エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ルターに学ぶ歴史的教訓

2015-09-30 05:37:28 | アイデンティティの根源

 

 

 調子の良い時ほど、原点と目的意識を忘れずにいたいものですね。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.230は第2パラグラフ、8行目途中から。

 

 

 

 

 

「御言葉によって、世の中を従えて、御言葉によって、教会が救われ、御言葉によって、世の中が秩序を保ち、キリストに反対する者たちが、暴力に訴えずとも、負けていきます」。ルターがよくしゃべると、歌声も高らかに響きます(ゲーテがそう言ってましたっけ)。でも、気持ちまで高まると、屋根まで突き破ることにもなりかねません。ルターも気付かぬうちに、まさに激怒の詩を伝える言葉を、ルターは口走ってしまったんですね。しかし、大衆にとっては、ルターの言葉は、具体的な行動を強制し、しかも、正当化したのも同然でした。

 

 

 

 

 

 自分の語る言葉が、ルターの予測を超える力を持つとき、恐ろしいですね。ルターの言葉は、人々の無意識にある思いを刺激して、行動化を招いた、と言えるんでしょうね。これくらいオゾマシイ破壊をもたらすこともありませんから、ドイツ農民戦争は、それはそれは恐ろしくも、オゾマシイものだったはずです。

 目的意識と言葉を一致させることを大事にすることも、歴史的教訓になりますよね。

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赤ちゃんだった頃の、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちを 見て見たい!

2015-09-30 04:42:17 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 自由と創造性の源はわがままなんですね。大人の度量が試されます。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』p78の第2パラグラフ、下から5行目途中から。

 

 

 

 

 

反対に、「表の最後の列」をちょっと振り返って見れば、赤ちゃんの希望には、人間を超越する存在や価値に対する信頼に、徐々に発達する、大事な種があることが分かるでしょう。もっとも、いちばん守りが難しいのは、(訳注:エリクソンみたいに、)赤ちゃんを一番熱狂的に熱愛する人たちなんですがね。そういえば、老子って、「老いた子ども」、あごにちょび髭がある赤ちゃんのことじゃぁ、なかったかなぁ?

 

 

 

 

 

 合奏ですと、いろんな楽器の譜面を縦に並べますでしょ。まるで楽譜が積み木ですよね。エピジャネシスの発達も、エリクソンは、合奏に擬えていましたよね。エビジェネシスの発達も積み木だからです。赤ちゃんの時分に、根源的信頼感を育てていくと、人や組織やこの世を超越する神や仏、人間らしい正義であるヒューマン・ライツ、主権在民などを信頼することが、やがてできるようになります。

 アベシンちゃんと悪魔の仲間たちが、このような存在や価値を信頼できないのは、オボッチャマ育ちの割には、良い赤ちゃん時代を過ごしていないんでしょうね。

 

 

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シャワーとフラッシュ それから、直感の芳香  改訂版

2015-09-30 03:58:11 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
「光の子どもの家」の教育方針
  児童養護施設「光の子どもの家」理事長 菅原哲夫さんのインタヴュー、先日このブログでも取り上げましたから、覚えておられる方も多いと思います。先日触れなか...
 

 

 ちょうど一年前の「光の子どもの家」のブログ。愛着障害の子どもに対する、素晴らしい実践をご紹介しましたね。児童精神科医も児童養護施設の職員も、教員も、臨床心理士も、トラウマ研究の大学教授も、愛着障害のことを知らない人がビックリするほど多く、極々少数の良心的な人、たとえば、先日の心理臨床学会で、愛着障害のケアについてお話下すった、杉山登志郎さんとか、横浜市戸塚区の「子どもの虹情報研修センター」の増沢高さんのような人たちが、そのケアに当たっているくらいですね。愛着障害の対応(「治療」とか、「教育」とは呼べないので、「対応」としました)は、学校でも、児童施設でも、精神科医も、PTSDを研究している大学教授も、愛着障害の子どもの気持ち脳の変異を無視して、自閉症やADHDと誤診して、ADHD向け精神科薬のコンサータなどが処方し(児童精神科医)、発達トラウマ震災トラウマの区別もできず(大学教授ら)、アメリカ精神医学会やアメリカ児童虐待専門家協会(APSAC)が、「やってはならない」=「禁忌」だとしている、「ルールや日課等の正しいことを押し付ける」ことをしている(教員と施設職員)場合が、圧倒的多数なのが、日本の許されざる、悲しい現実なんですね。その中にあって、マインドフルネスやEMDRを学んでないと思われる「光の子どもの家」の施設職員らが、徹底的に肯定的な言葉や肯定的な態度(「あなたに会えて、良かった」)のシャワーを、愛着障害の子どもに与えているのは、優れた実践として、ご紹介したのが、昨年今日のブログでした。

