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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#お清めのある暮らし

2025-05-20 08:12:21 | エリクソンの発達臨床心理

#信頼に似ている
「発達トラウマ障害 Enpedia」は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。とし......

「発達トラウマ障害 Enpedia」
については、Google検索ではなく、MSN検索やBing検索で情報をご確認ください。とのことでしたが、一日でMSN検索とBing検索にも情報操作が施されたようです。
これは、
「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実
がいかに重要かを物語っています。

Childhood and Society 第章  p.166 から。


 第4章
鮭の川ぞいの漁師
Ⅰ ユーロックの世界

 比較と別の視点で見ると,憂鬱な「武器のない戦士」から,太平洋岸で,猟師とどんぐり採取をしている部族,ユーロックの人々に 視点を転じましょう。
 スー族とユーロック族は、それぞれの根っこにある生存条件が真逆だったようです。スー族は大平原を彷徨し,外へ外へと広がる考えを養った。彼らの目にしたのは,彷徨するバッファローの群れであり,移動中の敵でした。ユーロック族がすんでいたのは,狭い山岳地帯でして,そこは密林の中を川が流れる谷間であり,その川が注ぐ太平洋沿岸でした。しかも,ユーロック族は,思い思いにぐるりとめぐらした境界線の中に限って,暮らしていました。ユーロック族は,直径150マイルの円の中に…この世のすべてがあると思っていました。ユーロック族は残りの場は,眼中にはなく,その境界をあえて乗り越えようとする者は,「気ちがい」か「生まれが悪い」と見なしていました。ユーロック族は,サムシング・グレートの「家」と思っていた 水平線に向かって,お祈りをしました。サムシング・グレートの「家」は,そこから,気前のいいスピリットが,いのちの実体を下さるのです。(実際には存在しない)上流の湖から,クラマス側は長けていると信じられていますし,海の向こうの土地が,鮭の故郷と信じられていました。空の国から鹿が送られてきますし,海辺の北からは,貝のお金がやってきます。中心がありませんから,東西南北もありません。あるのは,「上流へ」,「下流へ」,「川に向かって」,「川から離れて」があるだけです。世界の果て(は,お隣の部族が住むところ)は,楕円形で,背後の周りにあります。中に留まる世界を作るのです。
 このような限られた場で生きる中で,極端な地方色が生まれました。ユーロック族の長老から,ご先祖様の家に,車で連れて行ってくれないか?と 私は頼まれました。私どもが,そのご先祖様の家に着きますと,ほとんど気付かない 地面の窪みを,自慢げに指さして,「ここが,私の誕生地でさぁ」と言いました。そんな地面の窪みには,姓が残されます。実際,ユーロック族の地域で地名が付くのは,人間の歴史や神話がその場を大事にした場合だけでした。ユーロック族の神話は,山の頂上や 白人の旅人が見たら,忘れられなくなる セコイアの巨木が出てきません。しかし,ユーロック族の人は,取るに足らない岩や木を指さして,「あれが大事な出来事の『はじめ』ですよ」というんです。財産を手に入れて,手に持ち続けることは,今も昔も,ユーロック族の人たちが,考え,話し,願い求めていることです。あらゆる人,あらゆる関係,あらゆる関わり合いが,厳しく評価されますし,誇りと終わりのない口げんかの対象になり得るものです。ユーロック族の人々は白人と出会う前から,お金を持っていました。 彼らは,様々な大きさの貝のお金を使っていて,細長いお財布にお金を入れていました。こういったお金は,島の部族から手に入れました。しかし,ユーロック族は,もちろん,北の沿岸近くに「迷子になる」ことは決してありません。北の沿岸近くにいったら,貝のお金が インフレになるほどたくさんありますから。
 この細やかであっても,キッパリと区切られたユーロック族の人々の世界は,クラマス川によって二分されていますが,いわば、大海原に「口を開けている」のですし,毎年,不思議なことにも,途轍もなくたくさんのサケが,クラマス川の河口に勢いよくやってきては,激しい急流を駆け上り,上流に消えて,産卵して死んでいく。数か月経つと,サケの小さな子どもたちは、クラマス川を下って,海に消えていきますが,それは,二年経てば,大人のサケになって 誕生地に舞い戻り,サケのいのちを全うするためなんです。
 ユーロック族の人々は,スー族の人々のような「強い」暮らしではなく「清い」暮らしについて話してくれます。「清い」暮らしとは,汚れたものと穢れを避け,穢れからのお清めを常にすることです。


