Activated Sludge ブログ ~日々読学~

資料保存用書庫の状況やその他の情報を提供します。

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(1/9)

2009年04月07日 07時59分04秒 | Weblog

松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』、1月に読了。梶原得三郎新木安利編。海鳥社。200811月刊。

 このシリーズ、大変な労作だと思う。センセのファンの目になかなか触れることのない作品に陽の目をあて、ブログ主のコピペ作業も熱く。既購入ながらまだ未読の第四集「環境権の過程」を○○図書館にも推薦。室原 (知幸) の「蜂ノ巣城」下筌ダム闘争など、□□の皆さんにも広く知ってほしいので。

 扉の写真は、上野英信さん、伊藤ルイさん、「吉四六芝居の浪人」姿のセンセ、『松下竜一 その仕事展』で緒形拳さんと。

 三つの章から。「Ⅰ 諭吉の里から」、「Ⅱ 送る言葉」、そしてなんといっても「Ⅲ 少しビンボーになって競争社会から降りようよ」。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(2/9)

2009年04月07日 07時58分36秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』

「Ⅰ 諭吉の里から」
 ルイさんについて、「彼女の昭和史を共に辿る作業をして 『ルイズ ――父に貰いし名は』を書いて」(pp.5-8)、「冬の今宿海岸」(pp.9-11)
 「わが文学の師ともいうべき人が亡くなった。記録文学の鬼のような師であった。/・・・筑豊の土に還った上野英信氏に合掌」(pp.40-41)
 健吾さんについて、「父の沈黙」(pp.121-123)。八十数歳の時まで右目の失明を明かさず。おそらく松下さんのお母さんにさえ。「父の〈沈黙〉には圧倒され続けている」。
 筑豊文庫での、鎌田慧さんとの一度だけの珍妙な出会い (すれ違い) (p.129)。例のテキーラ事件の際に。
 「自作再見 砦に拠る』」(pp.138-140)。「・・・サインを求められるたびに、私は扉の頁に「わが心に勁き砦を」という短い辞句を記したものだ。・・・/勁くなりたい。この孤立にも耐えておのが意志を貫きたいと願う私に、すがりゆく支えのように思い浮かんでいる一人の老人がいた。・・・ついに一人となっても国家権力と対峙することをやめなかった老人の、その並みはずれた精神の力の根源を知りたいと私は切望した。/老人の名は室原知幸。・・・全智全能をかたむけて国家 (建設省) と対決し、訴訟を頻発、さらにはダムサイト予定地に文字通り「蜂ノ巣砦」を築いての壮大な戦いを展開するのである。/いま振り返れば、室原知幸の闘いは、のちに七〇年代にほうはいと起きた反開発・反公害住民運動の先駆けであったが、後続の運動の中でも正当な評価はされずに終わっている」。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(3/9)

2009年04月07日 07時57分54秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』

「Ⅱ 送る言葉」
 「私が上野英信門下であることは自他共に認めることであるが、しかし私の記録文学第一作になる『風成の女たち ―ある漁村の闘い』執筆中には、私はまだ氏に出会っていなかったし、・・・/・・・、氏の『追われゆく坑夫たち』すらまだ読んでいなくて・・・/・・・私が『風成の女たち』出版後の〈事件〉で追いつめられて・・・のちに彼等の方から誤解を詫びてきた。・・・/とはいえ、私が不肖の門下であることは紛れもないことで、「君は本を出し過ぎるよ」という氏の小言一つにも、ただただ小さくなって首をすくめざるをえない」(pp.163-167)
 上野さんに関する印象に残る一篇「原石貴重の剛直な意志」(pp.168-195)。もう一度読み直したい一篇。師としての上野さんとの触れ合いと別れ。魚住昭さんに通づる、ジャーナリスト、ノンフィクションライターとしての「」。「少数の同志の中からは逮捕者」得さん。しかし、師曰「君ねえ、ほんとうに苦しい闘いというのはだね、自殺者が何人も出るものなんだよ。君らの闘いに、もう自殺者は出たのかね」!!、「一瞬にして口を緘 (かん) せられたように、私の嘆きは封じられることになった」。筑豊の泥くさき「ドロキツイスト」上野英信。『暗闇の思想を』は僭称であり、「・・・筑豊の地の底の闇を知らぬ私に「暗闇の思想」を名乗る資格は、もとよりないのであった」。晴子さんやさんのことも。町立病院での最後のやり取り。また、センセの書いた書評に対して、上野さんは「・・・いま、ぼくは泣いていました」。このエピソードは「筑豊を掘り進む 上野英信著『出ニッポン記』解説」(pp.199-204) にも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(4/9)

