昨日、久しぶりに或る生徒に説教をしました。
私は基本的に説教が好きでなく、そういう類の話をしなければならない場合も、極力相手の言い分を聞いて、いわばイエスバット式で自然な形で自ら悟るようにもっていくという工夫をしているのですが、昨日については異なりました。
昨日の生徒は、先週から盛んにテスト対策について、何をどのようにやったらよいのかを私に尋ねてきました。その時点で、実はそれまでに縷々指示してきたこともやっておらず、それでいてまた別の指示を仰いでくることもおかしいのですが、それはそれとして、ここでも細かなアドバイスをしました。
そして、昨日。
私が、この週末何をどのようにやったのかを、そのさわりの部分だけ言ってごらん、と言ったのに対し、生徒はまったくあっけらかんと「土日?特にはやらなかった。弟が邪魔して」などと言いました。
この「弟が」というのは、この生徒の常套句で、これまでも何度もこのフレーズを用いて、だから落ち着いて勉強できなかった、と言ってきたので、ある日、私がこの生徒の保護者にそれを確認したところ、見ている限りそういうことは特にはない、という話でした。
続いて、昨日私は、「で?テストはいつだっけ?」と訊いたところ、これまたしらっとして「来週」と言います。
来週の水曜日からのテストが分かっていて、「弟が」という、いつもながらの言い訳で勉強しない。それでいて、何をどうしたらよいですか? などと訊いてくるという、ちっとも緊張感の無いその姿勢に対して、私は言いました。
「お母さんは、テストが近いということで、あなたに何か言わないの?」
生徒が「お母さんは弟と出かけて…」などと言いましたので、「何を言ってるの?お母さんが弟と出かけるって、毎日毎晩出掛け通しであなたと言葉も交わせないなんてこと、あるわけないだろう。自分では何一つ努力らしいこともせず、そうやって言い訳ばかりする。そんなことでよい点数など取れる筈がないじゃないか。自分が何を言っているか、よく考えてみなさい。何をやって、何をやっていないかを、よく考えてみなさい。今のあなたに出来るアドバイスは、それしかないよ。」
こうして叱って見せるのも、多分にその効果を考えた上での演出的要素がありますが、果たしてこの生徒がそういうことまで気がついて、早く自らの努力に大切さと、他への無益な責任転嫁の悪癖から抜け出すことが出来るかどうか。
今はそれが早く出来るようになるのを祈るばかりです。
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