立秋

 ◆出来事

  ▼北海道の有珠山が噴火。昭和新山を形成した44年の噴火以来(1977)▼アジア初の国際エイズ会議が横浜で開催(1994)▼岸信介元首相が死去。90歳(1987)

 1909年、明治噴火の直前に洞爺湖上から撮影された有珠山。当時の大有珠溶岩ドーム(写真左側)には「立岩」と呼ばれる独立した岩塊があり、その形状から「土瓶の口」とも呼ばれた。 

 1977年火山遺構公園に保存されている倒壊した病院(2013年5月)

 岸信介商工相と東條英機首相(1943年10月)

石橋湛山前首相が岸首相に宛てて書いた私信の草稿(昭和35年4月20日の日付。石橋が病後、不自由になった手で書いたため字が乱れている。この草稿をもとに清書されたものが岸首相に送られた)=増田弘氏提供
石橋湛山前首相が岸首相に宛てて書いた私信の草稿(昭和35年4月20日の日付。石橋が病後、不自由になった手で書いたため字が乱れている。この草稿をもとに清書されたものが岸首相に送られた)=増田弘氏提供

私信の中で、石橋は岸に反省を望みたいとして、56年12月に石橋内閣を組閣した時の秘話を述べている。

「ある一人の人は私の提出せる閣員名簿をみて、きわめて深刻な表情をして私にこう尋ねられた。どうして岸を外務大臣にしたかということである。彼(岸)は先般の戦争に於て責任がある。その重大さは東條以上であると自分は思うと」

 その厳しい言葉に驚いた石橋首相は「ある一人の人」にいろいろ説明して了解を求めた。「ある一人の人」はさらに深く追及することはせず、「そういうわけなら宜しいが、とにかく彼は東條以上の戦争責任者であると繰り返して述べられた」。

 石橋は、その後間もなく病気となり、岸に総理の座を譲るが、このことを「かの一人の人」に申し訳なく思っている。そして、石橋はこう書いている。

「そこに今度の条約問題である。私としては、かの人をして重ねて心配をさせることのないようにと願うのである」

 ◆誕生日

  ▼菅原孝(44年=ビリー・バンバン)▼内田春菊(59年=漫画家)▼梶原雄太(80年=キングコング)▼井上貴博(84年=TBSアナウンサー)▼土屋シオン(92年=俳優)▼高橋ひかる(95年=タレント)