 一昨日ご紹介した、ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』にも、アメリカ版「光の子どもの家」が紹介されています。それが、スティーヴ・グロス(Steve Gross)です。スティーヴは、トラウマセンターの遊びのオジサン(年が分からないので、遊びのニイチャンかもしれません)です。スティーヴは、いつでも明るい色のビーチポールを持っているそうです。そして、いつもピカピカの笑顔を、重たい愛着障害の子どもに、チラリと向ける(英語では、これをflash フラッシュ と言います。ここは、he would flash them a big smile.)ようです。でも、重たい愛着障害の子どもは見て見ぬフリ…。スティーヴは、しかし、それで諦めるような支援者ではありません。しばらくしてから、カラフルなビーチボールを、その愛着障害の子どもの近くに「たまたま」落として、そのボールを返してもらうみたい。でもその子は、気乗りのしない感じでボールを返すだけ…。でも、そんなやり取りをしている内に、次第にやり取りができるようになって、その子もスティーヴも、笑みを交わす仲になるそうですね。リズムよく子どもの気持ちに合わせることを繰り返して、小さな安全な場をスティーヴは、作り出します。そこでその子が人と関わることを学んでいくわけですね。

 日米の「光の子どもの家」に共通していることは何なのか? 理論や今までにこだわらずに、≪いまここ≫にいる子どもと誠実に向かい合うことで、子どもが必要なことを、≪いまここ≫の子どもから学んでいくことです。それが、直感のなせる業ですね。臨床的な直感です。私に言わせたら、この臨床的な直感が、生活のハビットになってる人は、独特の良い香りがしますから、すぐにそれと分かります。やり取りの出来ない悪臭の人も一方ですぐに分かるんですが、芳香の人も、同様にすぐに分かります。

 この芳香が、愛着障害の子どもには必要ですし、この芳香こそが、愛着障害を癒すことは、日本でもアメリカでも、違いがありません。

 

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勢いづいた時こそ、目的意識が大事

2015-09-29 05:35:42 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 ルターも、人間、振り子が触れすぎるきらいがあります。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.230は第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ルターは、このような華々しい行いが、生涯を通して語ったことの中で、一番嬉しかったことだと、シュタウピッツに語っています。ルター自らが以前に語った言葉を聴いても、ルターは己の確信を強めましたし、自分が付けた火なのに、ルターが反抗する火に油をそぐ有様でした。この時以降、苦闘が始まるのが、ルターが語る御言葉とルターが実際にやってることの間でしたし、ルターが説得する方法と、現実に焚き付けるやり方の間でした。ルターが一言言えば、周りの者たちは、行動に移してしまいましたし、ことが起これば、ルターはますます確信を深めても居ました。

 

 

 

 

 ルターも調子に乗ってしまった嫌いがありましたね。一端ことが起きれば、勢いも大事ですが、原理が生かされているのか? 目的は果たされているのか? という問いを、勢いがある時にこそ、意識して問うべきだ、と、このルターの「失敗」を見るにつけ、私どもは考えなくてはならないでしょう。

 

 

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わがままは、自由と創造性の源

2015-09-29 03:56:35 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 「お役所仕事」は、年少さんくらいの時に「自分の意志」を育てそこなったビョーキです。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』p78の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 年齢の高いところから下りながら見てきた場合においてさえ、増々明らかなのは、いくつかの舞台を踏んで育っているはずのものが、現実には、エピジェネシスの合奏曲だということです。この合奏曲では、どの舞台であろうと、どの人間力であっても、その最初の基本も、その「当然ある」危機も、後の舞台にある、新たに改革する可能性も、見失ってしまう訳にはいきません。このようにして、赤ちゃんの時の希望は、わがままの要素をすでに携えています。このわがままの要素は、しかしながら、幼子の頃に意志が危機に陥る時のようなやり方で逆境に陥れば、耐えられません。

 

 

 

 

 

 わがままと聞けば、「ダメ」の代名詞のように思う人が、特に真面目な人には多い。残念ですね。しかし、わがままは、自由と創造性が育つとき、特にその始めにおいては、不可欠なものなんですね。言葉を換えれば、自由と創造性は、最初は「わがまま」に見える形の中にあるんです。ですから、周りの大人は「わがまま」を認めるような度量の広い気持ちと鷹揚な態度が必要です。ですから、わがままと見える子どもの意志を繰り返し認めていくこと、そのためには、そのわがままが許される境をハッキリとさせて、子どもの意志が危機に陥らないようにする工夫が、周りの大人に必要です。

 

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