【社説】:内密出産 母子の命、守れる社会に
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説】:内密出産 母子の命、守れる社会に
熊本市の慈恵病院で昨年末、西日本に住む10代の女性が周囲に身元を明かさないまま「内密出産」した。
女性は名前などを病院の相談室長にだけ伝えて赤ちゃんを産み、わが子に宛てた手紙や自身の健康保険証の写しなどを入れた封筒を病院に託して去った。女性がこのまま翻意しなければ国内初の事例になる。
「ここで産めなかったら1人で産んで、捨てていたかもしれない」と女性は話したという。母子の命が守られたことにはほっとする。だが一件落着ではない。女性が内密出産に頼らざるを得なかったのはなぜか。政府は重く受け止める必要がある。
慈恵病院は「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を2007年に開設し、事情があって子どもを育てられない親の「駆け込み寺」の役割を果たしてきた。受け入れた赤ちゃんは21年3月まで159人に上る。
その半数以上は母親が自宅や車内で産み落とす、危険な「孤立出産」だった。何らかの事情がある女性を出産前から支えるため、慈恵病院は19年に内密出産の受け入れを表明していた。
病院の24時間対応窓口には年間7千件も相談があるという。現状を見据えれば、女性が安心して出産できる環境づくりが欠かせないのは明らかだ。
ましてや予期せぬ妊娠や生活苦などで女性が孤立し、赤ちゃんが亡くなったり、遺棄されたりするケースが全国で相次いでいる。病院長が「赤ちゃんの遺棄・殺人を防ぐために市や国には現実的な対応をお願いしたい」と求めたのもうなずける。
ところが内密出産を巡る国内の法整備は進んでいない。
病院が母親の身元を知りながらそれを伏せて出生を届ければ公正証書原本不実記載罪に問われかねない。熊本市が内密出産に反対するのもそのためだ。
父母の名前のない戸籍作成を法務省は「一般的には可能」としている。しかし今回どうなるかは明らかにされておらず、岸田文雄首相は衆院の答弁で「証拠に基づき個別に判断されるべきだ」と述べるにとどまった。内密出産への対応は極めて後ろ向きと言わざるを得ない。
赤ちゃんの成長後に「自らの出自を知る権利」をどう保障するかもあいまいだ。一定年齢に達した際に希望すれば親の情報を伝えるというのも病院の自主的判断にすぎない。特別養子縁組など赤ちゃんを育てる受け皿も含めた整理が必要になろう。
「伝統的家族観を壊す」「安易な妊娠を許す」という批判が法整備の遅れにつながっているという指摘もある。安倍晋三氏は首相在任時に「匿名で子どもを置いていけるものをつくるのがいいのか」と赤ちゃんポストを批判したのが一例だろう。
何より優先しなければならないのは母子の生きる権利を守ることである。その意識を欠いては支え合う社会など築けない。
ドイツは14年に内密出産の制度を定め、フランスは内密どころか匿名出産もできる仕組みを備えている。内密出産が母子を守るセーフティーネットという認識があるからに違いない。
内密出産に違法性が疑われるとしたら違法とならない条件を示すか、戸籍法などを改めるのが政治のあるべき姿ではないか。政府には母子の命を最優先する対応を急いでもらいたい。
元稿:中國新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2022年01月24日 06:33:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。