エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

相手が乗り出してくる言葉

2016-02-29 23:44:49 | アイデンティティの根源

 

 

 
なぜ、大人はウソをつくのか?
  「なぜ大人は嘘をつくのか?」。これは、映画「ソロモンの偽証」広告のキャッチコピーです。その映画評論をしようとしているのではありません。新聞一面広告で、例によっ...
 

 

 ルターは常識や通念に囚われない、自由人。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.259の、下から4行目途中から。

 

 

 

 

 

 ヴァルトブルグでも、ルターは。聖書を翻訳したことで、同じ民族の各家庭に入り込むことが出来る優れた力を伸ばしました。説教者として、卓上談話をするものとして、自分の残るの人生を、親しみのある関係をやり取りすることもできることと、そのせずにはいにれないことを示しました。このテーマのみで、ルターについてもう一冊書けますね。おそらく、そんな本には、一番腹を立てたお喋り意外すべて、読み手にピッタリと合うやり取りだと分かることでしょうね。

 

 

 

 

 

 ルターがいかに人に合わせた言葉を自在に使っていたかが分かりますね。こころの寄り添う力が、ブルース・ペリー教授のいう勘が働いていたのだろうと思います。相手の気持ちにぴったりとくる言葉を、話し言葉にすることが出来れば、相手の人も乗り出してくるのが見えるようですよね。

 

 

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やり取りが出来る+物事に対処出来る=勤勉・自分も人も育てること

2016-02-29 08:21:41 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
夜の冒険
  虫のオーケストラを聴くのも、また楽し、ですね。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p90の7行目途中から。 ...
 

 

 自分の感じも、過ぎたるは猶及ばざるが如し?

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.109からです。

 

 

 

 自分の感じをきちんとした形で出せないし、出してもダメな感じ vs 自分の感じをきちんとした形にして出しても良い感じ : 人とやり取りする力があると同時に、物事に対処できる力がある感じ

 

 

 

 勤勉であることと、人とやり取りする力があると同時に、物事に対処できる力がある感じは、競争社会の中で、すなわち、自由意思の国、創意工夫の家で、知ることが出来る素質の全てです。

 

 

 

 

 

 一人静かに、ものをコツコツ作ることも、勤勉ですね。でもね、エリクソンが勤勉と言った場合は、一人静かにコツコツ何かをしているだけじゃぁ、勤勉=生産的とは言いません。人間にとって、やり取りすることが、最も大事なことだ、とエリクソンは感じていたからですね。ヴァン・デ・コーク教授の翻訳で、十分に話し合うこと相手を対等に大事な存在として、お互いに認め合うこと気持ちをやり取りすることの3つが同じことと申し上げたことは、エリクソンが、ハッキリと、あるいは、それとなく、いつも、言っていることなんですね。

 お役所仕事ですと、ルール通りが勤勉ですけれども、お役所仕事=役立たず、あるいは、お役所仕事=人権侵害 という場合が結構ありますでしょ。これは、そのルールの目的とのやり取り、市民、それも弱い立場の市民(子ども等など)とのやり取が欠けているからです。

 やり取り、大事でしょ。

 

 

 

 

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光のように

2016-02-29 07:34:06 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
誰にも頼らないやり方で自分を確かにする生き方
  人間には、自由に振る舞える、その自由が何よりも大事なんですね。自由=人間。自由でないものは、すでに人間であることを止めた証拠になります。 Young Ma...
 

 十分に話し合うこと相手を対等に大事な存在として、お互いに認め合うこと気持ちをやり取りすること、の3つは、パラパラなことじゃぁなくて、3つとも全て同じことなんですよ。それがトラウマ治療のエッセンスですね。それを壊すのは、ナチスと一緒で、人類に対する犯罪です。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.237の、ブランクから。

 

 

 

 

 

 自分自身を知ること、あるいは、自分の物語を語ること 私どもが気付きを与えられる2つやり方

 

 どなたでも、対話セラピーをする人は、ほぼすぐに言葉の限界に直面します。これは私自身の精神分析にも当てはまります。私が気安く話しをしたり、面白い話が出来ている間は、自分の気持ちを深く感じると同時に、その深い気持ちをほかの人に伝えることはいかに難しいことなのかが、すぐに分かります。人生で、一番個人的で、一番辛くて、一番混乱している時のことに触れようとすれば、1つの選択をしなくちゃならないことに気付くことがよくありますね。私は心の眼のなかで、昔のいろんな光景を生きなおすことに集中したり、当時感じていたことを感じ直すこともこともできますし、あるいはまた、以前にあったことを筋道立てて理路整然と、分析家に話すこともできます。後者を選んだ場合、すぐに自分自身に触れることが出来なくなっちゃいますし、自分について語ることについての自分の意見に焦点を当てることになっちゃいます。少しでも疑いや分別くささがあったら、本音の自分を締め出すことになりますもんですよね。ですから、本当の自分が再び手に入れることに注意が移っちゃいますもんです。

