たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』_東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング(3)

2019年03月29日 21時08分59秒 | 宝塚
 これを読みたいために買った東京公演プログラム、ウエクミ先生のメッセージ。

「宝塚では、一つの演目を一カ月以上、多くは一日に二回、上演しています。

 これは出演者にとっては体力的にもハードワークであることに加え、本当は一度限りのその役の人生を、百回以上、舞台で生き直さないとならないというのが、非常にたいへんなのです。他の演劇の舞台で、百回以上公演する芝居はほとんどないでしょうから、宝塚の大劇場公演特有の難しさということになります。

 役者は、舞台で起こる出来事を、いちいち、まだ知らない情報として受け取らなくてはいけません。台本なんて百も承知であるにもかかわらず、その役の人生を、初めて体験することとして新鮮に驚きながら生きる。百も承知の次の相手のセリフを、初めて言われたように心を動かしつつ聞いて、百も承知の自分のセリフを、今、心に浮かんだものとして声にしていく。でも、ただリアリティに則って好きなように時間をかけて演じてしまっては見ている人には間延びして見えますから、ある程度、本当の人間の心の動きよりはすこし速いような、小気味いいセリフの間があり、芝居の型があります。それらの正確にはリアルとは違う「型」の中に、リアルな心を入れて、演じているのです。

 それを一日二回、一カ月以上やり続けることの苦労は並大抵のものではないはずで、タカラジェンヌは凄いと、その奇跡のような根気と努力にいつも瞠目しております。」


 大劇場公演の終盤に書かれたとのこと。深い脚本と冴えわたる演出の上に、100回以上、役の魂が役者の体に乗り移った奇跡の舞台でした。カール・シュナイダーは紅ゆずるさんの体に宿り続け、最後の最後、「鴎の歌」を歌わせると魂に声をのせて去っていきました。ものすごいものをみたのだという余韻。『エストレージャス』のプロローグで紅さんの声が掠れているとわかった時、まだまだこれから歌う場面がある、いくつあるのだろうと数えていました。中詰めのチャンピオーネはすごく長いし、どうなってしまうのだろう、途中で紅さん出てこないんじゃないかと心配しましたが、キラキラの笑顔満開で声が出ない分ダンスをがんばる感が大画面から伝わってきました。大階段燕尾服ダンスの、声をためて絞り出した渾身の「ふぅ!」はトップスターとしての責任と男役としての誇りと心意気、ダンスもキレキレでした。カーテンコールで大羽根背を背負った姿はいちだんと細くなったようにみえました。「申し訳ございませんでした」と、悔しさをにじませながら客席に深々と頭をさげる紅さんをみているのは辛いものがありました。同時にその潔さに頭が下がる思いでした。男役としての色気と大人の女性の色気がただよう表情は美しいなと思いました。オケピットが絞り出すように紅さんが歌う時音量をさげていたことに批判的な声もあるようなの残念。このあとの舞台に影響が出ませんように、早く治りますように・・・。

 ショーでの綺咲愛里さんの、「わたしががんばる」感をみなぎらせた気迫に満ちた表情も美しいの極みだと思いました。いつもと表情を変えることなく、やったるでぇーとスィッチが入った表情。ライブビューイングの大画面から気迫が伝わってきました。小さいお顔の左右が対称になっていないのがいいですね。最後のデュエットダンス、くしゃくしゃの表情でマルギットを抱きしめるカールを、愛理さんマルギットの手がぎゅっと抱きしめかえしていたかな。瞳と表情の表現力がすごい娘役さんなのだとわかったライブビューイングでした。

 七海ひろきさんの男役最後の愛の告白相手が紅さんだったいうのも奇跡のような千穐楽。退団されてからお二人でなにかやってくださるといいなあなんて、まだ先の話ですが思ったりしています。

 いくつもの奇跡が重なった大千穐楽、礼真琴さんは紅さんがささやき声で「みなさーん」って呼ぶと誰よりもデカい声で返事をして誰よりも早く駆け寄っていってたし、みんなが動じることなくいつもよりさらにトップスターをリスペクトしながら盛り上げようとがんばった舞台。ライブビューイングで観劇できて心の底からよかったと思います。

 備忘録もう少し続きます。

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