エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ:エリクソンの叡智: 二重否定でしか言えない価値

2016-12-26 08:44:24 | エリクソンの発達臨床心理

 

 今朝のエリクソンも、Insight and responsibility p.230から。タイトルは、『本物の課題を見抜く眼と、本物の課題に応え続ける態度』という程の意味で、『…と責任』という感じじゃない。


 



 私どもが価値あり、と認めるものを、曲がりなりにも言い表すとしたら、二重否定の形にならざるを得ません。例えば、あまりクヨクヨしない、ですとか、何とか落ち込まずに済んでいる、だとか、思ったほど曖昧でない、だとか、それなら、かなり可く出来た人です。







 事ほど左様に、人の良さ、人間力を的確に表現するのは、厄介、遣り甲斐がある仕事です。

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現世考: 流行る映画と 隠されている流行る病、そして、光

2016-12-26 06:56:12 | 間奏曲



 いま、大人気、大流行りの映画と言えば、「君の名は」でしょ。遅まきながら、先日観てきたんですね。ハッキリ言って、ジブリ作品と比べる程のものもない、と感じましたね。どこがいいのか解らない。
 ただ、なせ流行るのかは、ハッキリ判りましたね。

この映画のキーワードは、「探している」と「結び」

 「探している」と「結び」は、赤ちゃんの発達危機の際のキーワード。「探している」のは、大切な人。でも、その大切な人は、自分の内側にいるのか、それとも、外側の存在なのか、曖昧です。でも、その大切な人との「結び」つきを感じていたい。


 発達トラウマ障害の子どもばかり、発達トラウマ障害の大人だらけですから、未だ見つけられずにいる、その大切な人探しを投影するのに、打って付けの映画、それが、「君の名は」なんですよ。

 この映画のキーアイテムを1つ挙げれば、それは。水面に光る光、ビルの向こうから上る太陽、彗星の眩ゆい光…。「探している」大切な人との「結び」付きと、それを実感した時の悦びは、光と感じることが多い。ですから、映画「君の名は」では、光がサブリミナルに多用されている訳です!!

 流行る映画は、隠された流行り病、発達トラウマ障害の1つの傍証ですからね。

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気付かぬ内に広まってる 流行り病

2016-12-26 06:20:13 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.151、第10章から。







発達トラウマ障害:知らぬ間に広まってる流行り病



い頃のむごい経験のために、発達がかなり混乱する、と考えるのは、臨床的な直感であって、研究に基づく事実ではない。何らかのトラウマ関連の症候群に起因する発達の混乱を示す証拠は、ない。

アメリカ精神医学会が、発達トラウマ障害という診断名を認めない理由、から。2011年5月









10章のエピグラフの1つ。
アメリカ精神医学会がいかに官僚的か、お役所仕事の組織かを物語るものです。
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インターメッツォ:加藤周一さんの、「文学」という事業

2016-12-26 00:34:32 | 間奏曲

 

 

 
加藤周一さんの「信じること」
   眼に見えるモノ(偶像)を追いかけても、必ず、幻滅を味わうことになる  自分はあくまで「自分持ち」。相手の力で自分を確かにしようとしても、それは「で......
 

 今日は久方ぶりに、加藤周一さん。

 加藤周一『私にとっての二○世紀』(岩波現代文庫)pp.249-252から。

 

 

 

 

 

  戦車は結局プラハの春を押し潰してしまうのですけれども、押し潰される前に、あるいは押し潰されるときに、それを歌うこと、それは戦車に対する批判なのです。その批判は、戦車がどうしても壊すことができないものです。(中略)新約聖書に有名な『汝ら野の百合を見よ』という言葉があります。『ソロモンの栄華の極みのときだにも、その装いはこの花の一つにしかざりき』と。野の百合の一つはソロモンの宮殿の栄華のすべてよりもきれいだということです。(中略)私のいおうとしていることは、伝統的な約束事、社会の価値の上下関係から自由になるということです。つまり価値の転換です。文学というのは価値体系を転換する事業なのです。

 

 

 

 

 

 かくして、加藤周一さんは、水の洗礼を受ける前から、クリスチャンだった、と言えるしょう。

 

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