【上野英信著、『追われゆく坑夫たち』】
以下は、いつも辛辣な、とある日の「日刊ゲンダイ」WPよりコピペ。
『日刊ゲンダイ = 連日の高級ホテル通いが非難を浴び、「私は幸い、お金があります」と言い放った麻生首相。なるほど福岡の炭鉱王と呼ばれた一族で、公開された資産は歴代首相ではダントツだ。それにしたって財力を鼻にかけて自慢するなんて、一国のトップがやることか。成り金じゃあるまいし、本当の金持ちはもっと謙虚だし、人前では金のことを話さないのが大人のたしなみというものだ。昔、大コンツェルンの御曹司から自民党の代議士に担ぎ出され、財産すべてを政治につぎ込んで「井戸塀」と呼ばれても国家のために働いた藤山愛一郎という政治家がいた。麻生マンガ太郎首相は同じ御曹司でもこの人物とは品格が違う。「ボクは金持ちです。だから嫌われます」と吹聴する人物が最高指導者では国中のモラルが乱れるのも当然。』(赤太字はブログ主) (「井戸」か・・・。)
「・・・北部を縦走して玄海灘にそそぐ遠賀川の流域一帯、七市四郡にわたる筑豊炭田は、ほぼ一世紀にちかい年月にわたって全国総出炭量のおおよそ半分におよぶ量の石炭を産出しつづけ、日本最大の火床として繁栄をほこってきた。・・・資本主義化と軍国主義化を推し進め・・・三井・三菱・・・財閥がこの地底から富をすくいあげ・・・」(p.iii)。「・・・麻生・伊藤とともに「筑豊御三家」のひとつに数えられる貝島・・・」(p.2)。
「・・・ヤマのつぶれるまで労働者を奴隷としてつないでおくための鎖が、ほかならぬ肩入れ金である・・・」(p.49)。
【上野英信著、『追われゆく坑夫たち』】
「・・・一番ちかい八幡市・・・約十粁(キロ)、・・・田川市までなら約三十粁、福岡市までなら約六十粁という距離・・・ほとんどみな徒歩でそれらの都市の血液銀行や大病院に出かけて血を売っている」(p.14)。「・・・一晩中ふらふらと歩き・・・香椎という町に付いたのが朝四時ごろ・・・不審尋問を受けた。・・・炭鉱の生活事情を語って・・・親切な巡査さんでしたなあ。・・・頼んでくれました。・・・若い運転手もまた・・・四百円ほど出して彼の手ににぎらせた。・・・子供さんに牛肉でも買ってやって・・・Aさんはただ男泣きに泣いて・・・」、家出した母子も「若い親切な駅員がこっそり乗せてくれた・・・それにしてもようまあ新宮まで子供たちが歩いたもんですたい」(p.17、18)。「・・・家財道具だけではない・・・常時血を売って飢えをしのいでいる・・・今はもう血さえも売れなくなってしまった・・・。薄うて粘りがないとたい。・・・一年の間にちょうど三升六合ほど売ったわけたい」(p.29)。
上野英信年譜 (pp.217-226)。「筑豊文庫」、石牟礼道子 (※4)『苦海浄土』、町立病院に入院。病床で最後のメッセージを書き残し、64年の生涯を閉じた (p.226)。
『筑豊よ
日本を根底から
変革するエネルギーの
ルツボであれ
火床であれ 上野英信』
「・・・一番ちかい八幡市・・・約十粁(キロ)、・・・田川市までなら約三十粁、福岡市までなら約六十粁という距離・・・ほとんどみな徒歩でそれらの都市の血液銀行や大病院に出かけて血を売っている」(p.14)。「・・・一晩中ふらふらと歩き・・・香椎という町に付いたのが朝四時ごろ・・・不審尋問を受けた。・・・炭鉱の生活事情を語って・・・親切な巡査さんでしたなあ。・・・頼んでくれました。・・・若い運転手もまた・・・四百円ほど出して彼の手ににぎらせた。・・・子供さんに牛肉でも買ってやって・・・Aさんはただ男泣きに泣いて・・・」、家出した母子も「若い親切な駅員がこっそり乗せてくれた・・・それにしてもようまあ新宮まで子供たちが歩いたもんですたい」(p.17、18)。「・・・家財道具だけではない・・・常時血を売って飢えをしのいでいる・・・今はもう血さえも売れなくなってしまった・・・。薄うて粘りがないとたい。・・・一年の間にちょうど三升六合ほど売ったわけたい」(p.29)。
上野英信年譜 (pp.217-226)。「筑豊文庫」、石牟礼道子 (※4)『苦海浄土』、町立病院に入院。病床で最後のメッセージを書き残し、64年の生涯を閉じた (p.226)。
『筑豊よ
日本を根底から
変革するエネルギーの
ルツボであれ
火床であれ 上野英信』