 

 

 

 

 

 ≪本当の自分≫とは、科学的真理というよりも、人格的真理なのでしょう。ですから、知的に理解したり、伝えようとした瞬間、≪本当の自分≫からズレてしまいます。

 ≪本当の自分≫は、光のように、音のように、声みたいに、閃きみたいに感じるものですね。

 

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勘の目的

2016-02-29 02:36:55 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
なぜ、大人はウソをつくのか?
  「なぜ大人は嘘をつくのか?」。これは、映画「ソロモンの偽証」広告のキャッチコピーです。その映画評論をしようとしているのではありません。新聞一面広告で、例によっ...
 

 

 本物のプロは、素人では立地打ちできない、勘(鍛え抜かれた直感)をお持ちです。このは、長年の鍛錬の賜物ですから、一朝一夕に身に着くものではありませんよね。真摯に子ども等と向き合う中で、自ずから与えられた恵みに他なりません。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.208、上の段落の3分の2あたりから。勘の話の続きです。

 

 

 

 

 

何がしっくりとしないかが、いつでも分かる訳ではないけれども、パズルの一部が何処か欠けていることは、ハッキリとが気付きます。があるから、何かが変だという印が浮き出てきます。(ハラワタで感じる(人を捨てておけない)」ってことは、現実には、ストレス反応体系の低いレベルの反応です。文脈とか物語の中から出てくるいろんな印の塊に鋭く合わるものなんですね)。 

 

 

 

 このは、英語でもgut feeling 「はらわたが感じる感じ」と言います。ギリシャ語では「はらわたが感じる感じ」はギリシア語σπλαγχνιζομαι スプランクニツォマイ(「はらわたを突き動かされる」)ですね。一度、腑に落ちるとトラウマで書きましたよね。

 には、どうやら目的があるらしい。弱い立場の人がイキイキ生きるためこそが、勘の目的ですね。ですから、不思議なことですが、その目的に適う時、実に見事に勘が当たりますよね。

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自由なルター 通念に縛られない生き方

2016-02-28 12:34:37 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
ただただ恵みによって 自由
  神はすべてを創造された。人間には自由に振る舞えるゆとりがあるのかどうか?が大きな問題になりますね。 Young Man Luther 『青年ルター』のp1...
 

 

 ルターは修道士を辞めて、結婚することになります。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.259の、第4パラグラフの、6行目途中から。

 

 

 

 

 

しかし、親しみのある関係が持てない危機は、決して性的なものだけではありません。すなわち、異性との性的な関係だけではありません。ルターは、かつて自由気ままに、自分の情緒的な生活について、男友達宛ての手紙に記していました。その情緒的な生活の中には、自分のせい生活について含まれ、男友達との親しみのある関係を分かち合う必要性についても、率直に記しています。おそらく、最も有名な例は、こういった修道士たちが、修道院を逃げ出した修道女達と遅ればせながら結婚したという、悲喜こもごもが次々に起こった時に書かれた手紙でしょうね。ルターは、スパルティンと、逃げ出した修道女で、スタウピッツの親戚の女の媒酌人を務めたこともありましたっけ。スタウピッツ宛ての手紙の中で、ルターは、「結婚初夜は上手くやんなさい」と願っていましたし、「僕らのヘッドでお膳立てした、君らと同じ夫婦の交わりの間、君のことを思っているよ」と約束してたんですからね。

 

 

 

 

 セックスのことは、あまり口にしないことがたしなみみたいな感じを持つ場合が日本人には多いでしょうね。日本人で夫婦の寝室を見ず知らずの人に見せることはまずありませんでしょ。でも、ところ変われば品変わる、でして、常識や通念は、時代が変わったり、場所が変われば、全く異なるものなんですね。アメリカでは、友人になった人には、会った最初の日にでも、夫婦の寝室や、夫婦専用のお風呂(日本では見たことがありません)まで見せるんですね。それはセックスにもオープンで、大らかなアメリカ人ならではでしょう

 常識や通念に囚われないことも、自由でいるために必要条件でしょうね。

 

 

 

 

 

 

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