加藤周一さんの「信じること」眼に見えるモノ(偶像)を追いかけても、必ず、幻滅を味わうことになる 自分はあくまで「自分持ち」。相手の力で自分を確かにしようとしても、それは「で......
今日は久方ぶりに、加藤周一さん。
加藤周一『私にとっての二○世紀』(岩波現代文庫)pp.249-252から。
戦車は結局プラハの春を押し潰してしまうのですけれども、押し潰される前に、あるいは押し潰されるときに、それを歌うこと、それは戦車に対する批判なのです。その批判は、戦車がどうしても壊すことができないものです。(中略)新約聖書に有名な『汝ら野の百合を見よ』という言葉があります。『ソロモンの栄華の極みのときだにも、その装いはこの花の一つにしかざりき』と。野の百合の一つはソロモンの宮殿の栄華のすべてよりもきれいだということです。(中略)私のいおうとしていることは、伝統的な約束事、社会の価値の上下関係から自由になるということです。つまり価値の転換です。文学というのは価値体系を転換する事業なのです。
かくして、加藤周一さんは、水の洗礼を受ける前から、クリスチャンだった、と言えるしょう。
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