エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「≪約束≫に基づく遊びセラピー」 誕生 松居直様様

2016-04-30 07:50:06 | 聖書の言葉から

 

 

 
ことばの枯渇 3訂版
   ことば。人間、ホモ・サピエンスの特色です。でも、白鳥が群れで逆Vの形で飛んでいる時、語り合いながら、その編隊飛行の形を変えているのを目の当たり...
 

 

 今朝は、松居直さんの言葉です(『絵本のよろこび』)。

 

 

 

 

 

  絵本とは、言葉の湧き出てくる世界です。絵本は子どもに生きている歓びを感じさせ、生きる力を与えます。同時に大人をも生き返らせてくれる言葉の泉です。

 

 

 

 

 

 この本は、もともと、2002年に放送された「NHK人間大学講座」、今の「100分de名著」の前進の番組で、松居直さんが講師で、絵本について教えて下さる講座のテキストでした。私はそれ以降、「絵本の読み聞かせセラピー」と「≪約束≫に基づく遊びセラピー」をするようになりましたね。それで、母子関係の改善、発達トラウマ障害≒愛着障害の子どものセラピーで著効を得るようになりました。ありがたいことです。松居直様様です。

 

 

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心の貧困=根源的信頼感の貧しさ 

2016-04-30 06:35:20 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
「原始」社会の、本物の豊かさ
  子育てが豊かであれば、その社会は「原始」社会でも豊かです。子育てが貧困であれば、近代都市社会であっても、貧困の極みと言わなくてはなりません。もちろん、現在の日...
 

 

 子どもが危険な目に合わないように、危険を排除しすぎるほど、逆に子どもは、大きな危険な目に合いがちだ、という翻訳をした当日、まことに不思議なことに、そういう子どもと、その親の面接をすることになりましたね。「せいぜい、今できることは、親としても切ないことですけれども、子どもが失敗することを見守ることでしょうね」と私が申し上げると、その母親は涙を流していました。親が「危険」を排除しすぎたために、決して小さくはない「危険」を冒さざる負えない状況に立ち至っている、という訳です。

 それにしても不思議でしょ。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.240の 下から14行目途中から。

 

 

 

 

 

同時に、私どもはバランスを取らなくちゃね。それは、薬を使ったり、喧嘩をしたりするような間違いを、人生を脱線させてしまうほどの大惨事までに、大きくするようなことをするようなことなどしない、と言うんじゃぁないんですよ。不幸なことですが、これが、私どもが現在「厳罰主義(寛容0)」政策がやっていることそのものですね。すなわち、一つでもルールを破ったら、退学させる、ということです。

 

 

 

 

 

 ルールやルールの運用は、その人の根源的信頼感と正比例します。根源的信頼感が豊かであればあるほど、ルールは、人を慰め助け、励まし、笑顔になってもらうために、その目的(立法趣旨)に従って、使われます根源的信頼感が乏しい人がルールを運用すると、人を辱め、貶め、がっかりさせ、泣かせるために、目的を無視して、細かい数合わせに拘って、使われちゃいます

 

  厳罰主義は、心の貧困=根源的信頼感の貧しさ の証明です。

 

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セラピーは礼拝

2016-04-30 05:01:23 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
コンプレックスが強みに代わる時
  マルティンは、いわばコンプレックスの塊です。しかし、それが無駄でなかったのですね。 Young Man Luther 『青年ルター』p196の第3パラグラ...
 

 

 演じることが持つ治療効果は絶大ですね

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第20章 Finding your voice : communal rhyhtms and theater「自ふんの声を見つけてね:共通のリズムと劇場」p.333の、最後の行から。

 

 

 

 

 

 記憶のない頃から、人間は共同の礼拝を用いて、一番強力で、怖い気持ちに対処してきました。古代ギリシアの劇場は、記録がある一番古い劇場ですが、宗教儀礼から発展したものと思われます。その宗教儀礼とは、踊りあり、歌あり、神話の再演あり、でした。しかし、紀元前5世紀までは、劇場は市民生活の中心でした。そこでは、聴衆は舞台のまわりにu字型に座るのですが、そのおかげで、聴衆はお互いの気持ちも反応も見ることが出来たんです。

 

 

 

 

 

 昨日のヴァン・デ・コーク教授のBody keeps...のところて、演じることとキリスト教とをパラレルに論じましたでしょ。まんざら的外れでもなかったでしょ。ヴァン・デ・コーク教授も、古代ギリシアでは、演劇と宗教は同じことだと言いますもんね。

 セラピーは、演劇も含めて、極めて宗教的、セラピーは礼拝なんですね。

 

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発達トラウマ障害は、心理的な反応と力の点で、いろいろなことを変更することになる

2016-04-30 04:29:21 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
ことばの枯渇 3訂版
   ことば。人間、ホモ・サピエンスの特色です。でも、白鳥が群れで逆Vの形で飛んでいる時、語り合いながら、その編隊飛行の形を変えているのを目の当たり...
 

 今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の29日目。

 今晩から、 妥当性と信頼性の章に入ります。「実験心理学」の、つまらない話だったら飛ばして訳そうとしましたが、いろんな精神疾病との鑑別の問題もありますから、やっぱり翻訳しておこうと考えました。

 

 

 

 

 

         妥当性と信頼性

 発達トラウマ障害の診断基準の妥当性と信頼性は、これから議論する様々なやり方で確立されてきました。

 

 

DSM-Ⅴ独自の妥当性の基づいた診断の合理性

 

1)この、発達トラウマ障害と言う病気の実際が、DSM-Ⅴ(あるいは、DSM-Ⅴにとって発展した)特有の精神疾病の定義を満たすのか?

 

 発達トラウマ障害(DVD)は、臨床で大事な行動上の、あるいは、心理学的な症候群やパターンを示しています。その症候群やパターンは、個人に起こることであると同時に、1、2の重要な領域にある現在の苦境や出来ないこととも関係します。この症候群は、特定の出来事に対して当然で、しかも、文化的に正しい反応であるということばかりではなくて、子育てのための文化や社会において、普通ではない、心理学的な反応や力のことで、いろんなことを変更することだということです。発達トラウマ障害は、社会的・政治的に逸脱した問題行動を反映したものではありません。ただし、発達トラウマ障害は、法的課題や社会的な汚名に結びつく行動も含む場合もあります。

 

 

 

 

 

 今日のところは、面白みに欠けますが、ちょっとお待ちくださいね。

  

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インターメッツォ : ≪私≫の中心にあるもの

2016-04-29 10:02:18 | 聖書の言葉から
 
まど・みちおさんの場合 日々を不思議な ”窓” から見続けた人生
  今日は、まど・みちおさん。 私は「マハトマ」とお呼びしています。文字通り、「偉大な魂」。しかも、まど・みちおさんは、「自分は『ちっぽけな存在』と肝に銘じて...
 

 

 今日は、エリクソンの言葉から(The Galilean Saying and the Sense of "I ")。

 

 

 

 

 

≪決してウソのない約束≫ということが、ことの核心になります。この≪決してウソのない約束≫こそが、≪私≫が、身も心も、イキイキ、ピチピチ、生きることの中心です。

 

 

 

 

 

 エリクソンは、昨日のマザーテレサと同様の信頼の人であったことが、この言葉からハッキリと分かります。

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