今朝の聖書の言葉は,1人 ソリチュード,solitude,です。
この言葉そのものは,聖書にはありません。でも,『旧約聖書』の「立ち返る」,『新約聖書』の「悔い改める」は,この1人 ソリチュード,solitudeになることです。慣れない方は,群れている時には,1人 ソリチュード,solitudeには決してなれません。
この1人 ソリチュード,solitudeは,1人になって,神様と向かい合わせになること,神様を知らない方だと,自分自身から逃げ出さないで,ゴマカサナイで,自分自身と向かい合うことです。ほぼ,同じことです。
そうすると,いろんな破れ,いろんな弱点,いろんな恥と感じることがたとえあっても,どなたでも「これでよかったんですね」と言う感じになりますもんね。楽観的すぎますかね? でも,何度やっても,結局はそうなるんですよ。
そして,コミュニケーション。なにか,スマホやSNSと一緒と誤解している向きがあるみたい。でも,それは大間違い。1人 ソリチュード,solitudeになれない人は,コミュニケーションしたことがないはずです。1人 ソリチュード,solitudeになれない方は,結局,相手に自分の意見を押し付けることになるか,あるいは,「おこぼれをくれる限り,あんたの言いなりのふりをしますよ」とゴマカシを,アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達みたいに,演じることになるのか,です。多くの場合,自分より立場の弱い者には,相手に自分の意見を押し付ける,自分より立場の強いものには,「おこぼれをくれる限り,あんたの言いなりのふりをしますよ」とゴマカシ,ということに相場が決まってます。
ですから,その様子を見ていれば,1人 ソリチュード,solitudeになれている人かどうか,すぐに分かります。
ヘンリー・ナウエンさんの受け売りです。私はヘンリー・ナウエンさんの生き方が好きだからです。
あなたは,どちらですか?