たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

さあマスクをはずそう!(まずはTPOにあわせて)

2022年04月14日 18時49分29秒 | 気になるニュースあれこれ
東北有志医師の会HPより、

さあマスクをはずそう!(まずはTPOにあわせて)
https://tohokuishi.localinfo.jp/posts/33744145

 10年ほど前からマスク人間になりました。国家試験の受験が目前にせまってきたころ、就労していた大会社の古い空調設備が悪かったからなのかわかりませんが、咳をし始めたらとまらなくなってしまいました。以来マスクがはずせなくなってしまいました。もともと花粉症ではあるものの、真夏に外を歩くときもマスクをしたまま過ごしてきました。数年前対面業務で利用者から、初対面の人に非常識だと批判されたこともありますがはずせませんでした。いつしかマスク依存症になっていました。コロナ禍となってから誰もがマスクとなり、みんながマスク人間となったことに、最初のころは安心しました。

 そして気がつけば、一億総マスク社会、自転車に乗っている人も車を運転している人もお店の人もみんなみんなマスク、マスク飲食なる言葉も生まれました。夜道歩いている人もノーマスクの人はいません。子どもたちもマスク。この光景に違和感をおぼえるようになり、スギ花粉の季節も終わってきたので、しばらく前から夕方以降、外を歩くときはマスクをはずすようになりました。入口で消毒液にアクリル板、ワクチン接種してもマスクしてくださいというファーストフードカフェなどでは、いったんテーブルについたら、おトイレに立つときもマスクしません。ちょっと変わった人のように見られますが、今のところお店の人になにか言われたことはありません。昨日ようやくノーマスクの人とすれ違いました。自転車に乗っている若い男性とスーパーの前を歩いていたおじさん。

 電車、バス、スーパー、デパート、劇場などは呼びかけがなくならないかぎりむずかしいと思います。自分自身もマスクをしないことへの恐怖感みたいなものが少なからずあります。コロナ感染を防ぐということでは意味がないとわかったので、せめて暗くなってから外を歩くときはマスクをはずします。もうとっくに終わっている自分のことはいいので、未来ある子どもたちのためにはずします。コロナ禍となってから、高齢者にうつすから?と運動しているときもマスクに、過大な行動制限を課されている子どもたちに、素顔の大人をみせることは大切なことだと思います。変形性膝関節症により足の痺れがひどく、もうなにもできない自分がせめてやれる社会活動という気持ちです。

 尾身さんのコロナ幽霊病床に数百億円の補助金が流れていても正せる法的根拠はないそうです。ワクチンを打った医師への手当一回あたり2000円、しかも非課税。東日本大震災は10年間で32兆円なのに、コロナ予算では破格の予算が医療に流れています。コロナ専門家?たちは終ってほしくないので、このまま日本が滅びるまで永遠に不安を煽り続けるでしょう。岸田さんはなにも決断できません。わたしたちが、ワクチン接種に慎重になり、マスクをはずしていくしかないと思います。子どもたちに大人を守らせるのではなく、大人が子どもを守るために・・・・。

2022年4月13日読売オンライン、

「コロナ対応に国費16兆円、4割が医療体制強化に…財務省幹部「検証が必要」」
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20220413-OYT1T50246/


2022年4月14日TBSNEWS、
 
「5歳~11歳のワクチン接種 16人に副反応疑いの報告」
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ffb0bf1f92400e7fd72a24a47c50c73a33f9368/comments

小さな町ですが、ワクチン接種は希望制、任意なので本来あるべき姿と思います。

https://www.town.gifu-ikeda.lg.jp/cmsfiles/contents/0000002/2622/koho202203.pdf



















赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-イギリス文学-『アン』の妖精について(2)

2022年04月14日 01時33分07秒 | 『赤毛のアン』

『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-『アン』の妖精について

https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/a05f006252894982bfca4c480232c83e



「『アン』第28章でアンがお芝居ごっこをしたテニスンの『国王牧歌』は、ブリテンに5、6世紀から伝わる「アーサー王伝説」を元にして書かれたものだが、王は、魔法の力を持った妖精マーリンが育て、助ける。

 このように『アン』に引用されている作品には、ひんぱんに妖精が姿を現しているのだ。

 イギリスでは、古くから妖精の存在が語られてきたが、中世になると魔女狩りの影響もあって、妖精は魔力を持った悪霊で、人々に災いと危害をおよぼすと思われた。しかしシェイクスピアが、いろいろの妖精を、悪戯好きだが悪意はない存在としてとりあげて以来、再び妖精にたいする認識が少しずつ変わったとされている。

『アン』に出てくる妖精も、ゴブリン(鬼)のほかは、みな善良な妖精だ。一般に、ゴブリンは鬼とされているが、『アン』では、頭がケーキでできていて夢の中でアンを追いかけまわすというのだから、ぜんぜん恐ろしそうではない。むしろユーモラスだ。

 日本でも妖精文学の研究書は出ている。ドラットル著『妖精の世界』(井村君江訳、研究社)、そしてブリッグズ著『イギリスの妖精-フォークロアと文学-』(石井美樹子、山内玲子訳、筑摩書房)は、イギリスの妖精伝説を、文学と民話から研究した専門書である。後者は、トーマス・パーシーにも触れている。

 パーシーは、1765年に『古歌謡拾位遺集を出版し、フォークロアにおける妖精民話に貢献した、とある。彼が『妖精の女王』に書いた妖精のふるまいは、日本人からすると馴染みがないが、妖精とは、深夜に宴会を開くものであり、ドングリのコップで乾杯して、虫を食べることは、英国の民話やほかのバラッド(伝承の物語詩)を読むと、お約束事のようだ。

 私自身は、有名な聖職者のパーシーが、妖精などという精霊を信じていたことが興味深い。キリスト教は、異端の精霊は絶対に認めないが、彼は司教でありながら、その信仰とは別に、妖精研究をしている。イギリスにおいて、妖精伝説がいかに奥深い土着文化を形成しているか、痛感させられる。」

(松本侑子著『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』、141-144頁より)