エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

現世考: 他人事なわたしたち、 明日は我が身

2016-12-25 07:14:10 | 間奏曲

 

 

 
映画「母と暮らせば」 祈り
  永久革命のためのパレーシア半蔵門右手の桜田濠  「パレーシア」がレトリックと対立する伝統  パレーシアの主なやり方が、対話であることがハッキリしまし........
 


 

 

 電通の新人職員が、過労死で殺されました。「東大出てても、過労死するんだぁ」、「電通じゃあなくて、良かった」「あんな大手でも、過労死するんだぁ」…いろんな感想、感触を持たれた方が多いでしょう。

 沖縄県北部の東村高江(ひがしそん たかえ)で、米軍のヘリコプターの発着場を、ヤンバルの森をなぎ倒して、建設しています。その建設のために必要な重機を、自衛隊が運んだのは、果たして憲法違反ではなかったのか? という議論はあまり聞きません。また、機動隊が、建設に反対する市民、高江に住んでいる人やその支援者に、暴力を加え、差別語でもって、侮蔑しているのは、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちの悪魔性、暴力性が露骨に表れていると感じますね。でも、なかには、「おらがんちの近くでなくて、よかった」(谷保弁[やぼべん]ですみません)、「遠いところの話でしょ」『そんな話があるの?」…とあくまでも(悪魔でも?)他人事と、無意識に決め込んでいる人も多いのではないでしょうか?

 しかし、いつまで、他人事でいられるでしょうか? 明日は我が身なんですからね。

 第二次世界大戦の時に、ナチスとヒットラーと闘った、マルティン・ニーメラーの次の言葉を、私どもは肝に銘じておきたいものですね。

 

 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 

 

 私どもは、今すぐに、NOの声を上げて、行動するべきです!

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インターメッツォ:エリクソンの叡智:自分と折り合いが付いてくる時

2016-12-25 05:48:49 | エリクソンの発達臨床心理
 今朝のエリクソンも、Insight and responsibility p.230から。タイトルは、『本物の課題を見抜く眼と、本物の課題に応え続ける態度』という程の意味で、『…と責任』という感じじゃない。







「自分と折り合いが付く」時でも、人によっては、時によれば、あるいは、場合によれば、「命を吹き込まれている」だとか、「神様から秘密の命を頂いている」だとか、しか言えないような生き方になっていることがあることを、私どもは承知しています。







不思議ですね。
自分と折り合いが付く時って、最高に能動的な時のはずなのに、その時でさえ、一番受動的な感じがするのですから。
実は、一番能動的になれるのは、一番受動的になれる時なのですね。

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≪心からの自由と優しい関わり≫が出来る人

2016-12-25 01:55:58 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
セラピストの2つの役割と、治療結果の素晴らしさ
   人をモノ扱いするのはダメでしょ   黄金律を活かすためには、相当程度に内省が必要になりますね。 p234冒頭から。    &nb...>続きを......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.150、最後のパラグラフから。

 

 

 

 

 

 ところが、エース得点(ACEscore)研究は、そんな影響力は今までありませんでしたね。追跡研究や追跡研究の論文が世界中で行われていますけれども、マリリンの様な子どもたち、アメリカ中の外来や入院治療をする施設の子ども達の日々の現状は、実際は旧態依然のままです。ただ、今は、こういう子ども等は、大量の向精神薬を服用しています。子ども達は、向精神薬のお陰で、従順にはなりますが、他方では、悦びや好奇心をそぐ形になります。子ども達が、情緒的にも、知的にも育ち、また、発達して、社会に貢献できるメンバーとなることも、できなくしてますね。

 

 

 

 

 

 ヴァン・デ・コーク教授が、いかに子どもの立場に立ちうる臨床医なのか、優れた臨床医なのかが、端的に表れている筆遣いです。

 ヴァン・デ・コーク教授が、人間として≪心からの自由と優しい関わり≫が出来る人なのか、ハッキリと解かります。

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聖書の言葉 : 本物のクリスマス・プレゼント

2016-12-25 01:07:55 | 間奏曲

 

 

 
映画「母と暮らせば」 祈り
  永久革命のためのパレーシア半蔵門右手の桜田濠  「パレーシア」がレトリックと対立する伝統  パレーシアの主なやり方が、対話であることがハッキリしまし........
 

 イエスの最初の教えに一つに、「まず、神の国と神の義を求めなさい」と言う言葉があります。矢内原忠雄先生も、集会のメンバーを集う時には、この言葉を用いたそうです。西村秀夫先生も、集会のメンバーを集める時には、かつて、矢内原忠雄先生と同じ言葉を用いた、と言っていました。私は西村先生の晩年の弟子なので、私が集会に入れてもらった後、この言葉を用いたのは、一度くらいしかありませんでしたが…。

 これを昨日の「聖書の言葉」になぞらえて、申し上げれば、「神様が下さる≪心からの自由と優しい関わり≫を求めなさい」ということになりますね。

ですが、神様が下さろうとしている関係ですから、さらに正確に申し上げれば、

神様が下さる≪心からの自由と優しい関わり≫を貰っておきなさい」

 ということになりますね。

 この関わりのプレゼントこそ、本物のクリスマス・プレゼントです。

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