よみびとしらず。

あいどんのう。

瓢箪

2017-06-03 13:51:42 | 散文(ぶん)
死んだじいちゃんから瓢箪をもらいうけた。するとその日の夜から、わらわらと狐が訪ねてくるようになった。わりと町中にあるこのおんぼろアパートの一角に、どこからともなくやってくる。白いのやら茶色いのやら赤いのやらさまざまである。瓢箪の中身はただの水道水なのに、狐はそれを嬉しそうに口に含んでは帰っていく。誰ひとり手土産はない。私もはじめのうちは物珍しげに眺めていたが、すぐに飽きた。だからじいちゃんの形見の瓢箪は、夜中に水道水を入れておく以外はいつも部屋のすみっこに転がしていた。

一週間もすると、瓢箪を置いているあたりの畳がい草に戻っていた。狐の飲みこぼした水滴が、少しずつ畳に侵蝕した結果そうなったようだ。へやの中が俄然畳くさくなったので、その夜狐に抗議した。だけど狐は、それはこの瓢箪の水のせいなんだから仕方がないと、口をそろえて言ってきた。畳は悪くない。狐も悪くない。瓢箪も悪くない。そんなこと気にするお前が悪いと主張する。「そんなこと言うなら、もう瓢箪の水用意しないぞ」と脅しをかけると、「そんなことしてみろ。100万の狐が化けてでるぞ」と反対に脅された。化けてでるのは卑怯である。私はそれからもしぶしぶ、瓢箪の水を用意している。い草に戻った畳のことは、じいちゃんはもういないのでばあちゃんに文句を言いに行くと、ばあちゃんはじいちゃんの仏壇から一枚のお札を取り出して、これを畳に貼っておけばそれ以上は侵蝕しない、と教えてくれた。
「あんな瓢箪のことなんぞ放っておけばいいのに。あんたは変なところがじいさんに似てしまったなあ」
と憐れみのこもった眼差しでばあちゃんはつぶやいた。

お札を貼ると確かにそれ以上の侵蝕は起こらなくなったが、そのかわりなのか、狐だけでなく狸や兎といった動物も夜な夜な集まるようになった。死んだじいちゃんもたまに来る。じいちゃんは「ようやく自分もあの水が飲めるようになった」と嬉しそうに瓢箪を眺めている。手土産は、ない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