 いまのニッポンで,このお清めをする人がどれくらいいるんでしょうか?
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#ある告白

2025-05-20 07:58:20 | エリクソンの発達臨床心理

#毎日礼拝の分別
「発達トラウマ障害 Enpedia」は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。とし......


「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。 
 
 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 p107の 第二パラグラフ から。


          
 ここからが分かれ道です。一つは,いつも驚きがあり,時にドキリとするような 自然発生する「礼拝」を論じることになります。もう一つは,「形が定まった習慣や儀式」に向かうことになります。と申しますのも,青年が仲間(あるいは,人類を上下二つの分けるウソ)に応える一味になりますし,その選民になることもよくあるのは,ある正式な堅信礼,入隊式,卒業式を約束する あの約束の中にあるのです。仲間の一員になって初めて,青年は大人になれます。その大人とは,自分の子どもの暮らしの中で,自分は毎日礼拝の司祭になれると見通せる という意味ですし,おそらく,次世代の暮らしの中で礼拝を司る役割をする という意味です。自分が次世代の子ども等を毎日礼拝する際に司祭になれるという 大事な確信だけが,本当の自分が発達する中のある 大事ないくつかの品性を1つにすることができるわけです。自分が次世代の子ども等を毎日礼拝する際に司祭になれるという 大事な確信だけが,様々な考えや理想を首尾一貫したものにできるわけです。ただし,緊迫した変化が社会全体にあったり,一人びとりにある場合は,別です。
 お互い様は,それによって,様々な動物が,生まれながらに持ち合わせた互いに相手を大事にするバターンでやり取りを全うするものですが,人間において,匹敵すると言われるのは,子どもの時期と青年の時期までです。人間的な意味で十分に育つとは,身に着けた技術がモノを言う中で起きることに準備ができることであり,自分の仲間ならではで 他を持って代えがたい価値やイメージを心の刻む準備ができることです。その代わりに,人間的な意味で十分に育つとは,(単に,嫌いだから,とか,汚らわしいから,とか,熱狂的にノーと言ったり,争ったりして)敵と一体になったものを排除し,時代遅れで奇妙な考えを拒否します。ですから,私が明らかにしたいと思います この時期特有の危機は,若者が,「家族と一体感を持っている」ことから生じる危機であり,それぞれの文化社会に特有の礼拝によくある「独特の考え」に馴染んでいることから生じる危機です。家族と一体感を持っている」ことから生じる危機と,それぞれの文化社会に特有の礼拝によくある「独特の考え」に馴染んでいることから生じる危機を1つに出来たお陰で,若者は 新しい力を,その時代時代の技術や歴史の流れと結びつけることができます。神様のいのちが一巡する時,若者がここで記した 本当の自分が育つ際の品格を1つにでき…ますと,仲間入りする決まりに対する ほとんど卑屈と言えるほどの従属が,驚くほどの同調性を示します。それは,その驚くほどの同調性今ある職業倫理を受け入れることと変わらない場合が多いのです。この今ある職業倫理を受け入れることは,仲間以外の人から見たら,人類を上下2つに分けるウソに見えるものでしょう。たほう,この人生の舞台で しっくり来ない生活は,誰と一体になったらいいのか分からず迷う,ということです。誰と一体になったらいいのか分からず迷うことは,もちろん,モラトリアムのやり方の中で,ある種のゆとりを認める「生き方」の中に入りますモラトリアムは,「バカ騒ぎ」になったり,「自分らしく」をいろいろ試して それも前々からあったやり方を試す 大人になるのを待ってくれたりする時期なんです。その「自分らしく」が,境界例の病気,犯罪者,危なっかしい非行,病んだ狂信に見えますが,その当否とその視点からそうなのかを問う,精神医学的、政治的、あるいは,法的な定義の問題である場合がおおいのです。若者の「存在証明」のほとんどは,(あざけるようなもの 騒々しいもの)ちょっと大げさなところがありますね。若者の「存在証明」のほとんどがちょっと大げさなことは,警告として役立ちます。すなわち,若者が世の中に適応することを当たり前のことと思ってはならない という警告です。若者が世の中に適応するには,自分らしく生まれ変われる という約束が必要です。(訳註:しかしながら)いまは,誰と一心同体になるのがいいか分からない 歴史的な陥穽があります。誰と一心同体になるのがいいか分からない 危機を克服できるのは,本当の私を新鮮にするしかありません。その新鮮な本当の私は,経済の変化 技術の変化に追いついています。


