自分が自分らしく生きるのは、≪やり取り≫の中で相手がその人らしく生きられる時だけエリクソンによれば、男と女は身体が違うから、この世の中での体験が違ってきます。 p235の下から9行目途中から。 &nb...
本物は、役割が逆転する時の2人である、と言えそうですね。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p102の、14行目途中から。
キングは、高齢者のクライアントとの関係においても、複雑な対抗感情転移があることを忘れていません。「積極的なものでも、消極的なものでも、対抗感情転移が生じてしまう、いろんな気持ちが、高齢者のクライアントに対して、非常に強烈に生じますから、そういう高齢者に会う場合に、セラピストは、自分の年老いた親に対する、未完のいろんな気持ちが引き出されるかもしれませんよね ですから、セラピストが、このような高齢者のセラピーをするためには、自分の親に対するいろんなきもちに折り合いをつけとかなくちゃぁ、なりませんし、自分の人生の舞台と自分が次第に年を重ねていくことを、健全に、自分にまとまりを付ける感じで、受け容れていかなくっちゃぁ、いけませんね」(p.185)。
キングもひとかどの臨床家ですね。投影、感情転移のことがよく分かればわかるほど、セラピストは次第に腕を上げることが出来る訳ですからね。転移や感情転移を起こしていることも知らないで、人のことを、とやかくいう人に対して、聖書では「自分の眼にある丸太のような梁を取りなさい」、日本語で言えば、「自分の頭のハエを追いなさい」って言いますでしょ。自分のことも満足にできないのに、そういう人に限って…ということは珍しくないでしょ。あの国会前の散歩の人みたいに。
自分のいろんな気持ち、特に親に対する非常に消極的な気持ちに折り合いをつけていることが、一定程度の実力を備えたセラピストの絶対条件です。でも、これって、セラピストは特にそうですけれども、セラピストの限った話じゃぁないですね。まともな仕事をしようと思ったら、親に対する消極的な気持ちを受容してないとね。
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