エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

人生の巡り合わせの危機がもらたしてくれる恵み

2016-01-31 15:44:41 | アイデンティティの根源

 

 

 
静かにしてたい感じとユーモア 改訂版
  「イスラム国」と人質。盛んにメディアに取り上げられ、救出を願う「祈り」を訴えるものさえある。何となく違和感を感じていたところに、さすがは、源ちゃん(知り合いで...
 


 

 人生の舞台上の危機は、その都度解決していく場合と、解決を持ちこしてこじらせるケースの両方があります。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.254の、下から8行目途中から。

 

 

 

 

 

 どの危機も次の危機を孕んでいるのは、一歩が2歩目と繋がっているようなものでしょう。ひとつひとつの危機のおかげで、大人になった時の人格の肝を一つ一つ積み上げてくれます。私はこういった危機を全て一覧表にするつものですが、それは、ルターの人生のある課題を、まとめる時に、私たちが忘れないためです。それから、信頼や意志、良心や理性と言った根源的な人間らしい価値の、発達上の根っこを示すためでもありますよね。こういった根源的な人間らしい価値は、人間が自分を確かにさせる根源的な形において、なくてはならないもので、子どもの時期に遡ることができるものなんですね。

 

 

 

 

 

 大人にとって、子どもの時期がいかに大事かが、ハッキリ分かりますね。子どもの時期の信頼感、自分が感じる内的ルールに従う力である自律性、自分の内発的行動力である自発性などの人間力、人間らしさは、全て子ども時代の人間力であると同時に、大人のなった時の自分を確かにさせる「確かな人間力」だからですね。

 「ムラ社会」のあたなも、子どもの時期の点検と、修理をお願いしますね。

 

 

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霊的な教育は、内から湧き上がる力だぁ! 改訂版

2016-01-31 14:43:55 | エリクソンの発達臨床心理

在りし日の宮嶋眞一郎先生 「共働学舎」HPより

 

 
復活の言葉
  脆さが強さになる。不思議でしょ。 p179の1行目途中から。     新たな始ま...
 

 皆さんどうですか? 元気はどこからやってきますか?

 美味しいご飯を食べた時。元気が出来ますね。綺麗な風景を眺めた時、たとえば、水平線や雲海の向こうから、輝く太陽が昇るのを見たりすれば、洋の東西を問わず、感動しますし、元気がもらえますね。

 昨日、宮嶋眞一郎先生の話をブログに書きましたでしょ。エリクソンのYonung Man Lutherの記述で、眼の見えない人のことが取り上げられて、エリクソンも、眼が見える人にはない、何か特別な力があることを認めていますからね。そのイメージにピッタリくるのが、まさに宮嶋眞一郎先生だったからです。

 早稲田大学の藤原保信先生のゼミの卒業論文で、共働学者のことを書いて以来、宮嶋眞一郎先生のお世話になりました。大学4年の時に、初めて東久留米の自宅にお邪魔した際には、先生は白杖を突いて、私を途中まで迎えに来てくれました。実を言えば、国立秩父学園を修了した後は、信州の共働学者に入れてもらおうと思っていたんですね。「本物の生き方」を学びたいと願っていたからです。でも、父親が自死してしまって、共働学舎に入れてもらおうという願いは、かないませんでした。

 以前にもこのブログにも書きましたけれども、父親が自死した後、宮嶋眞一郎先生は、東久留米の自宅に私を呼んで下すって、山上の垂訓(マタイによる福音書第5章3節から10節)を流れるように暗唱されてから、短く祈ってくれました。その時の感動は、今でも忘れることはできません。不思議な安心感がありましたね。今考えたら、あれは言葉の真の意味でのセラピーだったと感じます。
 私は、宮嶋眞一郎先生から、英語を習ったこともありません(宮嶋眞一郎先生はもともとは、自由学園の英語の先生でした)。他の教科を習ったことはありません。でも、卒論のために共働学舎のことについてインタヴューしたときや、上に記したお祈り、あるいは、他の機会に話を伺ったことを思い出します。その時には、特定のことを必ずしも学んだわけではありません。しかし、お祈りの時に安心感を感じたみたいに、すぐには言葉にならない感じを感じていたことは確かですね。

 その感じを、心の中で思い出し、確かめると、不思議に、確信に繋がる何かが湧いてきますよね。それは、共働学舎が「神は、神を愛する者達、すなわち、ご計画に従って召された者たちといて、万事を益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ人への手紙第8章28節)から、採られているように、神様のご計画に繋がるものです。創世記で神が創造し終わるたびに「良し」とされましたね。万事は「良し」としてくださるのが神のご計画です。