 様々な技術に追いつかなけない私はいまだ新鮮な本当の私に なり切れておりません。
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#清い暮らし

2025-05-19 08:19:43 | エリクソンの発達臨床心理

#リズムの一体感
「発達トラウマ障害 Enpedia」は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。とし......

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については、Google検索ではなく、MSN検索やBing検索で情報をご確認ください。とのことでしたが、一日でMSN検索とBing検索にも情報操作が施されたようです。
これは、
「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実
がいかに重要かを物語っています。

Childhood and Society 第章  p.166 から。


 第4章
鮭の川ぞいの漁師
Ⅰ ユーロックの世界

 比較と別の視点で見ると,憂鬱な「武器のない戦士」から,太平洋岸で,猟師とどんぐり採取をしている部族,ユーロックの人々に 視点を転じましょう。
 スー族とユーロック族は、それぞれの根っこにある生存条件が真逆だったようです。スー族は大平原を彷徨し,外へ外へと広がる考えを養った。彼らの目にしたのは,彷徨するバッファローの群れであり,移動中の敵でした。ユーロック族がすんでいたのは,狭い山岳地帯でして,そこは密林の中を川が流れる谷間であり,その川が注ぐ太平洋沿岸でした。しかも,ユーロック族は,思い思いにぐるりとめぐらした境界線の中に限って,暮らしていました。ユーロック族は,直径150マイルの円の中に…この世のすべてがあると思っていました。ユーロック族は残りの場は,眼中にはなく,その境界をあえて乗り越えようとする者は,「気ちがい」か「生まれが悪い」と見なしていました。ユーロック族は,サムシング・グレートの「家」と思っていた 水平線に向かって,お祈りをしました。サムシング・グレートの「家」は,そこから,気前のいいスピリットが,いのちの実体を下さるのです。(実際には存在しない)上流の湖から,クラマス側は長けていると信じられていますし,海の向こうの土地が,鮭の故郷と信じられていました。空の国から鹿が送られてきますし,海辺の北からは,貝のお金がやってきます。中心がありませんから,東西南北もありません。あるのは,「上流へ」,「下流へ」,「川に向かって」,「川から離れて」があるだけです。世界の果て(は,お隣の部族が住むところ)は,楕円形で,背後の周りにあります。中に留まる世界を作るのです。
 このような限られた場で生きる中で,極端な地方色が生まれました。ユーロック族の長老から,ご先祖様の家に,車で連れて行ってくれないか?と 私は頼まれました。私どもが,そのご先祖様の家に着きますと,ほとんど気付かない 地面の窪みを,自慢げに指さして,「ここが,私の誕生地でさぁ」と言いました。そんな地面の窪みには,姓が残されます。実際,ユーロック族の地域で地名が付くのは,人間の歴史や神話がその場を大事にした場合だけでした。ユーロック族の神話は,山の頂上や 白人の旅人が見たら,忘れられなくなる セコイアの巨木が出てきません。しかし,ユーロック族の人は,取るに足らない岩や木を指さして,「あれが大事な出来事の『はじめ』ですよ」というんです。財産を手に入れて,手に持ち続けることは,今も昔も,ユーロック族の人たちが,考え,話し,願い求めていることです。あらゆる人,あらゆる関係,あらゆる関わり合いが,厳しく評価されますし,誇りと終わりのない口げんかの対象になり得るものです。ユーロック族の人々は白人と出会う前から,お金を持っていました。 彼らは,様々な大きさの貝のお金を使っていて,細長いお財布にお金を入れていました。こういったお金は,島の部族から手に入れました。しかし,ユーロック族は,もちろん,北の沿岸近くに「迷子になる」ことは決してありません。北の沿岸近くにいったら,貝のお金が インフレになるほどたくさんありますから。
 この細やかであっても,キッパリと区切られたユーロック族の人々の世界は,クラマス川によって二分されていますが,いわば、大海原に「口を開けている」のですし,毎年,不思議なことにも,途轍もなくたくさんのサケが,クラマス川の河口に勢いよくやってきては,激しい急流を駆け上り,上流に消えて,産卵して死んでいく。数か月経つと,サケの小さな子どもたちは、クラマス川を下って,海に消えていきますが,それは,二年経てば,大人のサケになって 誕生地に舞い戻り,サケのいのちを全うするためなんです。
 ユーロック族の人々は,スー族の人々のような「強い」暮らしではなく「清い」暮らしについて話してくれます。


