【卓上四季】:「テレビの父」が見た未来
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【卓上四季】:「テレビの父」が見た未来
世界で最初に電子式テレビの開発に成功し「テレビの父」と呼ばれた高柳健次郎は幾多の困難を乗り越えて空想を実現した。震災や戦争にもめげず研究にまい進。20世紀最大のメディアの普及に貢献した▼東京高等工業学校の付設教員養成所では東京工業大学初代学長となる中村幸之助の薫陶を受けた。「流行を追ってもダメ。20年後の未来に役立つ仕事をしなさい」。その言葉が高柳の背中を押した▼高柳はラジオ放送が始まったばかりの時代に映像を遠くに送れないかと夢想。予算が打ち切られると企業に出向き産学連携を実現した。円形板を使う機械式の研究が主流の時に電子式ブラウン管に活路を見いだしたのも先見の明と言えよう▼1940年(昭和15年)の東京五輪に向けたテレビ放送の準備は実験に成功したが、戦局悪化と大会中止で頓挫。公職追放の憂き目に遭った戦後は民間企業で開発に励み、テレビ普及率が9割に達した64年東京五輪の熱狂を支えた▼きょうは世界テレビ・デー。国連総会で宣言されてから四半世紀となる。携帯端末の普及などメディアも様変わりしたが、平和構築や文化交流に寄せる期待は変わるまい▼高柳が通信分野に関心を深めたのは、タイタニック号事件を全世界に伝えた無線技術だった。「苦難を友とし、苦難をわが師とする」。高柳の言葉は、不屈の探究心が困難も乗り越えることを教えてくれる。 2021・11・21
元稿:北海道新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【卓上四季】 2021年11月21日 05:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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