2009年04月07日 07時57分21秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
 「ツワブキの庭 筑豊の記録者上野英信氏逝きて五年」(pp.196-198)。晴子さんの優しさ。「あるとき、筑豊文庫を辞去する暗い前庭で、晴子夫人がそっと私の手中に一万円札を一枚押し付けたことがある。今も忘れていはいない」。また、英信さんの五年目の命日の数日前、「この日、いとま乞いする私とに、晴子夫人は「おじいちゃんに何か使って」と言って、私の老父にことよせて見舞金を下さるのだ」。「上野晴子さんをしのんで」(pp.208-211) では、「私は晴子夫人に、かなりひいきにしてもらっていたように思いこんでいる。私が筑豊文庫の門をくぐり始めたのは英信氏の方から声を掛けられてのことで、そのことが不思議だったが、よく考えてみると晴子夫人のさしがねだったのではあるまいか。・・・『豆腐屋の四季』を読んで、英信さんに話したと考えると納得がいくようだ」。前節同様、「・・・私と妻にことのほか思いやりを示して下さった。・・・そっと一万円札を握らせて呉れたことがある。火の車の台所を預かる人からの恩情を忘れられるものではない」。センセの晴子さんへの最後の手紙に対して、朱さんからの返事。最後の入院前、センセの夢を見たそう。「・・・お金が全然なかったからなぜか竜一さんのところへ二十五円ほど借りに行ったのよ。そしたら洋子さんがどうぞいくらでもって言って抽出しを開けてくださって、見たら五円玉や十円玉がたくさん入ってて、あたしはとっても嬉しかった。――という夢だったそうです」。センセの本追悼文での最後の結び、「――晴子さん。短編のネタにはしませんでしたが、追悼文で披露してしまいました。ああ、やっぱりひいきしてくれてたんだと、とてもうれしかったんですもの」。
 「伊藤ルイさんを悼む」(pp.222-224)、 「生きる勇気を伝えた晩年 伊藤ルイさんを悼む」(pp.225-226)、「〈力〉に抗して、真剣に生きて 追悼・伊藤ルイさん」(pp.227-231)大道寺将司益永利明さんに関連するTシャツ訴訟の原告団長がルイさん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(5/9)

2009年04月07日 07時56分32秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』

「Ⅲ 少しビンボーになって競争社会から降りようよ」
 「名を秘し続けた一市井人の反骨精神 田中伸尚著『反忠――神坂哲72万字』書評」(pp.244-247)。「女たちの裁判」である神坂玲子さんや古川佳子さんらの箕面忠魂碑違憲訴訟を「陰で裁判を牽引した強力な黒子」。「「立て、日本のランソのヘイ!」などという戯文を草して、人民はすべからく訴訟を起こすべしと呼号してみせた」センセ、「私の戯文がいささか後押ししたと聞いている」。結びは、「はたして彼の死後、・・・原告の逆転敗訴とする。/そして最高裁は、哲の長男神坂直樹君の任官を拒否して恥じないのだ。 (ああ)!
 「書評の喜び、胸の疼き・・・」(pp.248251)。上述の田中伸尚さんの書。草伏村生著『生きぬいて愛したい』。センセ自身が「・・・日本赤軍がらみの容疑だが、いいがかりとしかいいようのない不当捜査・・・(『週刊朝日』編集部注: 東京地裁は松下さんら六人については捜索を違法と認めた)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(6/9)

2009年04月07日 07時55分50秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
 本章のタイトルに採られた同名の節「少しビンボーになって競争社会から降りようよ」 (pp.256-267)。センセと『草の根通信』、「弁護士さえ、ついてくれなかった」「環境権を掲げての七人の市民」による本人訴訟。「・・・私のつくるミニコミは運動体の機関誌としては破格であったらしい。/あまりにもあけすけに内情をさらけ出しすぎるというのである」。「・・・うかうかと三人目の子を生んでしまい、・・・「わが家ではカンキョウケンが確立したのだ!」とうそぶいている」。「・・・このとき裁判所の玄関で掲げた垂れ幕アハハハ・・・・・・敗けた、敗けた」は、大いに物議をかもしたものだ。・・・これほど松下センセとその同志の心意気を表現した言葉はない。不真面目をいうなら、裁判所こそが不真面目だったのだ」。「その結果またしても発電所が必要となり、環境を汚染し資源を濫費してのこの悪循環はとめどなくなる」。「・・・原発の罪業は火電の比ではない」。「〈暗闇の思想〉などとたいそうな銘を打っているが、ようするにこの限りある環境と資源を濫費することなく、ほどほどに生きようよといっているにすぎない。/いっこうに変わることのないビンボー暮らしを綴ってきた三冊の本がひっそりと消えたというのに、いま四冊目の『底ぬけビンボー暮らし』に至って予想外に静かな反響を呼んでいる背後には、時代をおおう不安がより色濃く影を落としていると見ていいだろう」。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(7/9)