 われらニッポン人は,どんな暮らしについて語るんでしょうか?
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#新鮮な私

2025-05-19 08:11:25 | エリクソンの発達臨床心理

#神秘体験 #毎日礼拝
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それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。 
 
 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 p106の ブランク から。


            青年期 と 理想
                                          自分 と 真実


 「働く役回」は,…すべての役割の中で一番落ち着きを得られる役回です。仕事は 自分が 仕事をする腕で 自分を確かめることができますし,眼に見える仕事の中で 自分に気付けるようになるからです。しかし,思春期の振れ幅が大きいこと  子ども時代に別れを告げなくてはならないこと,現代が不安の時代であること のために,自己イメージに様々な葛藤をもたらすことになります。自己イメージに葛藤するのは,時代と同じ。私どもは自分自身を働く者としてだけではなく,仲間,親,市民としても,イメージしなければならず,しかも,仕事はキッチリ,効率的にしなくちゃ と感じている時代ですからね。他のいくつかの本の中で詳しく述べたことを簡単に申し上げれば,あんな人になりたいと思うモデルは,子ども時代が終わった青年が自分にとって大事なことと,若者一人びとりにとって大事になった人にとって,大事なこと との対話次第です。若者が 自分自身の中の遊ぶ子どもと触れ続けるために幼児返りするのも不思議ではありません。あるいは,時間稼ぎで,「コースから外れる」のも,不思議ではありません。あるいは,そう言った さまざまな見通しをハッキリと掴むのも,不思議ではありません。このさまざまな見通しは,しかし,もしも 余りにも愚かに ヌミノース,分別,劇,正攻法を結びつけると約束する答えを,残忍なまでに,無理強いし,あらゆる自分の疑いを「他者」に投影すれば,力で1つにすることになります。
 ここからが分かれ道です。一つは,いつも驚きがあり,時にドキリとするような 自然発生する「礼拝」を論じることになります。もう一つは,「形が定まった習慣や儀式」に向かうことになります。と申しますのも,青年が仲間(あるいは,人類を上下二つの分けるウソ)に応える一味になりますし,その選民になることもよくあるのは,ある正式な堅信礼,入隊式,卒業式を約束する あの約束の中にあるのです。仲間の一員になって初めて,青年は大人になれます。その大人とは,自分の子どもの暮らしの中で,自分は毎日礼拝の司祭になれると見通せる という意味ですし,おそらく,次世代の暮らしの中で礼拝を司る役割をする という意味です。自分が次世代の子ども等を毎日礼拝する際に司祭になれるという 大事な確信だけが,本当の自分が発達する中のある 大事ないくつかの品性を1つにすることができるわけです。自分が次世代の子ども等を毎日礼拝する際に司祭になれるという 大事な確信だけが,様々な考えや理想を首尾一貫したものにできるわけです。ただし,緊迫した変化が社会全体にあったり,一人びとりにある場合は,別です。
