エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

夜の冒険

2015-02-28 13:46:39 | 間奏曲

 

 虫のオーケストラを聴くのも、また楽し、ですね。

 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p90の7行目途中から。

 

 

 

 

 

1時間ほど、小さな音楽家を懐中電灯で捕まえることは、子どもが大好きな冒険です。その虫取りのおかげで、子どもは、夜の不思議と夜の美しさを感じる心を身に着けることができます。同時に、子どもは、注意深い目と、ほんの少し待つゆとりさえあれば、夜の不思議と夜の美しさが、生き生きとしていることも、感じることができます。

 

 

 

 

 

 この夜の冒険は、子どもにとってワクワク体験でしょ。不思議も美しさもイキイキと感じる機会となる訳ですね。

 でも通常この冒険には、子どもだけではいけませんから、その冒険を一緒に楽しむ大人が1人、必要です。

 

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誰にも頼らないやり方で自分を確かにする生き方

2015-02-28 11:21:32 | アイデンティティの根源

 

 人間には、自由に振る舞える、その自由が何よりも大事なんですね。自由=人間。自由でないものは、すでに人間であることを止めた証拠になります。

 Young Man Luther 『青年ルター』のp185の11行目途中から。

 

 

 

 

 

「創られし者が創造性を発揮すること」により、人は自分を価値付ける誰にも頼らないやり方で自分を確かにすることができる訳ですね。神学的に申し上げれば、この過程こそが、世界の中にハッキリ現れる「秩序」から神の善性を読み解く一つになります。人がこのような観照する力を発揮することができるのは、形式と類似点、イメージと考え方についてよくよく考えてみることによってです。人は、因果関係を確立し、終いにはそれを経験に翻訳できるようになります。こうして人は、神のご計画とそのご計画の実践を手助けする者となれます。アウグスティヌスにおいては、あの世とこの世を縦に行き来するものが、信頼と大事にする気持ちでした。聖トマスが付け加えたのは、その形式と秩序が行き来することに対する認識でした。

 

 

 

 

 神谷美恵子の観照の目がここに出てきますね。この世の秩序を見るのには、この世にぴったり寄り添う姿勢と、この世から我が身を離す様な姿勢という、二律背反の姿勢が必要です。

 この世を観照する時に、人の自由もまたあるんですね。人は創造された者でありながら、神の創造のご計画に参加することも、そのこ計画を実行することも、また許された存在にされるわけですね。それが、人が自分を確かにする道、アイデンティティなんですね。

 

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なぜ、大人はウソをつくのか?

2015-02-28 07:33:50 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「なぜ大人は嘘をつくのか?」。これは、映画「ソロモンの偽証」広告のキャッチコピーです。その映画評論をしようとしているのではありません。新聞一面広告で、例によって、高橋源一郎さんが、先の問いかけに対して、「心を偽って生きている大人ほど 物事を曖昧に穏便に済ませる」と答えていることに注目したからなんですね。

 ですから、映画「ソロモンの偽証」の話ではありません。

 「心を偽る」とはどういうことでしょうか?

「心」は「本当の自分」「最深欲求」と言い換えてもいいのじゃないのか、と私は考えます。自分の内側へのベクトルですね。外側へのベクトルが強いと、この内側へのベクトルが非常に弱くなりますもんね。

 日本人は、おしなべて横並び。同調圧力が強い中で、その場その場の「地頭」に同調しながら生きるのが「標準形」ですから、大体、外向きのベクトルがとっても高い。そうすると、その外向きのベクトルに従って、同調することが「何らかのウソ」になる場合が非常に多くなるわけですね。私はこの生き方に対して、「否定的」です。

 ところが、むしろこれを是として、こういう生き方をすることこそが「大人」とする考え方もあるくらいですね。私は、そういう人は、「大人の顔をした子ども」、あるいは≪知的なケダモノ≫と呼んでいます。そういう人たちは、「自我の力」が非常に脆いので、「他を考えたり」、「他と異なる生き方を選択できない」が故に、体制や時代に流されがちです。歴史的に見ると、こういう人たちが、ナチスや日本軍のようなケダモノを生み出す「無思考」(仕事だからと、ルーティーンを何の疑問もなくやっちゃう)と「『普通に見える』悪」(モンスターが人類史上類まれな悪をするのではなく、ごくごく普通の人、平凡な人こそが、人類史上まれに見る悪をしでかす)になるのですね。

 じゃぁ、どうすりゃいいのかな?