 でもね、神も仏も信頼していない人は、今日も心配になるかもしれませんね。そういう方たちのために、エリクソンの翻訳を私は毎日してんですからね。神様のご計画に一番近いのが、エリクソンが繰り返し書いている a sense of 'I'  「≪私が生きている≫心の習慣」なんですよ。それは、周りから与えられるものではありません。それは、あなたが内側に感じるもの、あなたの内側から湧き上がるものです。

 これが本物の力の源です。なくすことのない元気の源です。

 ムラ社会」のあなたも、お試しくださいね

 

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生きる指針

2016-01-31 12:46:35 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
静かにしてたい感じとユーモア 改訂版
  「イスラム国」と人質。盛んにメディアに取り上げられ、救出を願う「祈り」を訴えるものさえある。何となく違和感を感じていたところに、さすがは、源ちゃん(知り合いで...
 

 「叡智」は、「見て知る」ことからですが、眼が見えないことが、眼には見えない世界に開かれることになり、通常では見えない世界を見る一隻眼が与えられる場合がありますね。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.7の、2行目から。

 

 

 

 

 

 抜け目のないものの見方ができれば、私どもは、この世を生きる指針と、地に足がついた生き方とを身に着けることになりますね。この世は、私どもが生き、動き、食べ物を見つけ、他の人たち、動物たち、自然と折り合いをつける場です。ですから、この2つの眼は、広く、開かれていて、抜け目ないものでなくてはならないのです。ですから、耳も、あらゆる印から良いものを得られるようになっていなくてはなりませんし、その意味が分かるものでなくてはなりません。

 

 

 

 

 

 眼も耳も遠くからくる感覚刺激も捉えることが出来る感覚でしょ。この世は、自分の身近からかなり遠くまで含むのが普通です。単に情報を貰うだけではなくて、生きる指針、地に足のついた生き方をもたらしてくれるのが、目と耳だ、という訳です。

 

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ビルさんは、やっぱりアメリカ人

2016-01-31 04:11:53 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
知りたいと思う前
  豊かな感情と鋭い感性を育てるのは、たくさん遊んで、たくさん悦びを共有することが必要です。 p56の5行目途中から。  &n...
 

 

 ビルさんは、ホットヨガで、今まで経験したことがなかった、身体が自由になる体験がありました。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.230の、第6パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ビルは、心理的な治療によって、ベトナムでの身の毛もよだつ経験も過去のものにすることが出来ました。今や身体が馴染んだ感じになって、ビルは身体の自由を失った暮らしを整えること避けることになりました。ビルは、ヨガのインストラクターの資格を取ることを決心して、イラクやアフガニスタンからの帰還兵向けに、州兵本部でヨガを教え出しました。

 

 

 

 

 

 ビルという人も、なかなか積極的な人ですね。良いとなったら、牧師にはなる、ヨガのインストラクターの資格を取ろうとする、それを実際に教えようとする。アメリカ人らしいと言えば、まさにビルさんはアメリカ人ですね。

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人生の危機をどのように生きてますか?

2016-01-30 12:35:40 | アイデンティティの根源

 

 

 
豊穣なる土壌
  感じることがあらゆる叡智の源です。カーソンさんとエリクソンは、この点で完全に一致しています。 p56の2行目途中から。  ...
 

 世界が変わるのは、独りが変わることから。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.254の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 自分を確かにできない危機を議論する時、私は心理社会的な危機の性質を、少なくとも、それとはなしに、示してきました。ある年齢において、人間は、身体も、知性も、情緒も育ちますから、人間は新たな人生の危機と向かい合う心構えも力も手に入れます。すなわち、人生の危機とは、選択と試練のことですが、これらは伝統的なやり方で、社会の仕組みが当人に対して、もたらすものです。新たな人生の危機には、その結果が上手く解決することが出来る場合もあれば、そうはいかずに、将来いろんな危機をいや増すことになる、人生の巡り合わせが狂う場合とがありますね。

 

 

 

 

 

 人生の危機は、うまく解決する場合と、解決せずにさらに将来の危機を悪化させてしまう場合があるようですね。それは私どもの人生の危機に対する実感とピッタリですね。

 どなたでも、人生の危機をその度毎に、上手く乗り越えて、卒業したい、と願うものでしょ。このエビロークで、エリクソンは、その勘所を教えてくれていますから、どうぞご期待下さいね。

 今日初めて当ブログをご覧になった方も、『青年ルター』のこの終章だけでも、いい学びになりますから、お付き合いくださいね。

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