 お互い様は,それによって,様々な動物が,生まれながらに持ち合わせた互いに相手を大事にするバターンでやり取りを全うするものですが,人間において,匹敵すると言われるのは,子どもの時期と青年の時期までです。人間的な意味で十分に育つとは,身に着けた技術がモノを言う中で起きることに準備ができることであり,自分の仲間ならではで 他を持って代えがたい価値やイメージを心の刻む準備ができることです。その代わりに,人間的な意味で十分に育つとは,(単に,嫌いだから,とか,汚らわしいから,とか,熱狂的にノーと言ったり,争ったりして)敵と一体になったものを排除し,時代遅れで奇妙な考えを拒否します。ですから,私が明らかにしたいと思います この時期特有の危機は,若者が,「家族と一体感を持っている」ことから生じる危機であり,それぞれの文化社会に特有の礼拝によくある「独特の考え」に馴染んでいることから生じる危機です。家族と一体感を持っている」ことから生じる危機と,それぞれの文化社会に特有の礼拝によくある「独特の考え」に馴染んでいることから生じる危機を1つに出来たお陰で,若者は 新しい力を,その時代時代の技術や歴史の流れと結びつけることができます。神様のいのちが一巡する時,若者がここで記した 本当の自分が育つ際の品格を1つにでき…ますと,仲間入りする決まりに対する ほとんど卑屈と言えるほどの従属が,驚くほどの同調性を示します。それは,その驚くほどの同調性今ある職業倫理を受け入れることと変わらない場合が多いのです。この今ある職業倫理を受け入れることは,仲間以外の人から見たら,人類を上下2つに分けるウソに見えるものでしょう。たほう,この人生の舞台で しっくり来ない生活は,誰と一体になったらいいのか分からず迷う,ということです。誰と一体になったらいいのか分からず迷うことは,もちろん,モラトリアムのやり方の中で,ある種のゆとりを認める「生き方」の中に入りますモラトリアムは,「バカ騒ぎ」になったり,「自分らしく」をいろいろ試して それも前々からあったやり方を試す 大人になるのを待ってくれたりする時期なんです。その「自分らしく」が,境界例の病気,犯罪者,危なっかしい非行,病んだ狂信に見えますが,その当否とその視点からそうなのかを問う,精神医学的、政治的、あるいは,法的な定義の問題である場合がおおいのです。若者の「存在証明」のほとんどは,(あざけるようなもの 騒々しいもの)ちょっと大げさなところがありますね。若者の「存在証明」のほとんどがちょっと大げさなことは,警告として役立ちます。すなわち,若者が世の中に適応することを当たり前のことと思ってはならない という警告です。若者が世の中に適応するには,自分らしく生まれ変われる という約束が必要です。(訳註:しかしながら)いまは,誰と一心同体になるのがいいか分からない 歴史的な陥穽があります。誰と一心同体になるのがいいか分からない 危機を克服できるのは,本当の私を新鮮にするしかありません。


 この新鮮な私は,聖書にある「新しい私」です。
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#ライフサイクルの秘密

2025-05-18 10:19:56 | エリクソンの発達臨床心理

#踊りの神秘
「発達トラウマ障害 Enpedia」は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。とし......

