスということだが、これをもたらしたのも人間の困った法則であるのはまちがいない。
治山や治水、砂防などに携わっている土木技術者の間では、「既往最大」といって過去に認められている実際に起こった災害を想定して対策を行うのが暗黙の常識になっている。この考え方に基づいて津波対策を行うとすると、福島第一原発で想定されていた「五メートル」というのはあまりに低すぎる。千年以上前とはいえ、貞観地震のときには、今回と規模も被災地域もほぼ同じ大津波がやってきたという研究報告がある。既往最大という考え方で津波対策を行おうとすると、当然のことながら貞観津波のことは数のうちに入れなければいけないし、実際にそのようにしていれば大津波に襲われた福島第一原発の状況がここまで悪化することはなかっただろう。
じつは福島第一原発で想定している津波が「低すぎるのではないか」という指摘は、かなり以前からあった。貞観地震の研究者が根拠を示しつつ、東京電力や国に対して危険性を伝えていたのである。この忠告が無視されたのは、人間の法則のなせる業である。無視した人たちに特別な悪意があったとは思えないが、「見たくないものは見ない」「考えたくないものは考えない」から、忠告を聞いても心が強く動かされることはなく、結果として黙殺してしまったということなのだろう。
こうした人間の困った法則は、いま進められている復興活動に際しても大きな障害になりかねないという心配がある。さすがにいまは被災した直後なので、津波で壊滅的な被害を受けた場所に再び住居を建てるような雰囲気はない。伝わってくる復興計画にしても、人々が住む家は大津波がやってきても安全が確保できる高台に建て、海の近くの危険な場所はいざとうときの避難場所にもなる強固なつくりの商工業施設のようなものしか建てないようにするという、いかにも合理的な案が多いようである。
しかしながら十年、二十年と経ち、人々の被災の記憶がだんだんと薄れて行く中で、本当に地域の運営をそのような方向のまま維持していくことができるのか、大いに心配である。
いまあげた問題は、かつての大津波の後にも現実に起こっている。被災直後は津波におびえてだれも海の近くに家を建てなかったのに、被災の記憶が薄れると人々は必ず海の近くに徐々に戻っているのである。これは人間の忘れっぽさに起因するが、被災の記憶が薄れたところで、海の近くに住むことのリスクが軽減されるということはあり得ない。目先の心地よさを追い求めるようになると、平気でリスクを無視するのが人間だが、今回もまた同様の過ちが繰り返されないか心配である。寺田が生きていたら、おそらく同じように考えるのではないだろうか。
裏を返せば、これら人間の法則をきちんと見極めて手を打てば、災害時その後の対応をうまく行うことで被害を最小限に抑えることができるともいえる。寺田は「虐待は繁盛のホルモン、災難は生命の醸母であるとすれば、地震も結構、台風も歓迎、戦争も悪疫も礼賛に値するのかもしれない。(中略)日本人を日本人にしたのは実は学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よく続けられて来たこの災難教育であったかもしれない」と書いているが(「災難雑考」)、この考え方はたいへん重要である。
災難であれ失敗であれ、だれにとっても辛い嫌なものだが、これらは使いようによって人間を成長させる糧にすることもできる。地震や津波、台風などの自然災害は、人間が望もうと望むまいと勝手にやってくる自然現象である。自然災害による試練は、人間がこの地球に存在するかぎり避けては通れない宿命のようなものなのである。そうであるなら、寺田のいうようにむしろこれらと前向きに付き合うにして、そこから多くの知恵を授かるようにしたほうがいいだろう。それが賢い生き方というものである。
2011年5月」
(講談社、2011年6月9日発行、『天災と国防』202-204頁より引用しています。)
**************
色々と考えさせられるので引用してみました。
組織に働く人間の法則、それを人間の力でどうすることもできないが、
微力でも誰かが声を発信していかないと何も変わっていかない。
どうにもならないかもしれないが踏ん張っていく。
かなりきついが踏ん張っていく。