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「Ⅰ 諭吉の里から」
ルイさんについて、「彼女の昭和史を共に辿る作業をして 『ルイズ ――父に貰いし名は』を書いて」(pp.5-8)、「冬の今宿海岸」(pp.9-11)。
「わが文学の師ともいうべき人が亡くなった。記録文学の鬼のような師であった。/・・・筑豊の土に還った上野英信氏に合掌」(pp.40-41)。
健吾さんについて、「父の沈黙」(pp.121-123)。八十数歳の時まで右目の失明を明かさず。おそらく松下さんのお母さんにさえ。「父の〈沈黙〉には圧倒され続けている」。
筑豊文庫での、鎌田慧さんとの一度だけの珍妙な出会い (すれ違い) (p.129)。例のテキーラ事件の際に。
「自作再見 『砦に拠る』」(pp.138-140)。「・・・サインを求められるたびに、私は扉の頁に「わが心に勁き砦を」という短い辞句を記したものだ。・・・/勁くなりたい。この孤立にも耐えておのが意志を貫きたいと願う私に、すがりゆく支えのように思い浮かんでいる一人の老人がいた。・・・ついに一人となっても国家権力と対峙することをやめなかった老人の、その並みはずれた精神の力の根源を知りたいと私は切望した。/老人の名は室原知幸。・・・全智全能をかたむけて国家 (建設省) と対決し、訴訟を頻発、さらにはダムサイト予定地に文字通り「蜂ノ巣砦」を築いての壮大な戦いを展開するのである。/いま振り返れば、室原知幸の闘いは、のちに七〇年代にほうはいと起きた反開発・反公害住民運動の先駆けであったが、後続の運動の中でも正当な評価はされずに終わっている」。
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