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これは、
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Childhood and Society 第章  p.166 から。


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鮭の川ぞいの漁師
Ⅰ ユーロックの世界

 比較と別の視点で見ると,憂鬱な「武器のない戦士」から,太平洋岸で,猟師とどんぐり採取をしている部族,ユーロックの人々に 視点を転じましょう。
 スー族とユーロック族は、それぞれの根っこにある生存条件が真逆だったようです。スー族は大平原を彷徨し,外へ外へと広がる考えを養った。彼らの目にしたのは,彷徨するバッファローの群れであり,移動中の敵でした。ユーロック族がすんでいたのは,狭い山岳地帯でして,そこは密林の中を川が流れる谷間であり,その川が注ぐ太平洋沿岸でした。しかも,ユーロック族は,思い思いにぐるりとめぐらした境界線の中に限って,暮らしていました。ユーロック族は,直径150マイルの円の中に…この世のすべてがあると思っていました。ユーロック族は残りの場は,眼中にはなく,その境界をあえて乗り越えようとする者は,「気ちがい」か「生まれが悪い」と見なしていました。ユーロック族は,サムシング・グレートの「家」と思っていた 水平線に向かって,お祈りをしました。サムシング・グレートの「家」は,そこから,気前のいいスピリットが,いのちの実体を下さるのです。(実際には存在しない)上流の湖から,クラマス側は長けていると信じられていますし,海の向こうの土地が,鮭の故郷と信じられていました。空の国から鹿が送られてきますし,海辺の北からは,貝のお金がやってきます。中心がありませんから,東西南北もありません。あるのは,「上流へ」,「下流へ」,「川に向かって」,「川から離れて」があるだけです。世界の果て(は,お隣の部族が住むところ)は,楕円形で,背後の周りにあります。中に留まる世界を作るのです。
 このような限られた場で生きる中で,極端な地方色が生まれました。ユーロック族の長老から,ご先祖様の家に,車で連れて行ってくれないか?と 私は頼まれました。私どもが,そのご先祖様の家に着きますと,ほとんど気付かない 地面の窪みを,自慢げに指さして,「ここが,私の誕生地でさぁ」と言いました。そんな地面の窪みには,姓が残されます。実際,ユーロック族の地域で地名が付くのは,人間の歴史や神話がその場を大事にした場合だけでした。ユーロック族の神話は,山の頂上や 白人の旅人が見たら,忘れられなくなる セコイアの巨木が出てきません。しかし,ユーロック族の人は,取るに足らない岩や木を指さして,「あれが大事な出来事の『はじめ』ですよ」というんです。財産を手に入れて,手に持ち続けることは,今も昔も,ユーロック族の人たちが,考え,話し,願い求めていることです。あらゆる人,あらゆる関係,あらゆる関わり合いが,厳しく評価されますし,誇りと終わりのない口げんかの対象になり得るものです。ユーロック族の人々は白人と出会う前から,お金を持っていました。 彼らは,様々な大きさの貝のお金を使っていて,細長いお財布にお金を入れていました。こういったお金は,島の部族から手に入れました。しかし,ユーロック族は,もちろん,北の沿岸近くに「迷子になる」ことは決してありません。北の沿岸近くにいったら,貝のお金が インフレになるほどたくさんありますから。
 この細やかであっても,キッパリと区切られたユーロック族の人々の世界は,クラマス川によって二分されていますが,いわば、大海原に「口を開けている」のですし,毎年,不思議なことにも,途轍もなくたくさんのサケが,クラマス川の河口に勢いよくやってきては,激しい急流を駆け上り,上流に消えて,産卵して死んでいく。数か月経つと,サケの小さな子どもたちは、クラマス川を下って,海に消えていきますが,それは,二年経てば,大人のサケになって 誕生地に舞い戻り,サケのいのちを全うするためなんです。


 サケは,ユーロック族の人々に頼まれずとも,時が来れば クラマス川をさかのぼり,産卵,生まれた子どもは クラマス川を下り,太平洋に消え,2年後に,クラマス川に戻ってきて,一生を終えます。
  しかし,ライフサイクルとは,通常英和辞典に載っている,一人のいのちの一生分 という意味だけではないところに,エリクソンのライフサイクルの深みがあります。
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