エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 雲泥の差

2016-12-29 02:37:00 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
それほど効かない CBT
   汝の眼の梁を取れ!  現代人は「偽物」と言う名のアヘンの常用者。そのアヘンのおかげで、1人ぼっちで、バラバラである自分自身の痛みを和らげてもらって......
 

  今宵のエリクソンも、Insight and responsibility p.93から。タイトルは、『本物の課題を見抜く眼と、本物の課題に応え続ける態度』という程の意味で、『…と責任』という感じじゃない。

 

 

 

 

 

 本当に自分が確かにされるのは、若者が自分にとって大事な集団を特色づけるその集団ならではの、自分が確かにされる感じから、裏付けを貰うかどうかです。

 

 

 

 

 

 裏付けを貰うのが、人類や1人の子どもなのか? それとも、職場集団や上司なのか? で、その自分が確かにされる感じには、雲泥の差が出ますよ。

 

 

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いつでも大事なのはね・・・

2016-12-29 01:30:57 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
本物の続き セラピストの絶対条件?
   自分が自分らしく生きるのは、≪やり取り≫の中で相手がその人らしく生きられる時だけ  エリクソンによれば、男と女は身体が違うから、この世の中での体験......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.152、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 アンソニーが子ども養育センターからトラウマ・センターにリファーされたのは、まだ、2歳半の時でした。養育センターの職員では、アンソニーがいつも噛みついたり、 突いたりするのを止められなかったし、お昼寝をしようとしなかったり、なかなか泣き止まなかったり、ロッキングしたりするのも、止められなかったからです。アンソニーは、養育センターの職員とは誰と一緒でも、安心できなかったから、しょげ返って、いじけていたかと思えば、怒り狂って反抗する間を行ったり来たりの繰り返し。

 

 

 

 

 

 あるタイプの発達トラウマ障害(DTD)の子どもを、見事に示してくれています。アンソニーが示すような、厄介な行動を押さえこもうとする関わりでは、決してアンソニーの様な子どもとの関係は良くなりません。養育センターの職員らは、厄介な行動を止めされようと、あれこれとやったんでしょう。

 気持ちが分からないからです。本物の課題に気付かないからです。

 いつでも大事なのはね、「正しいこと」を押し付けるのではなくて、相手の心に寄り添うことです。

 

 

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現世考: アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちの「和解」の二枚舌(三枚?)

2016-12-28 07:22:20 | 間奏曲

 

 

 

 
うじ+α
   現代人の心は、酸欠  現代人は、本当に人を大事にする、ということを体験してないんですね。今どきの日本だけの現象では必ずしもない。 p93の第3パラ......
 

 

 いま、NHKも民放各局も、ライブで、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちのパールハーバーでのスピーチを垂れ流しています。 「和解」の旅だ言います。

 アメリカ人と「和解」できる人が、なぜ、国内の沖縄の人々と沖縄県知事と仲良く出来ず、無視・イジメ・虐待を繰り返すのでしょうか?

 

 アメリカ人と「和解」できる人が、なぜ、お隣の中国の人々が、日本の島(尖閣)の近くを通ったからと言って、大目に見ず(「不寛容」)、目くじらを立てるのでしょうか?

 

 

 アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちの「和解」というのが、二枚舌、三枚舌のオオウソ、出鱈目で、内実は、「強い者」にオッポを振り弱い者、小さくされた者に対しては、苛烈なまでに残忍で、しかも、憎悪の塊であることを、明確に示していることに、私どもは気付いていくべきだと、警鐘に警鐘を重ねたい気持ちでいっぱいです。

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聖書の言葉: 十字架によって

2016-12-28 03:11:59 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
平安と安心(peace)を!
   空気読めない で良いじゃんよ  金森俊朗さんのNHKのコラムに「“空気がよめない”って、悪いこと?」があります。ここで金森さんは、いつもながら、大......
 

 「エフェソ人への手紙」という『新約聖書』の中の手紙、第2章16節に、

十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 」(新共同訳)

というくだりがあります。

 前田護郎先生の翻訳では、

16十字架によってふたりを神に対してひとつ体に和解させて敵意をお殺しでした。

 となります。

 私が好きな聖句なんです。

 十字架には、すごい力があんですね

 なぜだと思いますか?

 この「和解」を心理学的、文化人類学的に言ったのが、エリクソンでしたね。エリクソンは、人類は1つ、人類皆兄弟と実感していました。理屈ではありませんからね。実感です。

 それとは異なる立場は「ウソ」、「偽り」、と言いましたね。解かりやすい翻訳で言いますと、「人類を上下2つに分けるウソ」となります。激しい怒りと殺してしまいたいくらいの憎しみ、そこから生まれる敵意が、「人類を上下2つに分けるウソ」には、背景に必ずあります。

 十字架によって、私どもは、「欠点が多い存在」であっても、心からの許し、心からの自由を体験することができます。その許された悦び、自由にされた悦びこそが、まさに光、温もりのある明るさ、なんですね。

 ですから、人を自分よりも、「上」に見たり、「下」に見たりする必要が、全くありません。対等に感じて、いつでも、その相手の懐に、相手の世界に、許されれば、入っていけるんです。普通は、他人からその人の世界、その人の言い分を押し付けられている人にとって、自分の世界に歩み寄ってもらったら、その嬉しさって、ひとしおでしょ。そこから、その相手の本当の課題が見つかりますし、その関わりから、相手が自分の本当の課題を解決する道を、自分で見つけるのです。

 実にうまく出来てますね。ですから、「とても良かった」と神様はいつでもいう訳ですね。

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 相手の本当の課題に応え続ける要石

2016-12-28 02:34:11 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
本物は、1人では無理!
   男の世界と、女の世界は、別物  女性が、女性らしく生きることができることが、実は、男たちにとっても、子どもたちにとっても、有益なことが分かりきます......
 

  今宵のエリクソンも、Insight and responsibility p.129から。タイトルは、『本物の課題を見抜く眼と、本物の課題に応え続ける態度』という程の意味で、『…と責任』という感じじゃない。

 

 

 

 

 

 フロイトが気付いたのは、人として大人になること(genitality ジェニタリティー)だけが、知的にクリアであること、身体も許し合って満足な関係、自分と人を思いやる気持ちを併せ持つことを確かにする、ということでしたね。これを併せ持つことは、身に着けるのも難しければ、そうあり続けるのも難しいものですよね。しかし、この3つを併せ持つことこそ、相手の様々な本物の課題に応えつづけるやり取りをする上で要石なんですね。

 

 

 

 

 

 

 ここで、genitality ジェニタリティーを、「性的」とはしませんでした。それでは、日本語の「性的」とい言葉から連想する狭さが、もともとの意味を矮小化、チッポケにしてしまう嫌いがあるからです。「人として大人であること」とする方が、フロイトの気付きに遥かに近い。だって、そうでしょ、「性的に大人」だけの人が、果たして、知的にクリア、って言えます? いいえ、言えません。むしろ、知的にはバカでしょ。

 

 「人として大人であること」だからこそ、知的にクリアであること、身体も許し合って満足な関係、自分と人を思いやる気持ちを併せ持つことができるわけでしょ。

 そうだからこそ、相手の言葉にならない本物の課題を、パッと気付きて、それに応え続けることができるわけです。

 


 

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