『たんぽぽのお酒』より(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/2b08e95a018cd712cee76e338acfa4e6
「「死を予告することはできません」と、彼はようやくいった。
「50年間、わたしは玄関ホールにある箱型の大置き時計をながめてきましたよ、ウィリアム。ねじが巻かれたあとは、その止まる時間までわたしは予言できます。老人もまったく同じことよ。機械の動きがおそくなって、最後の分銅が位置を変えるのが感じられるのよ。まあ、どうかそんなふうに見ないでください-お願いだから」
「そうおっしゃっても無理です」と、彼はいった。
「楽しかったわね。ここで、毎日おしゃべりして、それはほんとにすてきでしたわ。荷が勝ちすぎてすり切れてしまっている言葉だけど、あの『こころの出会い』といわれていることなのね」
彼女は掌の中で青い封筒を裏返した。「愛の本質はこころだとはいつもわかっていましたよ、たとえ肉体がときにこの認識を拒絶することがあっても。肉体はそれだけで生きているんです。食事をし、夜を待つだけのためにそれは生きているのですよ。本質的に夜のものなのね。でも、太陽から生まれたこころのほうはどうなの、ウィリアム?一生のうち何千時間となく、目ざめて、意識しながら過ごさなきゃならないのよ。あなたは、あのみじめで利己的な夜のものである肉体を、太陽と知性の全生涯につりあわせることができて?わたしはわからないわ。わたしがわかるのはただ、ここにあなたのこころがあり、ここにわたしのこころがあって、ともに過ごした午後に比べるべきものはわたしの記憶にないということね。まだまだたくさん話すことはあるけど、別のときにとっておかなきゃ」
「もうあまり時間はないようですね」
「そうね、でもおそらくきっとまた別の機会はあることでしょうよ。時間はとても不思議なもので、人生はその二倍も不思議だわ。歯車が欠け、車輪がまわり、人生が交錯するのも早すぎたりおそすぎたり。わたしは長く生きすぎました、それだけはたしかね。そしてあなたは生まれるのが早すぎたか、おそすぎたかのどちらかだわ。ちょっとしたタイミングがおそろしいものね。でもたぶんわたしは愚かな娘だった罰をうけているのよ。とにかく、次のもう一回転したときは、車輪はふたたびうまく働くかもしれないわ。そのあいだにあなたはいい娘さんを見つけて、結婚して、幸せにならなければいけないわ。ただひとつわたしに約束してもらいたいの」
「なんなりとも」
「年をとりすぎるまで生きないと約束してほしいのよ、ウィリアム。少しでも都合がよかったら、50歳になるまでに死になさい。少しばかりのおこないが要るかもしれないわね。でも、わたしがこんな忠告をするのは、ただただ、いつまた別のヘレン・ルーミスが生まれてくるやもしれないからなのね。あなたがそれはそれは長生きして、1999年のある午後に本通りを歩いてゆくと、そこに、21歳のわたしが立っているのを見つけて、またすべてがバランスを失ったら、おそろしいことじゃないの?どんなに楽しくとも、わたしたちが過ごしてきたような午後を、またこれ以上経験することはできないとおもうのだけど、あなたはどう? いっしょに千ガロンのお茶を飲み、ビスケットを五百も食べれば、ひとつの友情には十分だわ。だから、あなたは20年くらいのあいだに、いつか肺炎に襲われるにきまっているわ。いつまであなたをわたしとは反対側にぐずぐずさせておくつもりなのか、わたしにはわからないのよ。おそらくすぐにあなたをもどしてくれるのでしょう。でも、わたしもできるかぎり、ウィリアム、ほんとにできるかぎり力をつくすわ。そしてすべてがふたたび正常にもどって、バランスがとれたら、なにが起こるかわかる?」
「話してください」
「1985年か1990年のある午後に、トム・スミスとか、ジョン・グリーンとか、なにかそのような名前の若者が、ダウンタウンを歩いていて、ドラッグストアに立ちよると、この場面にふさわしく、ある変わったアイスクリームを一つ注文することでしょう。同じ年齢の若い女性がそこに座っていて、そのアイスクリームが名指しされるのを彼女が聞いたとき、なにかが起こるでしょうね。なにが、どういうふうにとは、わたしはいえません。彼女にしても、なぜとも、どのようにとも、わからないでしょう、きっと。また青年もわからないでしょう。ただ、そのアイスクリームの名前は、この二人にとってとてもよいものだということなの。二人はお話するわ。そしてそのあと、お互いに名前を知ると、連れだってドラッグストアから出ていくの」
彼女はにっこりと笑いかけた。
「これはとても瀟洒(しょうしゃ)な話だけど、おばあちゃんがものごとをこぎれいな包みにくくってしまうことは赦(ゆる)してちょうだい。ばかげたつまらないものだけど、これをあなたに残していきますわ。さあ、なにかほかのことをお話ししましょう。」
(レイ・ブラッドベリ著、北山克彦訳、『たんぽぽのお酒』晶文社、1997年8月5日初版、1999年1月10日二刷、248-251頁より)
