最近はあまり例がありませんが、何年か前に何件か、こんな要望を保護者の方から頂いたことがあります。
「子供が『なんで勉強しなくちゃいけないの?』というんです。先生から話してやってもらえませんか?」
う~ん。
正直、その時はこう思いました。
「かくいう私だって子供の頃は決して勉強なんか好きじゃなかったし、実際やらなくてもある程度は出来たし、近所の子供と一日中外で遊んでいた方が多かった」
実際、よく考えてみれば「勉強しなくてはいけない理由」なんてあるのかどうかさえよくわかりません。
但し、こんな経験が私自身にあって、これ以降「モノを知っているというのは良いことだな」と思ったことがあります。
17歳の時、マセていた私は独りで何日か京都奈良を見て回りたいと、一応親の許可を得て旅に出ました。
京都に宇治というところがあって、そこは宇治川という何とも雅な川が流れています。
その川の上流に天ケ瀬ダムという歴史あるダムがあり、そこへも行きました。
ダムの上に立ち、下を見ると、はるか下の方にようやく水面が見えます。
「高さはどれくらいだろう」と思ってそれを口にしたら、たまたま旅先で知り合った京都の大学生のお兄さんが、足元の小石を放物線を描くように投げ、それが下に届くまでの時間(秒)を計って、「これは約125mだよ」と教えてくれ、併せて「4.9t二乗」で答えが出せると教えてくれたのです。
この時でした。
私が「モノを知っているというのは良いな。それは、目に見えない様々な道具をもって、いざとなればそれを使って世の中の現象を理解することのできる力を持つことなんだな」と思ったのは。
勉強って、素晴らしいと思ったことのホンの一端、ホンの個人的経験ですが、でもそもそもこれだって、「そうだ、京都行こう」と思って実際に旅に出た行動力、もっと言えば好奇心・興味があったからのことですので、基本はこの好奇心、物事に対する興味をもてるかどうかの話かもしれません。
以上、つたない話ですみません。
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