路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

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【中山知子の取材備忘録・05.12】:崖っぷち岸田首相「なんとしても私の手で」北朝鮮拉致問題は進展?最後の日朝首脳会談から20年

2024-05-27 07:45:30 | 【北朝鮮・朝鮮半島・拉致問題・独裁】

【中山知子の取材備忘録・05.12】:崖っぷち岸田首相「なんとしても私の手で」北朝鮮拉致問題は進展?最後の日朝首脳会談から20年

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【中山知子の取材備忘録・05.12】:崖っぷち岸田首相「なんとしても私の手で」北朝鮮拉致問題は進展?最後の日朝首脳会談から20年

 20年前の2004年5月22日、北朝鮮の平壌にいた。小泉純一郎首相(当時)の2度目の北朝鮮訪問に同行取材するため前日に平壌に入りし、22日の首脳会談取材に備えた。現地に到着してプレスセンターが置かれた高麗ホテルに荷物を置き、同行した社でいくつかのグループに分けられ、それぞれに北朝鮮側の担当者が同行した状態でバスに乗り、平壌市内の「表の顔」を見て回ったりした。

日朝首脳会談
開催国 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国

 2002年9月、第1回会談

 制服姿の女子学生が歩いていたり、結婚式を挙げているカップルがいたり…。自由行動はできず、先方の決めたルートや予定に従って移動し、食事の場所も同様だった。ただ02年9月17日の最初の小泉訪朝に日帰り同行取材した際は、空港からのバス移動中に街並みを見るのが精いっぱいで、日本と変わらない初夏の日差しのもとで、高層のビルが並び立つどこか機械的な街の雰囲気は、いろんな意味で新鮮に映った。

 しかし、この国のどこかに日本人を含む多くの拉致被害者がいるのだと考えると、表向きは平和そうに見せるショーウインドー都市の「裏の顔」に思いをはせざるを得なかった。

 最初の訪朝は拉致被害者のうちの5人の帰国につながったが、2度目の小泉訪朝では被害者の帰国は実現できず、安否不明の10人について早急の「再調査」を求めて金正日総書記(当時)の了解を得ただけで、被害者家族8人のうち5人が帰国したにとどまった(その後3人も帰国)。当時の拉致被害者家族会からの「最悪の結果」と批判を受けた小泉氏は「すべての責任は私にある。批判は甘んじて受ける」と述べたが、結果的にその後、日朝首脳会談は開かれることはなかった。小泉氏とともに訪朝もした安倍晋三元首相の時代にも新しい流れには至らず、小泉訪朝後には北朝鮮の指導者が替わり、現在の金正恩朝鮮労働党総書記はミサイル発射を繰り返し国際社会の批判にさらされ、直接対話できるような状況ではない事態に陥った。

平壌市内中心部には市民の姿もみられた(02年9月撮影)
平壌市内中心部には市民の姿もみられた(02年9月撮影)

 最後の首相訪朝からまもなく20年。岸田文雄首相は最近、「私自身の手で拉致問題を解決するという強い決意のもと、全力で取り組む」と繰り返し、日朝首脳会談に意欲をみせ続けている。北朝鮮側が今年1月の能登半島地震の際に金総書記の異例のお見舞いメッセージを送ったり、正恩氏の妹・与正氏が岸田首相の訪朝の可能性に触れたり、はねつけたり。一方、首相はこれまで、さまざまなルートを通じて北朝鮮側に働きかけを続けていることを認めており、政界関係者によると「すわ訪朝か」と想定させるようなタイミングもあったという。そんな経緯もあり「外交の岸田」を自任する首相の訪朝説は、ずっとくすぶり続けている。

北朝鮮による拉致被害者の帰国を求める国民大集会に出席し、あいさつする岸田文雄首相(2024年5月11日撮影)

北朝鮮による拉致被害者の帰国を求める国民大集会に出席し、あいさつする岸田文雄首相(2024年5月11日撮影)

 5月11日、東京都内で開かれた北朝鮮による拉致被害者の帰国を求める「国民大集会」では、被害者家族会の即時一括帰国を要請する家族会の声に、岸田首相は「日朝首脳会談を実現すべく、私直轄のハイレベル協議を進める。早期実現に向けた働きかけを一層強めたい」と述べ、この場でも「なんとしても私自身の手で、拉致問題を解決するという強い決意のもとで全力で取り組む」と訴えた。

 昨年11月の同集会でも、首相は「早期の会談実現へ向けて、働きかけを一層強めていく」とほぼ同じフレーズを口にしていたが、家族会が今年2月にまとめた新たな活動方針では、被害者の親世代の家族が存命の間に即時帰国が実現するなら、人道支援、独自制裁解除に反対しないとし、岸田首相には新たなプレッシャーがかかる形となった。

 裏金問題や政治姿勢への国民の批判で、支持率がほとんど上向かず崖っぷちに立たされている岸田首相にとって、外交、特に日朝関係進展による局面打開は「反転攻勢への大きな足掛かり」(関係者)ともいわれている。真偽は別にして首相訪朝説が飛び交うのも、そんな背景が影響しているようだ。ただ、外交は相手あってのもので自分の意向だけではどうにもならない。またミサイル発射などで非難を浴びる北朝鮮側と会談するのは、相当の準備や覚悟、シミュレーションも必要。今回ばかりは「やってます感」「外交の岸田」アピールだけではすまないジレンマの中で、首相は依然さまざまな可能性を探っているとの指摘がある。

 最後の日朝首脳会談からまもなく20年。北朝鮮をめぐり積み重なってきた問題に関しては、首相の「次の一手」に大きな関心が注がれている。【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)

中山知子の取材備忘録

 ■中山知子の取材備忘録

 ◆中山知子(なかやま・ともこ) 日本新党が結成され、自民党政権→非自民の細川連立政権へ最初の政権交代が起きたころから、永田町を中心に取材を始める。1人で各党や政治家を回り「ひとり政治部」とも。現在、日刊スポーツNEWSデジタル編集部デスク。福岡県出身。青学大卒。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・コラム・「中山知子の取材備忘録」】  2024年05月12日  11:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。


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