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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#神からの力がある

2022-03-31 06:17:05 | アイデンティティの根源
 
#聖書の言葉 #ひらめきの中で

 #生きている意味 と #ピッタリとくっ付いた思い出 #責める心の声 #陰気で不機嫌な悲しみ #搾取されるニッポンの子どもたち #遊びの不自由 は #政治の不自......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、

MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。

としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。

それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。

 



生きているのに
死んでいるあなたへ

今朝も,本田哲郎神父さんの言葉から。

 

 

あなたたちが見ているものを見ることができる目は

 

神からの力がある

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#イエスの治療の唯一のお祈り = #イキイキ生きる中心軸の心輝く = #生きるはキリスト = #シャローム平和

2019-09-19 06:02:26 | アイデンティティの根源

 
#心の習慣を育てる のは,#寛容に #鷹揚に
 エリクソンの叡智 : #子どもにプレゼントしたい2つの品性 #それを手渡すのはお母さん    発達トラウマ障害(DTD)の人は、理屈に合わないくらい、自分を責......
 

 今朝は,2年3か月ぶりに,The Galilean Saying and a sense of " I " から。『エール大学評論』1981 The Yale Review に載った一文です。

 2年前に翻訳したものを,今宵たくさんの人にご覧いただいたので,読み直していましたら,翻訳しなおしたほうがベターかな? と感じましたものですから,翻訳しなおします。

 以前書いたものを引用すれば,「エリクソンとジョアンの息子,kai Theodor カイが,エール大学の社会学の教授だったから,その関係で,この雑誌に寄稿したんだと思います。」

 p.343. 第3パラグラフ冒頭。

 

 

 

 

イエスが治療の礼拝で用いたお祈りは,たくさん残っている言い伝えの1つにすぎませんが、全てがピッタリと一致し一貫したものでして,「自分の足でおたちなさいな」、すなわち,「復活なさいな」,ということだけでした(後ほど,詳しく申し上げます)。自分の足で立つと,すなわち,復活しますと,まっとうな大人は,誰にも邪魔されることのない,いまここにこそ有る,ギフト,今ここに臨在されるキリストが生きる中心軸の心が,キラキラと輝きますでしょ。それに比べたら,日曜礼拝の教えや自然の脅しなんぞはクソくらえ,ということです。

 

 

 

 

 

 翻訳には,翻訳する人の品格?が,知らず知らずのうちに出てしまいます。野暮ったいの谷保育ちですから,かなり,お下品な翻訳になっていることを,どうぞお楽しみ…,いえいえ,お許しくださいね。

 イエスと治療原理は,お祈りは,聖書の神様がひとりびとりの魂に打ち込んだ,吹き込んだ、キリストが生きることにこそあります。

キリストが生きたら,ザアカイみたいに,長血の女のように,べテスタの池の盲人のように,必ず,嬉しくて嬉しくて,飛び上がらんばかりに嬉しくて,しかも,穏やかに静かに落ち着いているんです

  それが聖書が教えているシャローム平和です。

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#光

2019-04-23 09:09:49 | アイデンティティの根源
 
#聖書の言葉 #1人豊か #霊(風)
 ぞうさん    子どもと一緒にいない親達 虐待大国ニッポン   仕事でアイデンティティは確立できるのか?  ロッテルダムのエラスムスと、ルターとは、水と油、仲が.......
 

 

「発達トラウマ障害」Enpedia  

 発達トラウマ障害を英語で・英訳  英和辞典・和英辞典 Weblio辞典

 をご参照ください

今朝はもう一本,Insight and Responsibility  『心の中で神様の命の回転を内観し実感すると,子ども等との関係の中でも,神様の命が回転するように,応答できますよ』 p.231の,下から10行目途中から。これも,より正確に翻訳したいから,翻訳しなおします。

 

 

 

 

 

 お母さんと赤ちゃんが互いに大切にし合う,聖書の神様の命のは,希望の最初の源ですから,人間が関わりを始める心の習慣にもなり,創造の目的にも適う内実になります。

 

 

 

 

 互いに大切にし合うことが全てです。

 

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#私が生きている実感 #キリストの新しい生き方 #弱さを仲間にできる創造的な生き方 #その晴れ晴れとした歓び

2018-07-28 03:30:39 | アイデンティティの根源

 

 イエスはその伝道をガリラヤで始めました。ペテロなどの弟子たちに最初に出会ったのも、ガリラヤでした。イエスにとっても、弟子たちにとっても、心のふるさと、自分の原点は、ガリラヤにこそあったのです。イエスの言葉は、その原点、心のふるさとのありかをハッキリと示してくれていますね。

  The Galilean Sayings and the Sense of “I”. The Yale Review. April 1981, p328の第2章から。

 4年ぶりの訳し直し。

 

 

第2章

 私はもう、私が依って立つ全てを含む立場を明らかにしたところです。つまり,その私の立場とは,神様が創造する時にはイエスのガリラヤでの言い伝えが、私どもが,人間に相応しい≪私≫が生きている実感」と呼ぶものを,繰り返し生み出す,ということなんですね。特に、イエスの言い伝えをどのように見たら、イエスの時代の出口の見えない、歴史的・宗教的な弱さと苦しみ受け容れて仲間にする人格に染み渡った心からの優しさ約束することになるのか,ということなんですね。人類の進化の中で、このガリラヤの時ほど、あるいは、このガリラヤの時以上に、このような生まれ変わりが,あの千年期にあった別の偉大な様々な言い伝え、たとえば、老子の言い伝えや、老子の言い伝えが道教で果たす役割に、意義深い光を投げかけているものはない,のかもしれませんよ。というのも、ついでに申し上げれば、「あの方の支配」、あるいは、「あの方の道」が、英語では「神の国」と呼ばれるものに対して、非常に合点がいく呼び名になっているように思われるからです。実際問題、最初のキリスト者たちは、自分たちのヴィジョンを「キリストの新しい生き方」と呼んだのでした。

 

 

 

 

 エリクソンは、なんでこんなところに着目するのでしょうか? キリスト者でない人はそう思うかもしれませんね。日本のキリスト者は1%もいませんから、ほとんどの人は、「ついてけない」と思うのかもしれません。

 この文書の最初に、トーマス・ジェファーソンが、第3代アメリカ合衆国大統領になった時に、ホワイト・ハウスの中で聖書研究をしていたことが記された後、ウィリアム・ジェームズを引用しながら、私≫が生きている実感ということは、分かっているようでわからない、ということが記されていましたね。そう、≪私≫が生きている実感ということは、誰もが知っていることですが、それをハッキリととらえることは、非常に難しい。

 キリストの教えは、その≪私≫が生きている実感を,ハッキリ、クッキリとさせてくれるので、エリクソンはこの文書を書いているんですね。それは「≪いまここ≫で生きる」という、晴れ晴れとしていて、愉快で楽しく、悦びに満ちた生き方そのものですね。

 読者のみなさん、いましばらく、この「ガリラヤの言い伝えと≪私≫が生きている実感」の翻訳にお付き合いいただけましたら、次第に,≪私≫が生きている実感,とは何なのか? ハッキリしますよ。そうなれば、あなたも、毎日を、晴れ晴れとして,愉快で楽しく、悦びに満ちて生きることができるし,人や自然に対して,心から優しく関わりを始めることができますよ!

 

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エリクソンの叡智:希望の源は光(子どもをハッキリと肯定する態度・言葉と温もりあるタッチ)改訂版

2017-07-14 00:54:37 | アイデンティティの根源

 

 

 2年半ぶりに,改訳します。 よりクリアーに理解できると思います。

 Insight and Responsibility 『自分の中に≪恵みの分ちあい≫があると内省していたら、相手の気持ちがまるで手に取るように、スゥーッと理解来ますし、相手との≪恵みの分ちあい≫に応答できますから』のp231冒頭から。

 

 

 

 

 

 人間の,心に秘めたいろんな大事な力の一つを理解するためには、私どもは、道徳がどうのこうのと言う前の日々、すなわち、自分の赤ちゃんの頃に自分の発達を,お一人お一人が,遡らなくちゃなりませんね赤ちゃんのころに経験したお母さんとのやり取りによって、根源的信頼感根源的不信感の割合が決まっちゃうからなんですね。その割合が、好ましければ、人間の根源的な強さ、すなわち、希望を確かにされることもできます。希望と言う全人格に漲る態度が生まれるのは、新しく生まれたばかりの赤ちゃんがそのお母さんに手を伸ばすと同時に,そのお母さんがこの赤ちゃんに、後で議論することになる≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫をもたらすときなんですね。この根源的信頼感≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫がうまくいかないことは、心の病の中で、一番広範囲に渉る失敗として、見受けられますし、あらゆる発達の邪魔をします。根源的信頼感≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫がないことが、いかに悲劇的で、いかに深刻な心の病なのかと分かるのは、子どもの場合でも、親の場合でもそうですけれども、子どもも、親も、≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫を呼び覚ますことも、≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫に応答することもできません。そこで、さらにひとつ提案ですが、あらゆる道徳的、価値的、倫理的な行動へと傾くいろんな人格的な性質は、赤ちゃんの頃に経験する,この≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫次第だ,ということなんです

 

 

 

 

 ですから,倫理は母親がを≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫通して,赤ちゃんにプレゼントするものでしょ。

 ≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫母親が多忙のために欠けてしまっているのが,日本の≪発達トラウマ障害DTD≫です。あらゆる発達が疎外されていしまいます。

  いかに,≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫が大切かが,お分かりいただけたと思います。

 

 

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