 それは上記の広告の写真をよくご覧になってほしいんですね。高橋源一郎さんが着ているパーカーに小さくプリントされてる文字。Think other. 「人のことを考えよ」と読めますね。ここにヒントがあります。

 私は次のように考えます。

 この生き方に「さよなら」を言いたい人は、隣をよくよく見ることを通して、自分をよくよく見ることですね。それが、神谷美恵子さんが言う「観照 テオリアθεωρια の目」に通じます。そして、この「テオリア θεωρια」は、「テオロー θεωρω」から派生し、そのテオロー θεωρω」の意味は「よく見る」、「気付く」、「識別する」という意味だからですね。

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耳を澄ませば・・・。

2015-02-27 13:35:42 | エリクソンの発達臨床心理

 

 虫のヴァイオリンも素敵。

 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p90の4行目途中から。

 

 

 

 

 

虫の音の交響曲が、夜毎に大きくなり、鼓動を打ちます。それは、真夏から深秋まで続きます。凍てつく夜になると、このちっちゃな演奏家たちは、動かなくなり、かじかんでしまいます。結局、長い冬の間は、最後の音色が止みます。

 

 

 

 

 耳を澄ませてください。虫の交響曲が聞こえてきます。それは、何処か、部屋の外からなのか? それとも、自分の心の奥深いところからなのか? 時に解らなくなる時がありますね。

 耳を澄ませていましょう。目を覚ましていましょうね。

 

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ただただ恵みによって 自由

2015-02-27 11:52:22 | エリクソンの発達臨床心理

 

 神はすべてを創造された。人間には自由に振る舞えるゆとりがあるのかどうか?が大きな問題になりますね。

 Young Man Luther 『青年ルター』のp185の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 アリストテレスは、プラトンには手を付けませんでした。むしろ、ブラトンを補いました。すなわち、神は、ソラ・グラティア、「ただただ惠み」(エフェソの手紙 第二章5節)なのであって、神は2つを、すなわち、クオド・エステ・エクス・グラティア、恵みから出たもの と、クオド・エステ・エクス・リベロ・アルビトリオ、自由意思から出たもの の区別することを依然として大事にしていました。自由意思から出たものは、神が人を大事に思う気持ちから生じたものですし、人は、神から賜った理性と自由意思によって、全うできるものです。神は唯一の存在ですし、あらゆるものにとって、その存在の原因ですから、神ご自身が不可欠です。しかしながら、アリストテレスは、理性と意志に大きな自由、遊びを与えたことも確かでした。

 

 

 

 

 難しい神学論が展開していると、お思いの方が多いでしょうね。

 私も自戒を込めて申し上げるのですが、ここは非常に大事なところなんですね。なぜならば、人間にとって最も大事な「自由」がテーマですから。この「自由」こそ、あらゆる基本的人権の最も根源的部分だからです。フランス革命の標語を思い出してください。「自由・平等・博愛」でしょ。その最初に来るのが「自由」ですね。一番大事だから、一番大事なものを最初に持ってきたわけです。

 それから、日本の学校教育で最も欠けているのが、この「自由」です。管理教育の方が主流だからですね。

 それから、政治。「自由」が国民にないでしょ。地域で、会社で「自由」にしてます? 上司や同僚からの評価にビクビクしてませんか? 周りを気にしながら生きてません?

 「自由」の大事さが分かりますよね。

 

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