NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

ラッシャー板前

2009-05-12 | 休み
数年前から新聞を取らなくなったと言う声を良く聞くようになりました。殆どのニュースはネットにアップされてますし、テレビ欄もネットで見れて便利です。でもこの風潮を批判する人は新聞の誤配可能性のようなものを挙げて、ネットの不利新聞の有利を主張しているように思います。何かの記事を読もうとすると、その横や上や下にある全く関連の無い記事にも目が向くのが良いと言います。確かに。ネットでの記事例えば、ヤフーニュースでトップの記事を読んでも類似の記事は近くにリンクされても、あまり関係の無いニュースは近くにリンクがありません。

例えばA社の一つの経済記事があれば、B社やC社の記事が下にリンクされ、その皿に下に関連性が近い順・新しい順に記事がリンクされています。物事を多面的に見たり、新聞レベルで内容を深めてゆくのには最適の形式だと思います。けれど自分の関心外の記事に出くわすのにはあまり適した形式であるとはいえません。経済の記事ばかり見てる人は経済の記事ばかり見て、文化面の記事ばかり見てる人は文化の記事ばかり見ることになるそうです。でもそうでないのは明らかで、ランキングなり何なりで、無関係な記事でも普通皆が見に行きます。それこそページリンクの賜物です。

でもテレビ欄はそうじゃない。ネットで見られる番組表は数時間毎に区切られたものが多く、24時間表示にしてもかなり縦に長くて長い長いスクールをしなくてはなりません。使い勝手はすこぶる悪いです。なので結果的に、必然的に自分がテレビを観ようとする時間帯の番組にしか目が行き届かなくなります。例えば夜11時から深夜3時ごろまでの番組ばかりはよくチェックするが、お昼過ぎの番組はノーチェックでスルーと言うことになりかねません。でも新聞のテレビ欄なら一枚の紙を上から下に眺めれば、気付かなかった番組も目に入ります。誤配可能性ってやつかもしません。


見過ごしがち


で夜になって、新聞のテレビ欄を見て初めて「ホタルノヒカリ」の再放送があったことに気付いて大後悔。「のだめ」にしても、ずぼらな女の子と几帳面な男子の組み合わせって鉄板。ただ何故あのラインのイケメン俳優さんたちはそろいもそろって微妙な歌を歌うんでしょうか。