2009年04月07日 07時55分04秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
 「松下竜一の眼」シリーズ (pp.268-274)。前述の書評に対して、『反忠――神坂哲72万字』の田中伸尚さんから「実はもう著述業をやめようと思いつめていたのですが、この評をいただいて、もう少しやってみる勇気が湧いてきました」との礼状。田中さんや、「筑豊の地に蟠踞 (ばんきょ) して〈地の底の人々〉を記録しつづけた上野英信」に見られるように、「どんなに赤字であれ書かずにおれぬ (ごう) を負っている者が、ノンフィクションライターとして生き残っていくのだろう」。
 本書のタイトルに採られた同名の節「出会いの風」 (pp.287-305)。もう一度読みたい、重要な節。「私を救いあげた人」洋子さんのお母さん「三原の奥さん」。石牟礼道子さんの『苦界浄土』も出版した講談社きっての名編集者、『豆腐屋の四季』により「私を世に出した人」加藤勝久さんは、「八十二年、私は『ルイズ ――父に貰いし名は』によって第四回講談社ノンフィクション賞を受賞したが、・・・しきりに「これでぼくもほっとしたよ」という言葉がくり返された。/・・・多くの新人の本を世に送り出したが、・・・そのほとんどはつぶれていったという。そういう悲劇を見るたびに・・・、にがい悔いを抱いたのだ。/・・・「ああ、またしても・・・」と、悲劇を予感してくやんだという。/「もう心配ない。あなたは立派な作家になった」と繰り返して、氏はその夜遅くまでグラスを傾けていた」。「私を引き出した人」向井武子さんは仁保事件の救援運動にかかわり、また、ある死刑囚の養母にもなった方。センセの『汝を子に迎えん ――人を殺めし汝なれど』に詳しい。つづく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(8/9)

2009年04月07日 07時53分49秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
つづき。「「この人と出会ったばかりに、私の人生は狂ってしまいました」/小さなつどいでの自己紹介で、彼がそういって爆笑を誘ったことがある。この人というとき」に「私と出会った人」こと梶原得三郎さんの手はセンセを指していた。「・・・逮捕され起訴される。その獄中で職も喪ったのだから、私との出会いでまさに人生を狂わされたことになる。/大損をしたのは彼であり、一方私はこの弾圧をテーマにして『明神の小さな海岸にて』というドキュメントを発表しているのだから、彼を踏み台にしたという辛辣な見方をされてもしかたないのだが、二人の間にいささかのひびも入らずにきているのは、ひとえに彼の希有な人格によっているのだろう」。今宿在住の、野枝の母 (つまり祖母) ウメに育てられた「大きな瞳を輝かせた人」伊藤ルイさん。被告席の本人の「胸に刻み込む〝友情の言葉〟として語」らせ「私に証言させた人」鎌田俊彦さん、そして「あの証言の日の私の友情は、今も変わらないことを」。最後に、講演依頼に「はがきいっぱいに豪快な筆致で「快諾」とあった。千言にもまさるこの簡潔豪毅な返事に」センセを唸らせた「私を演じた人」緒形拳さん。「緒形拳さんから突然電話をもらった・・・。/「君の『怒りていう、逃亡には非ず』を読んだら、興奮してしまって一睡もできなかったよ」という。/・・・泉水博の、数奇な運命をたどったノンフィクションである。「これを映画にできたら」という熱い思いを、拳さんは電話で伝えた。/「君はいい仕事をしているねえ」といわれて、・・・拳さんがこうして遠くから見ていてくれたことを知って嬉しさもこみあげていた」。室原翁の役とともに、実現してほしかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(9/9)

2009年04月07日 07時51分04秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
 拳さんの話は「私空間」(pp.306-311) でもつづく。19696月のある日、「・・・『豆腐屋の四季』で主役を演じると決まった直後に、拳さんは単身で大分県中津市の私を訪ねてくれたのだ。/・・・原作を読んで無性に作者に会いたくなったから来たのだ、と告げられた。/・・・九年ぶりの対面・・・会うなりいきなり拳さんから「よお、作家らしい顔になったなあ」という第一声・・・」。「・・・第四回講談社ノンフィクション賞・・・授賞式に出席すると、待っていたのは拳さんからの祝電だった。/アナタノトウフヤノシキハワスレルコトノデキナイホンデアリドラマデス。ウレシクテウレシクテコンヤハヒトリデトウフクイナガラカンパイシマス/こんな心のこもったエールを贈られ・・・」。特別友情出演に「快諾」した拳さんの便りには、「・・・撮影中『砦に拠る』を再読。感銘! 映画化は至難。日本の映画文化のお粗末さ痛感。・・・」。拳さんが室原翁を演じるそんな「幻の名場面」・・・。

 「美しき豆腐」(pp.312-313) では、センセの独特の〝悪筆〟原稿がそのままに。

 解説は「ビンボーの系譜」(pp.387-393) と題して上野朱さんの筆による。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする