エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#私が生きている実感 #キリストの新しい生き方 #弱さを仲間にできる創造的な生き方 #その晴れ晴れとした歓び

2018-07-28 03:30:39 | アイデンティティの根源

 

 イエスはその伝道をガリラヤで始めました。ペテロなどの弟子たちに最初に出会ったのも、ガリラヤでした。イエスにとっても、弟子たちにとっても、心のふるさと、自分の原点は、ガリラヤにこそあったのです。イエスの言葉は、その原点、心のふるさとのありかをハッキリと示してくれていますね。

  The Galilean Sayings and the Sense of “I”. The Yale Review. April 1981, p328の第2章から。

 4年ぶりの訳し直し。

 

 

第2章

 私はもう、私が依って立つ全てを含む立場を明らかにしたところです。つまり,その私の立場とは,神様が創造する時にはイエスのガリラヤでの言い伝えが、私どもが,人間に相応しい≪私≫が生きている実感」と呼ぶものを,繰り返し生み出す,ということなんですね。特に、イエスの言い伝えをどのように見たら、イエスの時代の出口の見えない、歴史的・宗教的な弱さと苦しみ受け容れて仲間にする人格に染み渡った心からの優しさ約束することになるのか,ということなんですね。人類の進化の中で、このガリラヤの時ほど、あるいは、このガリラヤの時以上に、このような生まれ変わりが,あの千年期にあった別の偉大な様々な言い伝え、たとえば、老子の言い伝えや、老子の言い伝えが道教で果たす役割に、意義深い光を投げかけているものはない,のかもしれませんよ。というのも、ついでに申し上げれば、「あの方の支配」、あるいは、「あの方の道」が、英語では「神の国」と呼ばれるものに対して、非常に合点がいく呼び名になっているように思われるからです。実際問題、最初のキリスト者たちは、自分たちのヴィジョンを「キリストの新しい生き方」と呼んだのでした。

 

 

 

 

 エリクソンは、なんでこんなところに着目するのでしょうか? キリスト者でない人はそう思うかもしれませんね。日本のキリスト者は1%もいませんから、ほとんどの人は、「ついてけない」と思うのかもしれません。

 この文書の最初に、トーマス・ジェファーソンが、第3代アメリカ合衆国大統領になった時に、ホワイト・ハウスの中で聖書研究をしていたことが記された後、ウィリアム・ジェームズを引用しながら、私≫が生きている実感ということは、分かっているようでわからない、ということが記されていましたね。そう、≪私≫が生きている実感ということは、誰もが知っていることですが、それをハッキリととらえることは、非常に難しい。

 キリストの教えは、その≪私≫が生きている実感を,ハッキリ、クッキリとさせてくれるので、エリクソンはこの文書を書いているんですね。それは「≪いまここ≫で生きる」という、晴れ晴れとしていて、愉快で楽しく、悦びに満ちた生き方そのものですね。

 読者のみなさん、いましばらく、この「ガリラヤの言い伝えと≪私≫が生きている実感」の翻訳にお付き合いいただけましたら、次第に,≪私≫が生きている実感,とは何なのか? ハッキリしますよ。そうなれば、あなたも、毎日を、晴れ晴れとして,愉快で楽しく、悦びに満ちて生きることができるし,人や自然に対して,心から優しく関わりを始めることができますよ!

 

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エリクソンの叡智:希望の源は光(子どもをハッキリと肯定する態度・言葉と温もりあるタッチ)改訂版

2017-07-14 00:54:37 | アイデンティティの根源

 

 

 2年半ぶりに,改訳します。 よりクリアーに理解できると思います。

 Insight and Responsibility 『自分の中に≪恵みの分ちあい≫があると内省していたら、相手の気持ちがまるで手に取るように、スゥーッと理解来ますし、相手との≪恵みの分ちあい≫に応答できますから』のp231冒頭から。

 

 

 

 

 

 人間の,心に秘めたいろんな大事な力の一つを理解するためには、私どもは、道徳がどうのこうのと言う前の日々、すなわち、自分の赤ちゃんの頃に自分の発達を,お一人お一人が,遡らなくちゃなりませんね赤ちゃんのころに経験したお母さんとのやり取りによって、根源的信頼感根源的不信感の割合が決まっちゃうからなんですね。その割合が、好ましければ、人間の根源的な強さ、すなわち、希望を確かにされることもできます。希望と言う全人格に漲る態度が生まれるのは、新しく生まれたばかりの赤ちゃんがそのお母さんに手を伸ばすと同時に,そのお母さんがこの赤ちゃんに、後で議論することになる≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫をもたらすときなんですね。この根源的信頼感≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫がうまくいかないことは、心の病の中で、一番広範囲に渉る失敗として、見受けられますし、あらゆる発達の邪魔をします。根源的信頼感≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫がないことが、いかに悲劇的で、いかに深刻な心の病なのかと分かるのは、子どもの場合でも、親の場合でもそうですけれども、子どもも、親も、≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫を呼び覚ますことも、≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫に応答することもできません。そこで、さらにひとつ提案ですが、あらゆる道徳的、価値的、倫理的な行動へと傾くいろんな人格的な性質は、赤ちゃんの頃に経験する,この≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫次第だ,ということなんです

 

 

 

 

 ですから,倫理は母親がを≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫通して,赤ちゃんにプレゼントするものでしょ。

 ≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫母親が多忙のために欠けてしまっているのが,日本の≪発達トラウマ障害DTD≫です。あらゆる発達が疎外されていしまいます。

  いかに,≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫が大切かが,お分かりいただけたと思います。

 

 

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#祈りによる再生力 #祈り=サイコセラピー #発達トラウマ障害(DTD)

2017-06-11 10:57:57 | アイデンティティの根源

 

 

 Young Man Luther 『青年ルター』p208の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 それで,2つのやり方で、祈りによる再生は、受け身です。つまり、祈りは父なる神にすべてを委ねることでしょ。しかし、祈りは同時に、ex matrice scripturae nati、すなわち、聖書という母から、生まれ変わることでもあるでしょ。「母体」とは、1人の、男の中の男が「おかあちゃん」と言うようになるのと似ています。しかし、男の中の男は,思い出せないし、認めたくもないのが、何もかも意のままになるやり方を身に着けるずっと前には,もっとも,それは,厳しい父親がダメ出ししたり,逆にもっと「俺様の勝手でしょ」ということにもさせることにもなるものですが,一人のお母さんが,その男に,この世の中は,乳房を求める自分の口と,敏感に感じ取る鋭い感性とによって,知るものですよ,と教えていたことでしょうね。一人の男に中の男にとっては,身に着けがたい,この受け身になる,というようなことは,最初に身に着けたけれども,忘れているやり方によってイキイキしたものになる,再獲得しなくちゃいけない唯一の能力です。 

 

 

 

 2年前の翻訳は,ちょっと下手さが目立ちましたね。というよりも,この2年間で,私のエリクソン理解が深められたからかもしれませんね。

 男の中の男でも,赤ちゃんの時は,受け身で世の中を知っていたわけです。その時に必要だったのは,乳房を求める自分の口と,鋭い感性でした。そして,祈りは,まさに,心と口でお祈りをして,鋭い感性で感じ取って,生まれ変わらせてもらうことでした。

 そして,これは,セラピーの上でも,非常に大事な視点だ,ということをエリクソンは,臨床を通して,述べているところです。

 祈りとサイコセラピーはほとんど同じことです。

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ユングに学んだエリクソン

2016-04-01 07:19:20 | アイデンティティの根源

 

 

 
神の計画は∞
  オッカム主義では、神様は日常生活とは縁もゆかりもない者になっちゃいましたね。今と同じです。 Young Man Luther 『青年ルター』p190の第2...
 


  子どもには、良い良心をプレゼントしたいですね。神様以外は、何物も恐れずに、確信をもって、自由に活動してもらいたいからね

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.263の、第2パラグラフ、ブランクから。

 

 

 

 

 

                4

 

 この本では、私どもは西洋の宗教運動について論じていますけれども、この運動は、自分の感じに基づいて行動を起こしてもいい感じと、自分はダメだぁという感じのやり取りを極端に強調し、「神なる父と子」の関係を特に強調することから生じ、その後、ずってそれを強調し続けています。この枠組みでは、母はあい方ですけれども、陰の存在です。父なる宗教は、母なる教会を持ちます。

 

 

 

 

 ここに、ユングの父性原理と母性原理が、垣間見えますね。アイデンティティも、エリクソンの専売特許のように言われますが、ユングの方が先に言ってますからね。ユングに学んで、エリクソンはアイデンティティとライフサイクルを思いついた、というのが私の節です。

 

 

 

 

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秩序を作る力が答え

2016-03-31 08:33:50 | アイデンティティの根源

 

 

 

 

 
弱さの強さ
  これは、パウロの書簡「コリントの信徒への手紙 二」の第十二章10節「それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行きづまりの状態にあっても、キリストのために満...
 


 とくに発達とウラマの子どもたちからは、悪い良心の大人は遠ざけたい。でもこれが結構いるから困ります。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.263の、第2パラグラフ、下から12行目途中から。

 

 

 

 

 

この定式では、すべての人が、自然の力や悪霊に対して抱いてきた昔ながら怖れは、人間の心の中にある力と、内なる子ども、とに再び投影されています。その眠れるエネルギーは、悪事になったり、天使みたいにロマンチックなものになったりします。人は訓練して身に着けた良心が必要ですから、自分は悪い良心に違いないと思ったり、時にお手軽に良心が身につくと思うときには、良い良心だと思う訳ですね。こういったすべてに対する答えは、あれやこれやの悪の感じを、子ども等から失くしたり、子ども等に「ダメダァ」と言って否定したりしようとしても、ダメですよ。避けられないことを否定したって、秘密やら、手に負えない悪がいや増すだけですよ。この答えは、人間が秩序を作る力にこそあんですね。秩序を作る力があれば、子どもたちは、訓練された、しかも、我慢強い良心と、確信をもって活動できる場を手に入れることが出来ますからね。

 

 

 

 

 

 子どもに、寛容に、忍耐強く関わることが、子どもにも、寛容で、忍耐強く関わることが出来る、素敵な良い良心をプレゼントできます

司馬遼太郎さんが『二十一世紀にいきる君たちへ』で言っていることと同じです。

 子どもが、良い良心がプレゼントされれば、神様以外は、何物も恐れずに、確信をもって活動できる場も出来ますからね。

 

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