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「「死を予告することはできません」と、彼はようやくいった。
「50年間、わたしは玄関ホールにある箱型の大置き時計をながめてきましたよ、ウィリアム。ねじが巻かれたあとは、その止まる時間までわたしは予言できます。老人もまったく同じことよ。機械の動きがおそくなって、最後の分銅が位置を変えるのが感じられるのよ。まあ、どうかそんなふうに見ないでください-お願いだから」
「そうおっしゃっても無理です」と、彼はいった。
「楽しかったわね。ここで、毎日おしゃべりして、それはほんとにすてきでしたわ。荷が勝ちすぎてすり切れてしまっている言葉だけど、あの『こころの出会い』といわれていることなのね」
彼女は掌の中で青い封筒を裏返した。「愛の本質はこころだとはいつもわかっていましたよ、たとえ肉体がときにこの認識を拒絶することがあっても。肉体はそれだけで生きているんです。食事をし、夜を待つだけのためにそれは生きているのですよ。本質的に夜のものなのね。でも、太陽から生まれたこころのほうはどうなの、ウィリアム?一生のうち何千時間となく、目ざめて、意識しながら過ごさなきゃならないのよ。あなたは、あのみじめで利己的な夜のものである肉体を、太陽と知性の全生涯につりあわせることができて?わたしはわからないわ。わたしがわかるのはただ、ここにあなたのこころがあり、ここにわたしのこころがあって、ともに過ごした午後に比べるべきものはわたしの記憶にないということね。まだまだたくさん話すことはあるけど、別のときにとっておかなきゃ」
「もうあまり時間はないようですね」
「そうね、でもおそらくきっとまた別の機会はあることでしょうよ。時間はとても不思議なもので、人生はその二倍も不思議だわ。歯車が欠け、車輪がまわり、人生が交錯するのも早すぎたりおそすぎたり。わたしは長く生きすぎました、それだけはたしかね。そしてあなたは生まれるのが早すぎたか、おそすぎたかのどちらかだわ。ちょっとしたタイミングがおそろしいものね。でもたぶんわたしは愚かな娘だった罰をうけているのよ。とにかく、次のもう一回転したときは、車輪はふたたびうまく働くかもしれないわ。そのあいだにあなたはいい娘さんを見つけて、結婚して、幸せにならなければいけないわ。ただひとつわたしに約束してもらいたいの」
「なんなりとも」
「年をとりすぎるまで生きないと約束してほしいのよ、ウィリアム。少しでも都合がよかったら、50歳になるまでに死になさい。少しばかりのおこないが要るかもしれないわね。でも、わたしがこんな忠告をするのは、ただただ、いつまた別のヘレン・ルーミスが生まれてくるやもしれないからなのね。あなたがそれはそれは長生きして、1999年のある午後に本通りを歩いてゆくと、そこに、21歳のわたしが立っているのを見つけて、またすべてがバランスを失ったら、おそろしいことじゃないの?どんなに楽しくとも、わたしたちが過ごしてきたような午後を、またこれ以上経験することはできないとおもうのだけど、あなたはどう? いっしょに千ガロンのお茶を飲み、ビスケットを五百も食べれば、ひとつの友情には十分だわ。だから、あなたは20年くらいのあいだに、いつか肺炎に襲われるにきまっているわ。いつまであなたをわたしとは反対側にぐずぐずさせておくつもりなのか、わたしにはわからないのよ。おそらくすぐにあなたをもどしてくれるのでしょう。でも、わたしもできるかぎり、ウィリアム、ほんとにできるかぎり力をつくすわ。そしてすべてがふたたび正常にもどって、バランスがとれたら、なにが起こるかわかる?」
「話してください」
「1985年か1990年のある午後に、トム・スミスとか、ジョン・グリーンとか、なにかそのような名前の若者が、ダウンタウンを歩いていて、ドラッグストアに立ちよると、この場面にふさわしく、ある変わったアイスクリームを一つ注文することでしょう。同じ年齢の若い女性がそこに座っていて、そのアイスクリームが名指しされるのを彼女が聞いたとき、なにかが起こるでしょうね。なにが、どういうふうにとは、わたしはいえません。彼女にしても、なぜとも、どのようにとも、わからないでしょう、きっと。また青年もわからないでしょう。ただ、そのアイスクリームの名前は、この二人にとってとてもよいものだということなの。二人はお話するわ。そしてそのあと、お互いに名前を知ると、連れだってドラッグストアから出ていくの」
彼女はにっこりと笑いかけた。
「これはとても瀟洒(しょうしゃ)な話だけど、おばあちゃんがものごとをこぎれいな包みにくくってしまうことは赦(ゆる)してちょうだい。ばかげたつまらないものだけど、これをあなたに残していきますわ。さあ、なにかほかのことをお話ししましょう。」
(レイ・ブラッドベリ著、北山克彦訳、『たんぽぽのお酒』晶文社、1997年8月5日初版、1999年1月10日二刷、248-251頁より)