たんぽぽの心の旅のアルバム

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コロナワクチン被害者「河野太郎大臣にブロックされた」SNSで苦境を訴えた直後 法廷で証言

2024年08月27日 08時12分31秒 | 気になるニュースあれこれ

Xユーザーの中川淳一郎さん: 「河野太郎氏は絶対に総理にしてはいかん人物である。正直、表現の自由を完璧に封じる可能性がある宰相が誕生したらやばいことになるぜ、このバカ国家日本→コロナワクチン被害者「河野太郎大臣にブロックされた」SNSで苦境を訴えた直後 法廷で証言(楊井人文) #Yahooニュース https://t.co/p3Tc0nwRpv」 / X

 

2024年8月26日ヤフーニュース、

コロナワクチン被害者「河野太郎大臣にブロックされた」SNSで苦境を訴えた直後 法廷で証言(楊井人文) - エキスパート - Yahoo!ニュース

 河野太郎デジタル大臣が2022年12月、新型コロナワクチン接種後の健康被害が生じ、苦境を訴えた一般人女性のSNSアカウントをブロックしていたことがわかった。投稿は「生活も苦しくもう限界です」「どうかワクチン被害者も助けてください」などと訴えたもので、河野氏を誹謗中傷する内容ではなかった。

 女性は「まさかこんな扱いを受けるなんて夢にも思わなかった。ショックだった」と話している。河野氏はこの女性をブロックしたことについてコメントを出していない。

 誹謗中傷をしたわけでもないのに河野氏からブロックされたという報告は相次いでいるが、メディアはほとんど報じていない。

「まさかこんな扱い。すごいショックだった」

 河野氏からブロックされたと証言したのは、岩手県在住の宍戸千穂さん(40代)。

 2021年10月、新型コロナワクチンの1回目接種をした直後から指先の痺れなどを発症し、その日のうちに病院でアナフィラキシー(*)と診断された。まもなく発熱や、身動きできなくなる全身倦怠感など様々な症状に見舞われた。「それまで持病はなく、体力には自信があった」が、接種翌日から飲食店の立ち仕事を続けられなくなり、失職。集団接種会場ではアレルギー体質を申告していたが、医師に「アレルギーがあっても大丈夫。このワクチンは絶対打った方がいい」と言われ、その言葉を信じたという。

河野氏にブロックされたのは、2022年12月8日のことだ。前日、河野氏が「"被害者救済法施行後 改善のため検討会設置へ" 河野消費者相」というニュースをX(旧Twitter)上でシェアしていたのが宍戸さんの目に止まった。旧統一教会の被害者救済を図る法案審議中に、消費者担当大臣としてした答弁を報じた記事だった。

 宍戸さんは、引用リプライという形で「1年前のワクチン接種後から体調不良で生活も苦しくもう限界です。救済制度申請したけど結果が来るまで保ちそうにありません。/どうかワクチン被害者も助けてください。/何かあったら責任取ると言ってましたよね?その言葉は嘘なんですか?」と投稿した。すると、その日のうちに河野議員にブロックされた。

 健康被害救済制度では当初、接種後2日分しか補償されず、それ以降の分の審査が長引いていた。河野氏に窮状を訴えた当時は、借金をしながら療養生活が1年を超え、追い込まれていたという。

(*) 後に健康被害救済制度に基づく審査では「急性アレルギー反応」と認定された。

法廷で訴え、覚悟の実名証言 河野氏の答えは…

 宍戸さんは今年4月ようやく、接種後3日目以降の分についても健康被害の認定を受けた。一方で、コロナワクチンのリスク情報について十分周知しなかったことは問題だとして、遺族らが国の責任を問う集団訴訟(4月提訴)に参加した。

 その第1回口頭弁論が8月19日、東京地方裁判所で開かれた。宍戸さんは陳述書を読み上げ、河野氏にブロックされた出来事や、「心因性だ」と鼻で笑われるなど医療機関の対応に言及。「もし健康被害が起きたとしても、しっかりフォローされ向き合ってくれるものだと思っていました」「どうかワクチン接種後の健康被害にも目を向けてください。立ち止まり検証してください」と訴えた。

 司法記者クラブの会見でも、ブロックされた時の心境について「そういう対応なんだなと、すごいショックだった」と語った。

 第1回口頭弁論で当事者の陳述が認められるのは異例で、他に3人が法廷で陳述した。遺族を含む原告13人全員が、救済制度で厚労大臣による被害認定を受けている。

 宍戸さんは今回の取材に実名で応じた。筆者は経緯を聞き取り、救済制度に基づく認定通知書などを確認した。

 8月20日、筆者は河野氏の議員事務所にFAXで取材を申し込み、ブロック直前の投稿画像を送った上でコメントを求めたが、回答はなかった。23日、事務所の職員が電話口で「この件は回答しません」とのみ返答した。」

 

 

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